世界史

2006年11月1日

世界史が高校卒業のための必要単位でありながら、受験科目から外れていたためにこれを省略し、単位取得を偽装して卒業を認定しようとしていたことが発覚して大騒動となっている。あわてて70時間の補習授業を計画するなどしているが、受験準備に忙しいこの時期に該当高校生の負担は大きい。こうしてあわてて授業時間数だけこなしても世界史を学ぶ意味を考えることもなく過ごしてしまい、世界史を学ぶ楽しさを味わうことはないのだろう。rnrn学校諸現場ではイジメによる自殺についても大きく報道されている。いじめは何も学校現場ばかりではない。社会そのものが勝ち組と負け組をつくり、格差社会といわれる弱者をさらに陥れていく構造を持つようになっている。その反映が子どもたちの社会であり、差別を再生産している現場が教育にある。イジメの責任をそこから逃れようとする教師だけにつきつけても本質的な解決にはつながらない。もちろん、個別の責任を追及し、事件の本質をみつめていくことも必要なことではある。こうした学校現場と今回の世界史の未履修問題とはつながっている問題なのではないかと思える。こうした問題の解明のなかで、声高にナショナリズムをあおる教育基本法の改正を急ぐ今の議論のあり方に疑問を感じる。rnrnヨーロッパの世界は、文化、政治、歴史の違いを超えてEUを形成し、互いの議論を積み重ねながら共通の憲法を持って市民で形成される国家を実現しようとしている。日本で妙に強調されているナショナリズムとは全く異なった方向を目指している。神話に始まる歴史観を植え付け、国家に対する忠誠を強要していこうとする日本は世界史のなかでは孤立していく方向に向かっているといわざるをえない。歴史は、単に覚えるのではない。歴史のダイナミックさを学び、私たちの社会が豊かなものとなっていく方向を考えさえてくれるものである。少なくともその入り口を提供してくれるものである。そうした材料を提供してくれる世界史を学べる時に是非とも受験のためにでなく学んでいてほしい。

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