「歴史を心に刻む」

2008年3月26日

今日は,日弁連での会議に出席のため上京していた。会議までに時間の余裕があったため,新橋でおりて,そこから霞ヶ関まで歩くルートにした。新橋の蒸気機関車が置かれている広場で古本市が開催されていた。規模は小さいがこうした古本市を見るのは久しぶりだ。大学が神田にあったので,大学裏の錦華公園で春,夏と古本市で賑わっていた頃のことを思い出しながら見てみた。

本の陳列を見ながら歩いていた。私が大学に入った年の六法全書を見つけるなど,懐かしく眺めていたところ「ヴァイツゼッカー大統領演説集」(岩波書店)が目に入り,買った。1985年5月,ドイツでの終戦記念日で行われた国会での演説「荒れ野の40年」が掲載されていたからだ。以前,岩波のブックレットでこの演説だけが掲載されていて、それは読んだ記憶があった。歴史を「心に刻む」という言葉がでてくる。単に忘れないでいるということではなく,そのことを内的なものに同化しきるという意味合いであろうか。この人の演説は,一つ一つの言葉に深みと重みのあるものであり,読んだ後,力をもらうと同時に妙に気持ちが純粋になっていくような気がする。感動的な有名な1節を引用しておく。
「問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり,起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし,過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は,またそうした危険に陥りやすいのです」

この演説の他,ベルリンの壁が崩壊したその時に,ウイルヘルムカイザー教会での「自由の試練に」と題する演説,あの分裂の象徴であったベルリンこそが首都にふさわしいと主張した演説など感銘をうける演説ばかりが掲載されている。今日の日弁連の会議は,「司法改革」後の改革の問題点とあるべき司法の提言をしていく会議であったが,司法改革の始まりのころの議論を「心に刻み」今の司法改革を論じていかなければならないと混乱する議論を見ながらふと思った。

きょうは,おもしろい偶然があった。羽田空港から京急線で成田空港行き快速に乗った。2つめぐらいの駅で,私の座っている4人がけのボックス席の前に年のよくわからないスニカーを履き,リュックを手に持った特徴ある服装をした女性が座った。疲れた顔をしてうつむいていた。新橋に着く前に私より早く下車した。帰りに新橋から羽田空港行きの電車に乗った。これはボックス席ではなく車両に沿って両側にベンチ状の椅子になっているタイプであった。座って前を見たら,来がけに前に座っていた女性が座っているのである。特徴ある人だったので間違いないと思う。あれだけ大勢の人がいて,あれだけ頻繁に電車が通っている東京の雑踏で、行きも,帰りも電車で前の席に同じ人が座っているとは,,,,,。これはすごい確率の偶然!別に感動すべきことではないが。

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