離婚になるということは

2008年9月5日

3年前,とても幸せなカップルの結婚式にでた。新婦のお父さんと友人であったからだ。そのお父さんのその時の顔は,小さい頃から手塩にかけて育てた娘の幸せを心から喜んでいるものであった。

きょうは,その二人の第1回の離婚調停であった。新婦は,苦しみ,悩んだ末に別居生活を決断した。そして,今では一日でも早く,離婚を実現したいとこの調停に臨んだ。調停の場では,経済的に何不自由することのない家庭でありながら,毎月の生活費は渡されることなく,自分の預金を取り崩しながらの生活であったことなどが調停委員に話された。必要なお金をその都度,夫に申告してもらうということになっていたようだ。そして夫側から,養育費を払うのであれば,DNA鑑定をして自分の子であることを確認させて欲しいと言う言葉がでてきた。その言葉が,今までの婚姻生活そのものの意味を全く否定するものとして響いてきた。どんなつもりでいままで婚姻生活を送ってきたのだろうか,最後の最後にその言葉がでてきたことに,依頼者は涙を浮かべて泣き出した。その言葉のむごさを理解できない人と離婚になることになってよかったと納得できた一言でもあった。

私は,あるところで,「離婚は必然だ」と言った。生活基盤もDNAも異にする二人が,新しい生活をあたかも同一人格となるがごとく一緒に生活を始めるのである。そんなにうまく行くはずがない。その違いを互いに理解しながら,あるいは赦しながら新しい生活を創り上げていかなければならない。離婚は,そうした努力がきれた時におこる。離婚は必然である。その違いをしっかりと意識し続けることが離婚をしないでいられることではないか。最近は,自己中心的なわがままな結婚が多いような気がする。増えつつある相談分野のひとつである。

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