病んでいる

2008年5月28日

先週,同期の裁判官がだした死刑判決は「更生の可能性は否定できないが結果の重大性から死刑を選択」したものであった。死刑に対して歯止め,抵抗感が薄れてしまったのではないか。そして,今週,民主主義の根幹を揺るがしたとして長崎で死刑判決がでた。国連加盟国の3分の2が法律上もしくは事実上死刑を廃止している。国連総会では加盟国に死刑執行停止決議が採択されている。ところが,日本では死刑判決が増え続け,鳩山法務大臣は短期間に10名もの死刑を執行している。国民は,この事態に,なんらの拒否反応を示さないばかりか,死刑を望んでいるかのようである。病んでいないだろうか。

おかしな,悲惨な事件報道が続いている。妹を殺し,遺体をバラバラにした事件(今日の判決報道),隣人を殺し,遺体をトイレに捨てたという事件(被疑者逮捕後の報道)。想像するだに,身震いのするような事件である。これが平然と行われている。一つは家族を対象とし,もう一つは見ず知らずの隣人が対象である。どんな心理状態だったのか,通常では理解しがたい。しかし,そこにはある必然性があり,現実に発生したのだ。何が病んでいるのだろうか。

朝一番には,霊感商法に友人がはまったらしくて,なんとか救い出したいと言う相談,そうしたことになっていくには,被害にあうその人の経過がある。そのことをまずは理解してあげないと,救うことは難しい。病んだ果ての被害者となっているのである。続いて,親族間の諍いの相談であった。これも,暗闇の中にいる対象者の心理が伺われる。外にむかって暴走してしまいかねない危険性をもった相談事案であった。

夕方はワイズメンズクラブの例会であった。児童虐待に関する話を聞いた。子どもたちが親の自殺の道連れにされたり,性的虐待を受けたり,ネグレクトされたり,暴力的な虐待を受けている子どもたちを救う活動をしている人のスピーチであった。虐待を受けているどの子も自分が虐待を受けているという意識がなく,そんな子たちは,親を慕っているというからけなげなものである。身近にこうしたできごとは珍しくなく,我々の隣でいつおきていてもおかしくないというから病める社会であることは間違いない。

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