繋がる

2008年8月5日

最近の若者は,携帯電話の電源がなくなれば重大事件が起きたように,不安で落ち着かなくなるそうである。自分が生きている社会との絆が切れてしまったように感じるのだ。周りには,常に身近にいる両親がいて,生活している環境があるのに,携帯電話を通じての繋がりが,生きていることの唯一の証しのように感じるようになっているらしい。人と人との現実的なぬくもりを感じる繋がりの欠落である。

確かに,こうした見えない電子機器による繋がりでも,とても安心できる。利用の仕方なのだろう。今朝,北京に出張中の次女にメールをしたら,すぐに返信があった。こうして,普通にメールのやりとりができれば,海外に出かけているとの実感はない。ロスアンゼルスにいる長男は,手元のパソコンのスイッチをいれれば,あちらでパソコンの前にいるかどうかがすぐ分かるシステムになっている。かなり普及しているがスカイプという通信システムである。別に話はしなくても,いまあちらでもパソコンのスイッチをいれてそこにいるという繋がっていることが実感できて,安心できる。今日の午後4時頃に,依頼事件のことで問い合わせをしようとパソコンの画面を確認したところ,あちらでもパソコンのスイッチがはいっていて,その前にいることが確認できたので,スカイプで電話をした。すぐに映像とともに話ができ,依頼事項はすぐさま伝わった。あちらでは,そろそろ眠りにつくころであったが,全く距離を感じない。しかも,この通信システムは,利用料金がかからない。一体誰の費用でこんなことが実現するのだろうか。この繋がりは,距離的バリアを一挙にせばめている。

携帯電話の弊害から,小中学生に携帯電話を持つことを禁止することが検討されている。確かに使い方によっては弊害も大きい。しかし,メリットも十分にある。弊害だけをみて,一切,使用を禁止するというのもいびつな感じがする。新しい通信手段を一律に悪とみなしてしまうやり方には疑問である。その機能,特質によって,生活していくのに便利な利用の仕方,マナーを教えるのが教育ではないだろうか。弊害があるから禁止というだけではなんらの解決はうまれないであろう。

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