釧路からの帰宅

2006年10月7日

釧路の悪天候のなか、東京、岡山と乗り継いで無事帰ってきた。昨日までの二日間のログは、実は携帯電話のメールで妻に送り、それをアップしてもらった。宿泊ホテルにLANケーブルに接続できる設備がなかったためである。小さい画面で打ち込むブログは、できるだけ省略しようとし、思いを充分に伝えることができなかった。5日のブログはあまりにも簡単であり、私の感動の一部も表現できていない。とにかく書き留めて置こうと書いただけであった。読み返しても寂しかったので、数行だけ訂正し、書き加えた。rnrn釧路の街は失業率が一番悪い市だそうだ。しかし、生活保護の補足率(要保護家庭における認定率)は高水準にあるのではないかと行政の人が説明していた。生活自立に向けての支援事業も細かくしようとする努力が見られる。タクシーの運転手さんの話によるとパチンコ1台あたりの人口はこれまた高水準であるとか、失業率が高く、サラ金が栄えて、パチンコ店が多く進出し(しかも既におおくの店が閉店となっている)、生活保護率が高水準にある街である。この街の大部分に釧路湿原がある。地図でみても、実際に見渡しても広いものである。地平線が見えるのでは無いかと思えるぐらいに広がっている。これまたタクシーの運転手さんの話ではあるが20年ぐらい前に湿原の一部を開発して工業団地にするという企画があったそうだ。その時に開発されたのが苫小牧の工業団地であり、今は閑散としているとのことであり、釧路は自然を今に残せるようになって良かったと思っていると話していた。多様性のある生物との共生を追求している釧路が、経済の自由のなかで開発されて人類の危機を及ぼすような結果にしてはならない。経済的に厳しい自治体が見捨てられることになってはならない。釧路の地で開催された二つのシンポジュームに参加して、自然と貧困の問題が実は今の日本の醜い実態を端的に表現していることを知らされた思いである。rnrn午後からは欠航になるかもしれないという激しい雨と強まりつつ風をあとにして東京に着けば、気温は一挙に10度は高く、穏やかな天気で豊かな国日本を思わされる光景を目にし、里山と満月に照らされた岡山に帰ってきた。いままで見過ごしてきていたようであり、気付かなかった問題を知らしめられて今回の人権大会参加の大旅行の幕を閉じた。来年は浜松で国際色豊かに(テーマから察するに)開催される。

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