あっても見えない

2008年8月3日

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昨日の,精神的に病んでいる方への相談に関する研修の資料にあった2つの図である。左の図はよく心理学の本に掲載されている図である。見方によって盃に見え,また人の横顔に見えたりする。盃を見ているときは顔は見えず,顔を見ているときは盃は見えない。右の図は,私の場合,美しい若い女性の横顔に見えた。じっと見ていれば,少しこわい老婆に見える。この場合も,若い女性を見ているときは老婆が見えず,老婆を見ているときは若い女性は見えないのである。存在するのに見えないのである。一方的に自分の見方しかできなくて,存在する他の人の見え方に全く理解を示さないタイプの人の相談にどのように応じるべきなのかについての研修であった。

私が,この図に特に気が引かれたのは,私が合格したときの司法試験教養科目の心理学(昔は,試験科目に教養科目もあった)の口述試験で訊かれた問題であったからだ。とてもなつかしく,その時の状況を思い出していた。私は心理学が好きで,基本書としていた岩波書店「心理学概論」(相良守次著)を何度も読みこなしていた。口述試験では,すぐさま,デンマークのルビンという心理学者の実験であると答えた。これは,「図」と「地」の反転の例として取り上げられ,右の例は,図と地がそのまとまりをもつ条件についての例であったように記憶している。教養科目で失敗しても落とされることはないとの噂があったが,心理学がおもしろかったので,研究室への電車での往復によく心理学の本を読んでいた。
受験日程の最後の科目,きちんと答えられて,やったという充実感で試験場をでて,梅雨明けのぎらぎらの太陽が目にしみた記憶がある。

心理学を,教養程度でも学んでいてよかっと思うことがある。カルトのマインドコントロールの話を心理学者から聞いたときも,その話の内容は良く理解できた。「青春を返せ」裁判では正面からこのマインドコントロール論を裁判所で展開した。1審敗訴の後に控訴審では画期的な勝訴判決となり,実質的にマインドコントロールが認められたと評価できる判決であった。日頃の相談においても役立つことがある。問題解決への道筋を一緒に依頼者と見つけ出すような相談となるときは,この心理学の知識が役立つ。そして,具体的に解決に至った訳でなくても,「これで安心しました」と言われれば,法律相談ではなかったかもしれないが,いいカウンセリングができたと思える。今回の研修も、入りやすかったと思う。

研修のプロジェクターに映った映像から,40年近い昔の思い出が甦った次第。

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