ちょっとした出来事

2009年3月5日

国選事件で冒頭手続きから結審までの事件があった。故あって,情状証人はない。実刑確実な事件であった。継続しなければならない病気の治療は中断となる。場合によっては命に関わる結果になるかもしれないことが言われている。被告人は,悔やんでも悔やみきれない今回の事件であった。一瞬涙ぐむ姿もあった。裁判官からの質問にも「頑張ってきます」と覚悟のほどが述べられていた。てきぱきと訴訟指揮をするいつもの裁判官のきびしさから,幾分やさしさのある言葉がかけられていた。私にとっては約40分の被告人との時間である。被告人にとっては,これからの人生に大きな影響を与える懸命な40分であったに違いない。法廷をでるとき,再び手錠をかけられた姿でありがとうございましたと声をかけてきた。私には,これ以上何もしてあげられない。

午後は倉敷簡易裁判所での民事事件の相手方本人尋問であった。裁判官の隣には司法委員が着席していた。私も以前から良く存じ上げている方である。消費生活センターの相談員をされていた方である。目が合い,軽く会釈を交わした。裁判官からは「この事案に詳しい方に司法委員に加わっていただきます」と紹介があった。なるほどと納得した。この方は極めて多くの消費者被害事件を担当していて,今日の事件と同様な事案に多く遭遇した経験を持っているはずである。こうしたことに司法委員を活用する裁判官の目は確かだと思った。尋問においても,重要なポイントを次々と質問をしていた。地裁では法曹一元の一つの試みとして,弁護士任官制度があるが,こうした司法委員の活用は裁判に市民の目線を生かす良い制度であると思われた。あまり活用されていないのが残念なことではある。

この尋問のときに,誤導尋問であると異議をだしたところ,相手方弁護士から「なにを失礼なことをいうのか」と興奮した対応があった。尋問は,誤導,誘導尋問等については互いにチェックしあうことが必要である。失礼なことではなく,問題があれば直ちに意見を言うべきであると私は思っている。そのことが誤りのない真実を浮き上がらす力となるのだ。その意義の適否について速やかに裁判官が判断していけばなんらの問題はない。「失礼だ」との言い方は幾分問題があるのではないかと私は思った。

実は,弁護士になりたてのころ,大先輩の弁護士の尋問に異議をだしたことがある。このとき,その弁護士は,異議をだしたことに対して,顔を真っ赤にして烈火のごとく怒った。「この若造が生意気な」とつっかからんばかりの勢いだったのである。私は,ちじみあがる思いであった。ところが,その法廷が終わって外にでたところにこやかに「さっきは失敬」とのあいさつである。ほっとしたが,一瞬のうちに普通の対応をすることができたのは「老獪」であったというべきか。今日の弁護士は同じ年配の弁護士であるが,もちろん後をひくことはないが,その方にしては落ち着きを失っていたように思えた。

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