昨日までに「ある陪審員の4日間」を読み終えた。現実に陪審員に選任された人が,現実の裁判のなかでおきた陪審員の選任から評決がでるまでの出来事を記したものである。日本でもいよいよ裁判員裁判が来年5月までには始まることになる。
新しい裁判員裁判に実務家のレベルでも事前に馴れておこうと模擬裁判を繰り返している。きょうもこの模擬裁判が行われていたようだ。今回の模擬裁判は,裁判員の選任手続きから始まっている。今日は,裁判員の評議までの進行があったようで,手続きを終えた弁護人役,被告人役の人たちが弁護士会館に集まっていた。一部の人は,評議の様子を傍聴していたようで,裁判官の評議のリードのあり方について意見を述べていた。裁判員の故意の認定に疑問があるという意見に対して裁判長が丁寧にボードに論点を整理し,裁判員を説得するように故意の存在について説明したとのことである。リードする裁判官のやり方で違いがでてくるのだろうが,裁判員の感覚を大切にするというのが裁判員裁判の核心部分であり,そこを法律専門家の視点で説得するということは本来避けなければならないことであると思う。ただ,参加者の雑談を聞いただけなので,不正確な論評かもしれないが,今回の担当裁判官の性格が色濃く反映しているのではないかと思われた。
「ある陪審員の4日間」では,陪審裁判なので,事実認定は裁判官を含まない陪審員だけで行われる。陪審員がもっとも悩んだのは,正当防衛を認めて被告人を無罪にすべきかどうかという点であった。決して日頃から良い行いをしていた被告人ではなく,しかも法廷での虚偽の証言も十分に疑われる中で,正当防衛かもしれないと疑わしめる事情があった場合に無罪としていいのかどうかを陪審員たちは悩むのである。しかし,やっと全員で納得できる評決に達することができたのは,「疑わしきは被告人の利益に」,「合理的な疑いを容れない程度に立証されたか否か」の原則的な考えを貫くことが大切なのだということを最後に感覚的に全員が理解することができたことにあった。「真の裁き」は神のみがするものであり,陪審員に裁きをすることを求められてはいない。陪審員は前記原則に従って,法の適用を慎重に行うという役割を果たすことにその役割があると考え,正当防衛ではないことには合理的な疑いが残り,無罪とした。
さて,今回の模擬裁判で,「疑わしきは被告人の利益に」「合理的な疑いを容れない程度の検察官の立証責任」の原則が語られて判断されたのだろうかと心配になった。裁判官は,真の裁きをしようとしているのではないだろうか。今日のニュースで死刑求刑事件が報道されていた。死刑は,神のみがなしうる「真の裁き」を,人がしようとしていることなのではないかと私には思える。