地方労働委員会事件

2008年2月21日

途中から受任することになった地労委の事件の調査期日,審問期日があった。昨年の暮れ頃申し立てた事件であったが,第1号事件である。1年に1件しか地労委の不当労働行為救済事件がなかったということである。世の中そんなに平和ではない。地労委が人気がないのはなぜだろうか。この司法改革のなかで,労働審判制度が裁判所のなかに生まれた。裁判官に労働者側,使用者側参与員が加わり,原則として3回の審理で決定をだす制度である。結果がでるまで時間がかかりすぎるという裁判に対する批判のなかで生まれた新しい制度である。これはなかなか人気があるようで,結構事件数があると聞いている。

地方労働委員会も,もともとは裁判制度の欠陥を埋めるために生まれた制度であって,迅速な審理で労働者の権利救済を適切に実現するための制度である。しかし,この制度は,逆になるべく裁判制度に近づけるような運用がなされてきている。地労委の裁判化である。今日の手続きもかしこまった雰囲気のなかで,民事訴訟手続きにのっとって進められているのではないかと勘違いするようなものであった。こうした,制度上のギャップが,地労委の不人気をよんでいるのかもしれないと思わされた。

この事件の審査委員長のもとでの地労委事件は2件目である。1件目は10年ぐらい前になるだろうか。今日の審問の行われた会場にはいったとたん,委員長と目があい,その事件のことが思い出された。もう正確には覚えていないが,問題の早期解決がどうしても必要な情勢のあったあるメディァ産業に関する事件であった。休日の夏の日の午後で,クーラーは効いていなかった。それから延々と深夜の午前1時ごろまで,事実上の和解交渉が県庁の1室の地労委を舞台になされたのあった。もはや決裂が明らかとなったその時に,審査委員長は組合の委員長を代理人である私をはずして個別に委員長を呼んで「和解に応じたらどうか,これからいろんな手続きをしても弁護士に費用がかかるばかりだ」と最後の説得をしてきたのであった。「私たちは弁護士には何も支払っていない。私たちの権利を守るために一緒に闘ってくれているのだ。それよりもきちんと私たちの権利が守られる和解案の提示をしてほしい。今の案は絶対にのめない」と怒って席をたってでてきたのであった。その時の時刻は午前1時を廻っていた。その時計を背景に,みんなで記念写真をとって帰宅した。その時のことを一瞬のうちに思い出したのであった。ちなみに,その事件は地労委では解決しなかったが,交渉で地労委の案よりは桁の異なる高額の解決金でまもなく解決となった。

今日の事件は,かつて,3件合計8人の仮処分事件を行い全員職場復帰を果たし後,さらなる会社側の不当な扱いで解雇となった事件の処理である。今日の審問にもへらへらと笑いながら出席していた会社代表者に経営を任せている会社に未来はないと思う。久しぶりに担当した地労委事件ではあるが,権威をかざした解決ではなく,内容のある労働者の権利救済機関としての役割を担う地労委であって初めて人気のある地労委となるのだと思えた。

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