先輩,後輩

2009年1月15日

きょうは,「先輩,後輩」とよく耳にした。

午前の一番の相談は,高校の後輩からの相談であった。私は,高校時代に1年間だけ寮生活を送った。寮では,先輩,後輩の序列がはっきりしている。そこに既に寮生活2年を経験していた中学生の「後輩」がいた。そのころから,当然であるがその後輩は「先輩,先輩」と私のことを呼んでいた。互いに社会人になってからも先輩,先輩と呼ぶ。今日会ったのは,数年ぶりであった。やはり,先輩,先輩と呼ぶ。序列のきびしかったそこの世界だけ封建時代に取り残されたような寮生活の感覚がよみがえった一瞬でもあった。また,この言葉は,互いの信頼感をも覚えさせられる言葉でもある。相談は,東京に住む娘さんのことに関してであった。なかなか複雑な事案でもあり,東京の弁護士を紹介することになった。紹介したのは,大学の後輩の弁護士である。彼が司法試験受験時代に少しだけ受験指導を担当したことがある後輩である。そんなことからいつも面倒な事件は彼にお願いする。突然の電話で「電話するときは面倒なことばかりお願いするばかりで,実は今日も,,,」というと「そうですね」と切り返してくる。この先輩,後輩は気さくな友達関係で,先輩を種に無理をお願いする手段である。

午後の相談は,私が担当していた岡大法科大学院の消費者法の講義の受講生の親族の方からの相談であった。帰り際,相談に同行された父親から出身高校を確認され,先輩であることを告げられた。4期先輩にあたる方であった。同じキャンパスで過ごした経験があると思えば,初めての人も親しく感じることができる。たぶん,相談者も同じ気持ちだろう。受講した学生が講義のなかで,私を信頼をしてくれて相談者として親族に紹介したのであれば,嬉しいことである。

高校の後輩で市会議員の人は,私といるときに周囲の人を見分けながら先輩と言う言葉で私のことを呼ぶ。使い分けているのである。でもこの人から先輩と呼ばれるときは,こそばゆい気持ちになる。年も違わないし,互いにそんなに頼み事をしあうわけでもなく,対等にいろんなことが話あえる関係だからだ。若い国会議員の高校同窓の後援会会長を引き受けている。ここでは当然に先輩,先輩と多くの人が呼んでくれる。100年以上の歴史のある高校である。そこで同窓が集まるなかで,先輩と呼ばれると俺はそんな年ではないよと言いたくなる一瞬でもあり,そんなに奉られる関係でもないとなんとなく落ち着かなくさせる言葉でもある。

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