「司法改革」は,まだ道半ば,,,,,。

2008年7月8日

まずは,昨日のブログへのコメントについて

アメリカでの生活が始まって1週間ほど,アメリカからのコメントをありがとう。やはりそうなんだと思わされる。まだまだ,資源とエネルギーを欲するままに使える現実に,地球環境の危機など考えも及ばないということだろうか。ヨーロッパの環境教育,ドイツでの徹底したエコ生活などと比べるべくもない状況なのだろうか,,,,,。

法曹人口3000人問題について,原稿を青年法律家協会から依頼されて,既に提出している。機関誌の7月号に掲載予定の原稿である。今日の会議のメンバーには,会議のテーマとも関連があったので,提出した原稿を参考までに見てもらった。会議の休憩時間にメンバーの一人宮本弁護士から,「いい原稿でした。我が意を得たりという気持ちです」と思いがけず声をかけて頂いた。

宮本弁護士は,優秀な裁判官であった。10年目の再任期を迎えた時,最高裁は彼の再任を拒否した。決して理由は正式には明らかにされなかったが,青年法律家協会に所属していることを理由としたことは明らかであった。当時の朝日新聞は,その再任拒否を決めた最高裁の青年法律家協会に所属することを理由として論議していた裁判官会議の様子をスッパ抜いた。エリート裁判官といわれる最高裁の調査官のメンバーにも多数青年法律家協会にメンバーがいた。最高裁は彼らに,内容証明つきの脱会届けを書くことを要求した。裁判官の思想および良心の自由は,最高裁そのものが否定したのであった。私がまだ受験生のころの話である。宮本裁判官は,自らの良心に従って行動した。すばらしい法律家がいらっしゃると尊敬の念をもって,当時の「司法反動」と呼ばれたころに自分の法律家としてのあり方などを考えながら,受験勉強をしていた。かれこれ40年前の出来事である。

宮本弁護士は,この一連の日弁連の司法改革運動のなかで,中心的役割を果たしてきた。特に,裁判所制度の劇的な変革も彼をおいては成し遂げられなかったのではないかとも思っている。そんな方から,今日は声をかけて頂いて「我が意を得たりだ」といわれたことは,原稿が公になることに安心感を持つとともに,ある種あこがれ的な立場にいた弁護士にお褒めをいただいたことを嬉しく思った。原稿の内容は,出版後に明らかにするとして,一言でいうならば,司法改革は終わったのではなく,未だその途中にあり,生起する諸問題についてはなお改革の運動を継続していかなければならないとまとめたのである。今日の会議では、法曹3000人問題の今後、民事法律扶助制度の問題、裁判員制度に対する批判の声をどうみるか、ロースクールでの教育の成果は、、、、等々、司法改革をめぐる1964年臨司意見書以降の動きを振り返りながら、今の「司法改革」の位置づけを検討するという遠大な議題となった。

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