福島地裁へ

2008年10月9日

福島地裁への日帰り出張であった。裁判がおきて1年ぐらいで,今日が結審の日であった。裁判所にでかけたのは全手続きを通じて今日を含めて2回だけである。前にでかけたのはサクランボが収穫されはじめていたころであった。電話会議による弁論準備手続きという制度があり,ほとんどの手続きは電話で処理できる。こうして,遠隔地での裁判でも出頭のための費用負担は,ずいぶんと軽減される。

この,往復の間に,なかなか手つかずの状況となっていて,明日中には提出の必要のある書面2通をほぼ完成させた。基本的に電話がかかってこない。他の事件が予定はされていない。突然相談者が訪ねてきて,対応を迫られることもない。その意味では移動中は記録を読んだりするには最高の環境である。じっくりと,記録を読んだり,起案したりすることに集中できるのがいい。事務所で机に向かって起案しているときよりは,集中できる。

しかし,窓から景色を全くみないと言うわけでもない。ときおり外の景色も見ている。まだ,過日のヨーロッパの旅の印象が残っていて,外に見える景色の異常さを感じた。今回も,ブタペストからウィーン,ウィーンからザルツブルグへの移動は鉄道をつかった。鉄道の両側には,のどかに広がる緑の丘陵が続き,風力発電の風車が回り,ときおり線路が何本も集中している駅をとおる。そこがおそらく大きな街であると思われるが,人がそんなにいるわけではない。ゆったりと流れている川があったり,湖が散在していたり,すべてがのんびりとして見える。今回は,プラハとドレスデンの間で経験した時のように,ハンガリーとウィーンの国境での出入国に関する手続きはなかった。いつのまにか国境を越えていた。パスポートにも記録は残らない。こんな風景が世界標準なのである。いかに日本の狭い国土に人がひしめいて暮らしている風景が「異常」なのか,外にでてみて初めて認識させられる。

そんな国で,昨日の3人に続き,さらにノーベル賞を受賞者がでた。もしかして,明日は5人目になるノーベル文学書受賞者がでるやもしれない。先日,知人のお別れの会で息子さんが,教育だけは誰にもとられることはないと親が十分にやらせてくれたと感謝の言葉を述べていた。物はなくても教育というのは良くわかる。もしかして,日本も、国土も,資源もない国として教育だけはという気概があったのかもしれない。しかし,最近は,学校行事での国歌を強制し,あえて道徳の時間で国家への忠誠心を養い、自由闊達な個性をもって育つことをはばみ、批判的に考察するという芽を摘んでいる。先生の能力を持たない先生が,お金を使って先生となっている時代に成り下がっている。やはり,教育がなににも増して重要性を持っている。

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