「脳死」が「死」でいいか

2009年6月20日

「死」の定義は現在は法律にはない。但し臓器移植の場合は「死」と扱ってよく,臓器の取り出しにはガイドラインが設けられている。「死」についてはそれ以上に定義する必要はなく,自然に誰でもが死と認識できる状態を「死」と受容してきた。しかし,臓器移植をめぐってはそれだけでは満足できない状況がある。一方では,一時でも長く生きていて欲しいと願う人々がいて,他方で一刻でも早く新鮮な臓器が必要であって,少しでも多くの臓器提供が必要とされて待っている人々がいるからである。いままで,死と考えらっれてきた「死」と臓器移植との二律相反の要請をうまく取り入れてをいるのが今の法律であると評価していい。

しかし,今回の法律は,臓器移植の場面ばかりではなく,一般的に脳死を死と定義してしまうものである。「死」は法律上では重要な効果をもたらす。相続は「死」によって開始し(民法882条),「人を殺した者は」(刑法199条)殺人罪で処罰される。すでに死んでいる人を刺しても決して殺人罪になることはない。どちらが早く死んだかによって相続権者が異なってくる場合がある。すでに死んでいたか、まだ命があったかによって、同じ刺す行為でも適用される法律が大きく異なる。脳死の人の生を奪っても死体損壊であって,決して殺人罪とはならない。それでいいのだろうか。脳死の人を看病しているのは,死体を看病しているのであって,全くもってこっけいな行為なのだろうか。臓器移植を推進しようとする反面,なにか恐ろしいことを決定したのではないかと思えてくる。

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