布川事件と裁判員裁判

2008年7月17日

布川事件に再審決定である。検察官が証拠を隠していた事実が指摘されている。捜査は深夜まで及び,認めなければ死刑だというような取り調べもあったようだ。再審という形ではあるが無辜の人が救われる可能性が強くなった。しかし,無罪を争った裁判,今まで何度も再審の申立をしてもその門はまさに開かずの門であった。問題があったのは検察官ばかりではない。裁判官にも無罪の主張に耳を傾けることのなかった犯罪性がある。

最高裁まで無罪を争って,死刑が確定したのち,何度も再審申立の手続きをし,やっと再審無罪となった死刑えん罪事件が日本では4件ある。免田事件,島田事件,松山事件,財田川事件である。死刑確定後のまさに死刑台からの生還であった。このうち免田事件の再審無罪判決の出たときの様子は記憶に残っている。私も,古い日弁連会館で免田氏の到着を待ちかまえていた。世界からメディアが取材にきていた。そこに,そこに集まった人たちの大きな拍手に迎えられ,死刑台から生還したその感想を訥々と述べていた。

こうした,えん罪がおこる原因は,ひとつには身柄を拘束したままで,長時間の取り調べが平然となされていること,99,9パーセントが有罪判決のなかで,調書中心の審理で,刑事裁判は無辜の人の発見であるという本質を見失った裁判となってしまっているということにあったと思われる。こうしたえん罪発生の構図を根本的に変えるには,司法に市民を参加させる陪審制度の導入によるしかないとの考えから,日弁連は強く陪審制度の導入を提言してきた。

日本では,裁判官だけが裁判に関わってきていたが,外国では何らかの形で裁判に市民が関わっている。参審であったり,陪審であったりである。少なくともG8に集まる国々では司法に市民参加がないのは唯一日本だけなのである。しかし,陪審制度の採用に関しては,えん罪事件の原因究明も反省もなく,採用の動きはなかった。ところが,この司法制度改革のなかで,市民参加の制度を採用すべきであるとの意見がでたのである。当初は,警察庁,法務省は市民参加型の司法について強い拒絶反応を起こした。最高裁も同様である。しかし,採用が司法改革の目標の一つになってからは,最高裁はできるだけ市民の参加を抑えようとした。裁判官3人に民間人2人,そして3人,4人,5人,6人と綱引きがなされた。日弁連は9以上を主張していた。こうしてできたのが陪審と参審との中間的な制度である裁判員制度である。民間人は6人となった。激しい綱引きのなかでやっと日の目を見たのがこの裁判員制度である。その結果,理想的な制度とはいえない妥協の産物であるともいえる。制度の欠陥もまだ目につく。しかし,捜査のあり方は捜査の「可視化」など大きく変わろうとしている。欠陥があるからといって,この制度をつぶすことは,さらに暗黒の社会に後戻りすることになる。制度の欠陥をせめて廃止させようとするのではなく,制度の改善を願って,大きく発展させるように市民の方が後押しして欲しいと思う。

市民に義務を課すものだと批判される方がいる。しかし,私たちはこの民主主義社会を維持,発展させるために税金も払い,投票にもいき,民主主義社会の一員として,国の制度の中で役割を果たしている。司法においても一生に一度あるかないかの義務の履行である。司法を自らのものとして,社会を考え,成熟した民主主義社会の一員としての責務を果たしていくようにしたいものである。

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