聖火リレーと人権

2008年4月10日

チベットでの”暴動鎮圧”をめぐって,人権弾圧であるとして聖火リレーが妨害されている。オリンピック競技は,政治とは関係のないものであると神聖化されるが,実は政治とはきっても切り離されないものである。北京での開催そのものが既に相当に政治的なものであった。競技が平穏にフェアになされるためには成熟した人権が尊重されている社会であることが条件となる。パリでの聖火リレーにはことのほか強く市民の抗議行動を支持する動きがあった。パリ市庁舎には「どこの誰の人権も尊重されるべきだ」との趣旨の書かれた横断幕がパリ市の意思として掲げられた。

1215年にイギリスでのマグナカルタ,1689年の権利の章典,1776年のアメリカの独立宣言そして1789年フランス革命の人権宣言と続いた。そして,パリではそれから数十年をかけて血塗られた戦いが続き,人権を市民のものとしてきた。そうした歴史が,遠く離れたチベットの人権侵害の事件に市民を機敏に反応させたのではないだろうか。パリにある最高裁判所の石造りの建物には「自由,人権,平等」と大きく彫られている。ギロチンによる処刑が頻繁になされた広場は,今ではコンコルド(調和)広場と名付けれて平和の象徴となっている。映画「靖国」に国会議員までが過剰に反応したり,お客様のためだと称して右翼の妨害がありうることを理由に客の宿泊を断ることになんらの抵抗を感じない我が国の人権意識のありようと,フランスではやはり人権のために闘ってきた歴史背景の違いがあるのかと思わされる。

ここのところ,統一協会の霊感商法に対して捜査のメスがいくつかはいった。今日は,東京で統一協会と高額な和解がなされたとの報道がなされていた。統一協会の霊感商法や献金強要などをめぐっては違法とする既に多くの裁判例がある。しかし,政府はいままでは「信教の自由」であるとして,これに対応することを避けてきていた。そろそろ,その被害の実態から,厳しく取り締まる方向にシフトするのではないかと予感される。フランスではカルトに対する取り締まりは厳しい。カルト観察庁とでも翻訳される政府機関があり,人権侵害の実態を常に調査している。いくつかの条件に該当すれば要監視団体として一定の監視下に置かれることになる。私は,以前,この機関にカルト対策調査のために行ったことがある。日本の有名な宗教団体もこの要監視団体になっていた。信教の自由だといって監視を放棄しないで,人権侵害を行っているか否かの視点から厳しくみているのである。

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