突然懐かしい顔が,,,

2008年8月10日

昨日は,私の新しいノートパソコンが届いた。とりあえず,梱包を開いたがセットアップ作業には手つかずである。今までのノートパソコンのキーボードの一部に不具合が生じ,データー通信環境を整えようと買い換えを決断した。それに合わせて今日は,携帯電話も機種変更した。スマートフォンのはしりのような機種を使用していたが,モバイルパソコンとしては力不足であり,通常の携帯電話としてはなにかと不便なこともあった。ノートパソコンの機能を高めて,携帯電話はごく普通のものにしたのである。新しい物はきたが,この使用方法はこれから学ばなければならない。今は,まだ自由に操作できなく,携帯電話とノートパソコンを一挙に失ってしまったような気分である。

事務所の前の信号を渡ったところで,すーっとタクシーがドアを開けて停まった。私がタクシーを止めるような仕草でもしたかと,「違います」ということを身振りで知らせた。それでも私の進行方向にタクシーを走らせ,もう一度後部ドアをあけ,運転席からは「河田君」と声がかかった。おそらく私にとっては,中学時代以後初めて会ったはずであった。私はすぐには誰かわからなかったが,タクシーに掲示している乗務員証の記載ですぐに思い出した。そうしてみると,昔のままの友人がいた。彼の話によると,私とは前に会ったことがあり,その後も私の担当してきた仕事の内容も気にかけていただいていたようであった。

彼は,機関車の運転手として国鉄に勤めていたそうだ。機関車の運転手は,動労(動力車労働組合)という労働組合を構成していて,かなり当時としては戦闘的な組合であった。春闘などでは順法闘争と称して安全確認を徹底し,その結果遅れをだすなどのストライキや,完全に電車の運行がストップしてしまうストライキがあった。そのストライキの現場にボス弁と一緒にでかけて,闘争が妨害されないように支援したりすることがあった。青いわっぱ服に身を包んだ動労の人々が,整然と操車場付近に座り込んでいた光景は,壮観であった。どうやら彼はその中にいて,私のことを知っていたようである。今は早期退職して,タクシーの運転手をしている。機関車の運転手とは勝手が相当違うと思われる。

国鉄は,国の政策によて分割され,再就職にあたっては激しい差別もあった。そうした国家ぐるみの不当労働行為といってもよい仕打ちであった。国鉄内の組合間においても路線対立が激化して,労働組合も大きく様相を変えていった。タクシーのドアがあき,声がかかったその時に,ずいぶんと昔の話を聞いて,中学時代,弁護士に成り立てのころの状況を思い起こされていた。

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