2度目の「それでもボクはやっていない」

2008年3月2日

午前中,午後と司法修習生の訪問を受けた。彼らの就職活動の一環である。東京と高松での修習中である。それぞれに若さのエネルギーを感じることができ,接していて楽しい。一人は法科大学院で私の講義を受講していた人であった。こうした形で訪問を受けて会えることはとても嬉しい気持ちであった。

離婚事件の尋問の打ち合わせ,労働仮処分事件の依頼者との準備の打ち合わせ,カルト被害に関する示談交渉などが続いた。この交渉ではほぼ被害の全額である約6000万円が返還されることになり,長期の分割支払いではあるが,ひとまず被害回復につながることになって,一安心である。

夕方自宅に帰ってからは映画三昧であった。「フォレスト・ガンプ」「クィーン」「それでもボクはやっていない」と観た。かなりの時間は眠っていたようではある。しかし,「それでもボクはやっていない」は2度目の鑑賞であるが眠気が吹き飛んでしまった。前にもこのブログに書いたが,徹底したリアリズムに実際に経験する裁判の緊迫した現場を追体験されるからである。無辜の罪人をつくってはならないという信念で裁判をしている裁判官,有罪であるべき被告人を逃がしてはならないと考える裁判官の対比など現実の裁判官の顔が目に浮かぶ。そして無罪を出す裁判官が決して組織のなかでは評価されないのである。先日,少年に保護処分取り消しの裁判をした記事が報道されていた。これは成人の事件で言えば,再審無罪と同視できるものである。この判決を言い渡した裁判官は同期であり,研修所時代の同クラスの人であった。なつかしく,その名前を見た。彼は,修習生の時から,判決起案などの講義においても非常に真摯にとりくみ,丁寧な事実認定をする人であった。そして,やさしい人柄であり「家栽の人」を連想させる雰囲気をもった人であった。裁判官としての彼には接したことがない。この事件において,判決の言い渡しと同時に,検察官に一刻も早く少年をこうした手続きから解放してあげてくださいとの注文をつけたそうだ。彼は無辜の罪人をつくってはならないという信念で仕事をしきたタイプの裁判官だろう。同期の裁判官はもう地裁の所長,高裁の部総括などという地位にいる。彼は家裁の裁判官として判決をしている。裁判所内部のことはよくはわからないが人事面で不遇をかこっているのではないかと危惧する。

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