「後期高齢者医療」

2008年3月25日

22日に,ある社会福祉法人の理事会にでた。ケアハウス,介護施設,老人ホームなどを経営している。要介護者は年月を重ねるごとに確実に実質的に要介護度があがっていき,職員の労力は厳しさを確実に増していく。そんな職場になかなか人が集まらない。人材派遣業などに高額な費用を支払ってやっと確保している。補助金のでる基準を満たさない人員に対応するのは入居者を減らすしか方法がない。こんな悪循環が,福祉をさらに貧困にしていく。理事会で話題になったのは,もうすぐ始まる「後期高齢者医療」に関してである。なんと聞こえの悪い言葉だろうか。「後期高齢者」とは,余命の少ない高齢者という意味なのだろうか,生きているのが申し訳ないと思わせるための言葉なのだろうか。なんとも響きの悪い言葉である。デリカシーのかけらもない人たちの発想である。

23日の日曜日に久しぶりに実家に寄った。両親は,もう80代の半ばである。母は,肝臓を痛めていて,かなり前から無理のできない健康状態であるが,父はいつも元気で菜園づくりの農作業など,いつも動いていないと気が済まないというたちである。しかし,この日は二人とも風邪をひいて薬を飲んで静養している状況であった。父の病気らしい病気は私が知っている限りみたことがなかったので,今回の風邪はやはり年齢による体力の衰えかと認識させられるとともに寂しさを覚えた。
そしてこんなのがきたと見せられたのが「後期高齢者」用の保険証であった。「もう,一定の治療以外はお断りということだ。後期高齢者は,そろそろ死ねということか」と言っていた。そう受け止められて当然の言葉であり,制度となっている。この国は年よりは無用だということなのだろうか。少なくともこうした言葉遣いだけはやめて欲しいと思う。

今日は,朝から「宿題」を済ませて必要な書面提出を終えた事件が次々とあった。1件は大阪家庭裁判所での遺産分割事件である。なかなか関係者の信頼関係が生まれなく,最後まで苦労しそうであるが,時の流れは有能なる解決者であり,確実に事件の終結の方向に向かっていることは確認できた。岡山に帰ってからは司法問題対策委員会であり,弁護士任官者に参加してもらっての任官の意義について具体的に語ってもらう会があった。その裁判官は,この3月で転勤が決まっている。自由な雰囲気で仕事をしながら,再任期(裁判官は10年ごとに任期を迎える)を通り過ぎるまでは裁判官の仕事をしたいと言っていた。弁護士任官という超少数の職種のなかで,弁護士時代の自由さを失わないで職務を遂行され,飄々としてその姿勢を貫こうとしている裁判官になにかしら光をみた気がした。

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