やはり憎しみのサイクル

2009年1月24日

初めての被害者参加の刑事裁判があったようだ。被害者参加制度は,刑事事件において,被害者,その遺族らが直接法廷で被告人に質問し,独立して求刑などの手続きができる制度である。今日のこの裁判を見ていて,嫌な気持ちにさせられた。

検察官と並んで座っている遺族側からの被告人に対する質問は,事故の現場に車を止めて手を合わせているか,それができていないなら反省していないなど,きびしく被告人を詰問するものであった。反省しているかいないかは事故の現場で手を合わせることによってのみで判断されるものではない。その人の宗教観,価値観を押しつけることが刑事裁判ではないはずである。そして,被告人への憎しみを露わにして,実刑が妥当であるとの求刑意見を述べている。事故に至った責任の客観的な事実認定に影響を及ぼしかねないことである。被害者は誰でも厳しい意見をもつのは当たり前である。そのことを改めてこのように刑事手続きで表明させることは,法廷でその憎しみの対立を演出するだけの意味しかない。

刑事裁判は,憲法に守られた適正手続きに保証された厳格な罪刑法定主義によってなされなければならない。法廷でいじめることがその目的ではない。その人の罪を「裁く」ものになってはならないのである。この刑事裁判に被害者を参加させる制度には刑事手続きをゆがめる危険を持っている制度である。被害者が事件によって大きく傷ついていることも確かである。こうした人々に対するカウンセリングなどの制度は保障されるべきである。社会におきた犯罪の被害は,その社会できちんと対応していくシステムがなければならないからだ。今日の初めての被害者参加の刑事裁判は,加害者と被害者のぬぐいきれない不信感と憎悪を増幅させ,刑事法廷を復讐の場面にしてしまっているように感じさせられ,嫌な気持ちにさせられた。

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