医療ADR

2009年5月27日

昨夜は,医療ADR設立準備の一環として,メディエーター研修の第1回講座があり,参加し,その後の懇親会に参加していた。弁護士会が関与して準備している医療ADR設立に関しては,医師会などからは警戒感をもって見られている。しかし,行政関係者,既にADRに関して先進的な取り組みを始めている病院,学者などからは,岡山弁護士会が準備している医療ADRに強い関心が寄せられるようになってきた。医療過誤事件は,常に1件ぐらいを持っていて,現在も2件の訴訟事件を抱えている。常に患者側代理人として対応してきた。医師と患者は一度は強い信頼関係の中で,命と健康の運命を他方に預けるという関係にありながら,生じた結果がかけがえないものを失うということになったがために,不信感と怒りとに包まれた関係になってしまう。良心的な医師であれば,そのことを率直に謝罪し,多くの場合患者側も納得することが多い。しかし,現実にはそうした関係であったとしても訴訟にまでに発展することは珍しくない。そんな関係を,医療ADRで互いの自主交渉のなかで解決されていくとになればと思っている。

訃報2件を聞いた。同期の元検察官だった人,この人の奥さんは同じ岡山修習であった。もう一人は友人弁護士の奥さんである。二人ともガンでの死亡である。「死」という話題が珍しくなく,自分の周りでもかわされるようになった。

今日の夜は,ワイズの例会であった。チャイルドラインの活動をしている方のスピーチがあった。疲れた子どもたちの姿,親から家族としての生きる方法を教わらないまま親となっていき,その子らが次の世代を育てるという悪の循環に陥ってしまっているように思われた。親が子の危険を守り抜き,知恵によって生き抜くことのできる力を子に伝承していくという基盤が失われているように見える。子どもが危ないのはその子の次の世代が危ないのであり,人類が危ないことである。

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