「国策捜査」?

2009年3月8日

民主党代表の政策秘書の逮捕にすぐさま「国策捜査」という批判がなされていた。こういうことは言うべきではない。現在の検察は,批判されるような「国策捜査」をする体制にない。裁判官は職務の独立性は憲法上保障されている。弁護士の独立性も弁護士自治によって守られている。検察の仕事も基本的に独立性が保たれている。検察一体の原則があり,組織としてはピラミッド型の統制のとれた集団であるが,その方針が確定されるまでは,それぞれの職制のなかで自由な議論が保障されている。法務大臣の指揮権発動が唯一その独立性を制約するものである。それが検察であると教わってきた。

東京地検特捜部のもっとも華やかところは,霞ヶ関,永田町の権力の中枢に入り込むところである。現在の広島高検検事長は,司法修習時代同じクラスで席も近かった。彼も東京地検特捜部の経験があり,国会議員を逮捕して晴れやかな表情で黒塗りのクルマでその議員を連行しているところが報道されていたりしていた。動くことも,動かぬことも政治的意味を持つ。判断の中立性は,粛々と職務を遂行することである。しかし,検察も独立性を有しているとはいえ,現政権の内部の組織の一つである。あからさまな政権からの指示はないとしても,微妙に現政権に有利な判断が働くことは否めない。そうした批判にさらされないバランスを今回は考えているはずである。さらに,検察官には,創価学会と関係の深い人もかなりいるはずである。創価大学で学び,司法試験に合格し,検察官として登用されているような経歴をもつ人々のことである。そのこと自体とくに批判することではないが,その人が検察中枢にいる場合,公明党からの影響を心理的にも受けることになるだろう。

今回の事件が,単なる誤記の問題,あるいは企業献金の脱法的なものとしてだけのものであれば,東京地検特捜部の立件は華のない,「国策捜査」と言われても仕方がない。企業献金の是非が本来は根本的に問われなければならないことであって,誤記の類をこうした事件にすべきではないからである。もともとざる法と言われたままの法律の適用である。このことを国会は,真剣に議論しなければならない。そうでなければ,今回の捜査の意味がない。贈収賄につながる何かを視野にいれた捜査であるとみるべきだろう。真正面からこうした議論が国会で活発になされるためには,民主党は早めに党首を交替した方がいい。自民党とは違うという対応の仕方を見せつけるべきではないか。

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