甘い梨の思い出と苦い労働委員会

2008年9月19日

昨年年末に私の関係してきていた労働組合が不当労働行為救済の申立を岡山労働委員会にした。事件番号は1号であった。1年の間に1件しか事件がなかったことである。その事件の進展にともなって,尋問などなかなか組合だけでは事件の審理の遂行が困難となって補佐人として私が関わることになった。そして,3期日にわたって半日すべてをつかっての審問を行った。会社側の不合理な不当労働行為の存在は明確になった。審決は,ほぼ当方の主張しているとおりとなることは委員長の発言でも明らかであった。

ところが,急に委員長から和解に応じないかと勧告がなされた。当初は,もっぱら会社側を説得するという手続きがなされた。しかし,その説得が困難とみるや組合側に審決がでても意味がないのだからと,会社側の主張をほぼ認めるような和解案を提示してきた。当然組合側は,これを拒否した。私もそのようにするのがいいと助言してきた。しかし,何度も何度もアプローチがあり,ついには不利益処分を受けていた労働者個人を呼び出し,委員長が,今後のことを考えると和解した方が身のためだと会社側の和解提案を呑むように強引に説得し,ついに和解に応じさせた。私には労働委員会からは全く連絡もしてこないし,積極的に私に相談しないで決めるように迫ったそうである。労働委員会は,労働者の権利を守るところではないだろうか。この委員長の対応は,糺弾されてしかるべきである。当該組合が,委員長の説得に疲れ果てて,応じることを了解したのだから,私が意見を言うべきではないだろう。そう思ってもうこの件については何もいわないこととした。

今日,送られてきた鳥取の秋の味覚,20世紀梨を食べた。みずみずしい実り豊かな秋の味覚である。送り主は,もう10年以上は経過するだろうか,先の委員長のもとで労働委員会で争った今回の組合の元支部委員長からであった。この事件も大変な事件であった。審問期日の後の和解勧告がやはりあった。夏の日曜日午後からその期日が県庁で行われた。深夜0時をまわった。その時は,組合側が決して労働委員会委員長提案の和解案には応じなかった。そうすると今度は,弁護士である私をはずさせ,支部長個人を呼び出して和解に応じるように説得しだしたのである。「これから争っても弁護士費用がかかるだけである。弁護士はそれで儲かるけれども,あなた方はこれからいくらも費用を払い続けなければならない」と説得したのである。その言葉で,支部長は和解を拒否するとともにその強引な説得に抗議したのである。ちなみにこのときは6人の組合員に対して80万円ほどの解決金を支払って,退職して事件を解決するという内容であった。この決裂した時間は午前2時を廻っていた。私もこの発言に関してその後強く抗議した。このときは,労働委員会の助けを借りずに、その後の自主交渉で労働委員会提案の金額の数十倍の解決金の支払いを受けて事件は解決した。

その時の労働委員会の委員長と今回の委員長とは同じ人である。またまた同じ過ちを犯している。このような解決をしている限り,労働委員会の信頼は得られないであろう。裁判所の労働審判手続きの方が,人権感覚に富んだ迅速な解決をしてきている。こうした感覚のない人が未だに労働委員会の委員長でいるかぎり,審理すべき事件は生まれないであろう。今日の事件の嫌な思いと甘い秋の香りで6人がさわやかに闘った事件とが奇しくも結びついた。元支部長からは未だにこうして覚えていていただいて,気遣いを頂いていることに恐縮している。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Links

Calendar

  • 2024年4月
    « 5月    
    1234567
    891011121314
    15161718192021
    22232425262728
    2930