私の生まれた町(現在は岡山市に合併)に産廃問題で講演を頼まれ,でかけた。私がゴミ弁連(闘う住民とともにゴミ問題の解決をめざす弁護士連絡会)に所属していること,吉永町産廃問題に取り組んできたこと,豊島産廃問題などに関与していることなどの情報による依頼であったと思う。
私なりに,今日の話の組み立てを考えてみたが,産廃処分場の危険性を話すには,そもそもの最終処分場の種類のところからはいった方が理解ししゃすいと考え基本的なところから話をした。そして,管理型処分場がどうして危険なのか,遮蔽シートの危険性,放流水汚染の危険性など幾つかのテーマで話した。やはり,吉永町問題の先駆性を話さざるをえなかった。いかに住民の人たちが一致して反対運動に取り組んでいったのか,県と業者の不許可処分取り消し訴訟に参加をし,その参加の訴訟適格を得たこと,後に中津川氏の市長になられた中川鮮先生といっしょに勉強会をもってきていたことなどなつかしく思い出しながら,話を進めた。訴訟参加が認めれたこの考えは,住民たちが幅広く訴訟参加できる道をひらいたもので,その後には直接原告適格がある事例も生まれてきた。
私は事前審査を終了している今こそ本申請が脱されないようにする活動が必要なことを強調して言ってきた。さて,こうして,住民の方々の前で,住民運動の大切さを訴え,ことあれば協力したい旨の方針を伝えた。ここまで言ってしまうと後に引けない状況である。だからというわけではないが,どうぞ,本申請が停まっている今のままの状況がいつまでも続いて欲しいと願うものである。