森永弁護団,総会,産廃阻止集会,,,,,

2009年5月24日

昨夜は,35年前に決着した森永ヒ素ミルク被害者弁護団の解散の集まりがあった。事件終了後の救済事業が現在も継続されていて,今も年間20億円あまりの金額を森永乳業は負担している。弁護団会計が精算されないままいくらかの金額が残っていたため,形式上弁護団が残っていたので,正式に解散の会をもった。最後に弁護団会議を開催してからも20年以上も経過している。出席者の顔ぶれもびっくりする。40代前半の中堅・若手弁護士を中心に岡山ではじめて弁護団方式となった事件である。その時に一番若い弁護士として参加した。当然集まった人たちは,私より年長者ばかりであった。しかも,現実には既に弁護士としての仕事の一線を退かれている人といってもいいひとたちであった。一瞬,タイムスリップした気持ちにさせられるとともに,年の経過をずっしりと感じさせられた。

今日の午前中は,弁護士会の総会であった。総会副議長という役割で参加した。弁護士会でもいつのまにか一線を退いた後のような役職が廻ってくる。江田五月参議院議長も一会員として参加されていた。ここのところ毎度となったが,参議院議長の出席する弁護士会の総会である。そんなに気にすることなく議事は進められたが,参議院議長が特別扱いも受けず,そこに座って何事もなく進行されるのは弁護士会ならではのことであると思う。

12時50分には,産廃阻止の集会に講師として来てもらうことになっていた弁護士を岡山駅に迎えにいかなければならなかった。12時30分頃には総会は終わるということを想定していた。ところが,途中で議長が12時50分を終了の目処とするといいだし,どうしようかと思っていたが,その議長の発言から急に進行が早くなり,結局,12時20分には終了した。急いで,岡山駅に迎えに行き,現地に車で同行し,さらに産廃処分場予定地を見て,集会開始時刻午後2時ちょうどに集会場所に到着した。今日の講師の弁護士は,吉永町産廃阻止運動の時にもお世話になった弁護士である。あの運動に私がかかわることになったのは,今日の講師の水俣病裁判を中心的に担ったボス弁に久留米で吉永の現地の人といっしょに会ったときに,励まされたというか煽られたというかはっぱをかけられてあるいは乗せられて始めたのであった。そんなことも思い出さされた。今日,参加してくれた市会議員も一緒だったことをその市会議員から指摘されてあの日のことを思い出し,人との出会いの不思議さを感じていた。

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