地震

2008年6月16日

水曜日,木曜日と福島にいた。日程が2日ずれていたら,地震の混乱に巻き込まれていただろう。地下鉄サリン事件のときは,事件のおきた数時間後,霞ヶ関をサイレンの音を聞きながら,通り過ぎた。事件概要もわからないまま,夕方まで今はもうない5階建てぐらいの古い建物の日弁連会館での弁護団会議に出席していた。

金曜日は,日弁連会館の17階会議室での会議にでていた。外壁に面したところは広いガラス張りの窓になっている。高層ビルがいくつもそびえているのがみえる。ニューヨークの摩天楼の景観をみる雰囲気だ。その外の風景を見ながらの会議であったが,今,地震がおきたらどうなるだろうかとふと頭をかすめた。ビルの損傷がなければ,すぐビルの前にある日比谷公園に避難すればなんとかなる。皇居も近いし,援助がくるのは早いのではないかなどと考えていた。しかし,ビルの窓のガラスは,大丈夫なのかななどと考えていたりした。

そして,土曜日,朝のニュースをみていたら,ニュース速報を知らせるチャイムが鳴り,続いて「まもなく強い揺れがあります」との警報であった。すごいことで,たとえ数秒でも地震の揺れがくる前に,揺れがくることが知らされるのだ。どんどん精度をあげる技術の進歩は必要だ。現地では揺れと同時ぐらいの警報で間に合わなかったことを避難するようなマスコミの報道があったが,これだけ正確に,地震の内容があらかじめわかるというのはすごいことなのではないか。気象庁を責めるような評価はどうかと思えた。阪神淡路大震災のときもそうであったが,地震発生直後は,被害などないかのように落ち着いた街の様子が放映されていた。悲惨な被害はまずはマスコミにはなかなか届かず,放映されないことはないことであるかのような錯覚に陥るのである。

あまり,比較の話は出てこないが,中国との違いもよくわかった。確かに地震の規模も,エネルギーも四川とはかなりの違いはあるかもしれない。しかし,今回の山が崩れた規模の大きさは現象的にみれば激しさにおいて,似ているように見える。しかし,被害の置き方に違いがある。救援のあり方に違いがある。政府の対応に違いがある。あまりにもそれぞれにおいての違いが大きい。しかし,一人一人の命の大きさに差異はないはずである。阪神淡路大震災も経験して,確実に地震への備えと民主主義社会の成熟度の違いで,救済のあり方に大きな違いがでているように思えた。

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