数年前,お子さんを交通事故で亡くされ,相談にこられた人である。沈痛な声で夫が突然死亡したとのことで,相続について相談したいとの電話があった。その続くアクシデントにどう反応したらいいのか一瞬とまどってしまった。そして,きょうの相談であった。
ご主人はどうやら突然襲った心筋梗塞のために自転車の運転を誤り,用水路に転落して,溺死となったらしい。善き夫であり,善き父であった。葬儀用に創られたビデオには,夫,父との相談者,こどもらの感謝のナレーションが入れられていた。申し分のない,理想的な家庭であったと残された者も自信をもって言えた。突然の死は,大きな悲しみを産んだ。
しかし,事態は一転する。通夜の日,彼の机の中からでてきたノートで予想もしなかった事実を知ることになる。彼には,隠されたもう一つの別の生活があったのだ。葬儀の参列者の名簿には確かにその女性の名前もあった。悲しみは,一瞬にして,激しい怒りと失望に変えられる。涙さえでない。病床にあったときもやさしく付き添ったその夫の行動も,今や怒りと失望の対象でしかない。家族の生活そのものが虚となってしまった。遺骨をみることさえ,拒絶してしまう。
まるで,ミステリー小説でも読んでいるみたいである。その虚脱感からまだ回復できないでいる相談者からの相談であった。一方,亡くなったご主人の方からみれば,それぞれの生活に目一杯生きてきていたように思え,哀れさを感じる。どちらも実でありたいと考えながら。