大学と自衛隊

2008年3月20日

自宅前の銀杏並木通りは岡山大学西門へと続く道である。数十メートル北側に進むとそこは大学構内となる。大学構内に公道が通っていて,そこは,定期バスも通過する。かつて,大学紛争時代には,この公道に警察が公然と出入りすることを拒否し,大学の自治を守るとの理由で,この道路がバリケードで閉鎖されたこともある。憲法で保障された学問の自由を守るために大学の自治があり,警察の自由な出入りは学問の自由を侵すという論理であった。激しい学生運動が展開されるなか,大学側の要請もしくは機動隊が導入されることを容認することとなって,全国的に警察が大学構内に入ること自体にアレルギーがなくなってきている。

こんなことを突然考えたのは,ここのところ何回かこの道路を,自衛隊の車両が通過していくのをみたからだ。日本は,戦力を放棄して軍隊を持たないといいながら,現実に自衛隊という戦力をもっている。こうした憲法上も疑義のある自衛隊の車両が堂々と学問の自由を守るために大学の自治が保障されている大学の構内を堂々と通っていても誰も不思議に思う人がいなくなっていること自体に感覚の鈍磨を感じたのである。我々の学生時代とずいぶんと感覚の違いが生じていることを考えさせられた。

大学との関係でさらに言えば「産学協同」という言葉は,資本の力によって大学の自治を脅かし,学問の自由を侵害することにつながり,絶対あってはならないことであると言われていた。しかし,現在はいかに産業界の資本を大学に取り入れて,研究を豊かにするかが問われるようになっている。国立大学は独立行政法人化され,いかに研究費を集めるか,企業との連携が必要とされている。しかし,このことによって学問の自由が侵害されている事態はおきていないだろうか。私が担当している住宅地の土壌汚染事件では,被害があるかどうかを大学と共同で設置された調査員会が調査をして,住民に被害はないとの報告をあげている。裁判所ではこの報告書の内容で,被害はないとの主張を被告がしている。実は,この被告となっている企業は,この大学と研究の連携の契約をしていて,一定の資金を大学に提供しているのである。こうした関係のあるなかで,純粋に学問的な見地から今回の調査がなされたのだろうかとの疑問が生じる。学問は企業のためにあるのではない。人類の幸福のために科学し,社会の発展に尽くすためになされる。それ故,憲法で保障される普遍的な権利とされているのである。陳腐化した「産学協同」という言葉ではあるが,そのあり方は慎重な検証を必要としているのではないかと思う。

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