ペスト

2009年2月3日

昨日,辺見庸氏を追ったドキュメント番組をみた。飽食の経済大国日本のころに「もの食う人々」という衝撃的な本を出版した。世界の貧困の構造を見せてくれる本であった。そんな本であったことと,著者が共同通信社の記者であったことから親しみをもって読めたのだ。思い出に残る共同通信の記者が2人いて,この本を手にしたとき,その人のことがふと思い起こされ,その本自体に妙に親しみを感じたのであった。

辺見さんは,5年前に脳溢血で倒れ,右半身に麻痺を残している。「頑張ってリハビリをしても決して進歩はないが,頑張ることをやめてしまえばまたたくまに下がっていく。そんな生き方が自分に合っていてここちいい」と言う趣旨のことを話されていたことが印象的であった。そして,カミュの「ペスト」をとりあげ,秋葉原事件さえもが「日常化」していることの危険性を指摘していた。今の情報化社会が,事件の速報性,同時代性があってもそれが単純にその時だけの情報であり,どんなに深刻なものの始まりであっても,日常の一部にしか見えない危険性を伝えていた。想像し,立ち止まってその意味を考えることのない,本質をみることも感じることもできない社会となっていることを訴えていたように思えた。

あれほど騒がれた派遣村問題ひとつにしても,この日常のなかで過ぎ去っていく。自民党の危機だといってもそれが日常の一場面であり,政権が変わるわけでもない。それが日常化しているのである。70年代の変革を信じ,行動してきたあの社会のエネルギーがなくなっているように見える。民主主義の言葉の大切さが失われているような気がした。デジタルの数値だけでなく,アナログの量として時間的に把握して思索する時間を持つことが必要なのだと思わされた。久しぶりに重い番組をみた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Links

Calendar

  • 2024年5月
    « 5月    
     12345
    6789101112
    13141516171819
    20212223242526
    2728293031