消費者教育

2008年1月17日

高校の消費者教育の講座一コマを担当した。学校では「講話」と紹介されていたようであった。いつもこうした場所にいくと気になるのであるが,始まりは,号令で「礼!」と声がかかりお辞儀をし,最後には代表が感謝の言葉を述べ,やはり「礼!」と声がかかって終わりとなる。どうも自然なあいさつではないのである。また,話している最中に確かにうつむいて眠っているのかもしれない子に気づいたが,すかさず先生が姿勢を正すように指導をしていた。私としては,おもしろくなければ眠っていてもらってもいっこうにかまわないと,気にはしていなかったのではあるが。こうした何かしら不自然な感覚をもったのは,学校という「特別権力関係」にある集団であるからだろうか。我々が日常的に経験することのない学校の中での教える側と教わる側の明確な権力関係が支配しているせいなのかもしれない。刑務所の中の秩序維持と同じような力関係で、秩序が維持されるという関係ではないことが教育の現場では確保されていなければならない。

実は,きょう担当した高校は,私が通った中学校のすぐ近くにある高校で,勝手知ったる地域だったのである。さらに校長は同じ寮で過ごした高校時代の同級生であり,教頭は中学時代の同級生であった。私の出版した本もこの地域の小さな書店でたくさん売れている。校長は出張中であったので会えなかったが,教頭とは久しぶりに話ができた。2月には高校の同窓会,中学の同窓会と連日の予定が組まれていて,多くの共通の同級生と会えることになっている。

消費者教育の対象は卒業を間近に控えた3年生対象である。サラ金,クレジット問題,若者を対象とした悪徳商法の数々を例を挙げて説明し,その被害にあったときの救済方法等について話した。しかし,本来の消費者教育は消費者としての権利教育でなければならないと思う。これが,いつも「悪徳商法には注意しよう」と啓蒙活動程度にしか取り組めないジレンマがある。講演を終えたあと、一人の生徒から「一般の人の法律相談をするときはどんなことに気を遣いますか」という質問があった。いきなりの直球質問である。頭の中は日頃の法律相談のあり方について反省やら悔やんだことやらの事案が駆けめぐった。法律家の陥り易い失敗として、頭から「関係ないことはしゃべらなくていい」などと勝手に法的構成をして、その中だけで処理しようとして、結局は大切なことを見逃すことがある。忙しくても、もどかしくても、相談者の気持ちをしっかりとまずは受け止めることが法律相談としては大切なことだ。できるようでなかなか難しいことである。そして、そう答えた。あとで担当の先生から、質問をした子は某国立大学の法学部に推薦入学が決まっているとのことであった。その子に夢を与えることのできる話になっていれば幸いである。

明日はまた別の講演の依頼を受けている。国のお役所が関係する勉強会での講演である。テーマについては深刻な被害実態に触れなければならないが,権力側の無力を責めてみてもなんら解決につながるものでもない。バランスのとれた話をしなければならないとは思っているが,先物取引をめぐる問題についてであり,このテーマであればかなりその問題点に率直に触れて話してもいいかななどと思っている。

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