「ナチス党」

2008年8月7日

自民党麻生幹事長は,民主党をナチス党に例えるような発言を江田参議院議長にしたことが報道されている。「ナチス党に一度やらせてみたいと思ったらあーなった。」というような発言だったようだ。

このような例として「ナチス党」を出すのは,決してよくない。朝日新聞の品のなかった「死に神」発言以上に重大である。「ナチス党」と言えば,人類の犯した極めて残忍なユダヤ人大量虐殺を誰しも思い浮かべる。世界は,この深い反省のなかに戦後の出発があった。そのなかにあって,ドイツはその当事者国として,徹底的にその責任を国内的にも追及し,その責任をとってきた。闘う民主主義と言われるように,ナチス的芽を完全に摘み,その発芽の危険とは憲法擁護局の監視と活動などで常に闘ってきている。「ナチス」とは最大の侮蔑の意味合いをもっている。そうした歴史的な認識もなく,ナチス党を例に挙げて民主党を批判するその感覚がおぞましい。

これに対する鳩山幹事長の反応は素早かった。小沢代表も民主党はもっともナチスとは対局にあるものとの表現で反論したようだ。しかし,ナチスとの比較は,それだけで政治的に責任をとらなければならない十分に重大な発言であることであるとの認識に欠けているように思えた。ドイツ国内での発言であれば,麻生氏の政治家としての命はお終いではなかったか。もう、15年ぐらい前の話であるが、ベルリンの学生街の一角にあったカクテルバーのようなところにはいった。カクテルの名前に「赤の広場」とかそんな政治的なイメージの名前がつけられていた。テーブルを囲んで、昔の学生がそうであったように、見知らぬ人との議論にわいていた。日本の天皇の戦争責任の問題とナチスへの戦争責任の追求の比較について話題が移ったとき、激しく興奮して、両者は比較の対象とすべきもない責任の違いがあると言い始めたのだ。あまりの剣幕に、私たちは沈黙してしまった。ナチスの問題は、彼らにとって極めてセンシティブな問題であったのである。こんな思い出から、特に今回の無責任な発言の危険性を感じたのである。

言葉が大切な政治の世界において,あまりにも軽い発言が抵抗もなく使われている。そんな人が次期首相の座を狙えている事実は,怖くないか。民主主義の危機である。

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