憲法判断と司法権

2009年5月12日

昨年4月17日,名古屋高裁は,イラク派兵反対訴訟においてイラクでの行為が「戦闘地域」での国際的な武力闘争であること,空自がイラクで行っている行為が米軍と「一体化」した武力行使あり,「イラク特措法」を合憲とした場合でもあっても,空自の空輸活動はイラク特措法違反,憲法9条1項に違反する活動を含んでいるとしてイラクでの空自の活動を違憲であると判示した。当たり前にみれば当然のことであり,この判断はごく自然な判断である。戦争を起こしたブッシュ前米大統領でさえ,痛恨の誤りであったと認めているような戦争だったのだ。しかし,こうした違憲判断がなされることはまれなケースである。司法が違憲であると判断することはめったにない。裁判官にとっても相当の勇気を必要とする。

1999年に制作された「日独裁判官物語」によれば,その時までに戦後言い渡され違憲判決はドイツでは500件を越えていたが,日本ではわずか10件であったのだ。比較の対象にならないほど違いがあった。この数少ない違憲判決の一つに米軍基地に無断で立ち入った刑事責任が問われた砂川事件の1審判決(伊達判決)がある。1審で違憲判決があり無罪とされた後,直ちに最高裁に飛躍上告がなされて,最高裁はこの1審判決の判断を覆し,有罪判決を言い渡した。後日,アメリカ側の公文書で判明したことによれば,この最高裁判決の前に駐日米大使と最高裁とが協議した事実が明らかとなった。憲法9条をめぐる国家権力の闇の動きは想像を絶する。こうした体質は今もある。ブッシュが反省した戦争に積極的に参加し,しかもそのことに反省がないのである。その戦争への参加を違憲とした判決は貴重である。突然,こんなことを書いたのは,アメリカでは明らかにされた文書のなかに最高裁側との砂川判決をめぐる事前協議の事実の存在を疑わせる文書が残っているのに,最高裁はそのような文書は存在しないとして情報公開を拒否したニュースが本日報道されていたからだ。

1891年に起きた大津事件は,政府側から司法に対してロシヤの皇太子に対して適用の余地のない大逆罪の適用を国策として強く迫った。しかし,断固としてその圧力に屈せず,一般人に適用される法律を適用して判決を言い渡して司法権の独立を守った。この砂川判決に対する最高裁の対応は,この大津事件の対応に恥を塗るものとなった。9条をめぐる権力の権謀は,想像を絶するものが存在している。

このブログは土曜日に書いていたものでしたが、アップされていませんでした。ときどきこんなことをやってしまいます。

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