首相の解散権

2008年9月30日

新しい首相が誕生して,きょう,所信表明演説が衆議院であった。この国の新しい内閣総理大臣の就任演説が,野党の悪口をいい放つだけで,この国のあり方,これからの基本政策を掲げることのない,まさに品格のない所信表明であった。さらに抽象的な「強い国」にという言葉がでていたが,格差社会と言われたこの疲弊した社会をどう変えていくのかまったく眼中にない新しい首相の誕生である。自らを明治維新いらい営々と続いた総理大臣の地位を引き継いだことを冒頭に指摘していたが,麻生財閥自体が満州事変,第2次世界大戦などを通じ,朝鮮から強制連行してきた人々の犠牲によって大きく財を蓄えた張本人であったという恥ずかしい歴史は念頭になかったのだろうか。日本の今の歴史をいうのであれば,今の平和憲法の歴史を原点としなければならない。今週,木,金と富山で人権大会が開催され,この平和憲法を守っていくことの意義を考えることがテーマの一つとなっている。短期間かもしれないが,歴史認識においてもこれからの日本のあり方においてもなにかピントのはずれた危険な首相が誕生した。

国民の意思は,議員の選挙を通じて国会に反映される。その国会の意思を実行する内閣のトップである総理大臣は,国会の指名に基づいて国会議員の中から選ばれる。そして,内閣の過半数は国会議員から選ばれて,国民の意思が行政に反映されるようになっている。しかし,この内閣が首相が交代することによって短期間に変わっている。既に,国会議員の選挙の結果がその内閣に反映されて誕生したという実態を失っている。国民の意思はどこにあるか,議院内閣制を実質化するために早く解散,総選挙をすべき時であろう。前国会でも,国会での議論が与野党対立し,特に参議院とのねじれ現象から審議が頓挫してしまうことがあり,国民の意思はどこにあるのか解散して,国民の信を問わなければならない時期があった。前者の解散は憲法7条に,後者の解散は憲法69条に規定がある。政局がらみで,解散時期についていろいろと憶測がなされているが,国民主権の政治でなければならないのは当然であり,直ちに解散して信を問うのが,憲法の意思ではないかと考えている。政党の都合で,解散時期が決められてはならない。

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