「熱く語る会」で熱く?なった

2009年6月26日

23日の夕刻、岡山弁護士会の若手弁護士の「熱く語る会」のスピーカーを頼まれて、話をする機会があった。法曹人口が急増し、岡山弁護士会程度の規模でも同じ弁護士会の弁護士の名前すらわからなくなってしまっている。そんな状況のなかで、若手の弁護士が弁護士会の歴史、先輩弁護士たちの仕事を知ろうとこのような会が企画されていたのである。こんな会合をしているなどとは今回に至るまで知らなかったが、こうしたことは是非必要だと考えていただけに、私にとってもとても嬉しい企画であった。

この企画の趣旨は、話題はフリーであるが、今までの弁護士としての活動を振り返って、次代に伝えたいメッセージを残すということだったのだろうか。ビデオ録画もしていて、なんだか死を近くして遺言でも残しているような、あるいは弔辞の資料にでもつかわれるのだろうかと思ったりもする。一応の話と質疑があったのち、会場を移しての懇談会である。ここでは、参加者が一人一人感想を述べるとともに、なかなかシビアな質問がなされ、それに答えていくと言う趣向であった。本当に「熱く語る会」であった。

そのせいか、昨日は朝から体がだるかった。寒気を感じたりもしていた。早めに帰宅して体温を測ると38度以上も熱がでていた。「熱く語る会」で熱くなってしまったのかも知れない。ここのところ出張もいろいろとあったり、土日もほとんど休むことがなかったりとハードなスケジュールが続いていた。おそらくそうした疲れのなかで、体温の調節機能に変調をきたしたのだろう。昨夜はぐっすりと眠り、眠っている間に汗もぐっしょりとかいていた。気分良く目が覚めた。少し、ゆったりと休暇を取った方がいいかなと思っている。

以下は、熱く語る会でのレジュメである。

1弁護士が初めて街にでたころ

刑法改正阻止運動 
  資料5「佐伯千刃先生の死」(マチベンのリーガルアイ)
刑法典ができて100年、大きな改正はなかったが、日弁連が国民世論に訴えかけて、形の重罰化、処罰の拡大、保安処分の導入を図った刑法改正草案を廃案に追い込んだ壮絶な戦い。そのなかでの街頭ビラ配り、県民集会、裁判劇、意見交換会など。現代用語化で決着。弁護士会の人権擁護と社会正義実現のための活動

2弁護士になったころ
倉敷公害事件 患者会がやっと結成されていた。水島のスタッグフレアはあやしく夜空を照らし、地域は異臭が漂っていた。急性のぜんそく患者が発生。
弁護士バッジもこないうちに総評弁護団の腕章をつけて広島の教育会館での宿泊
森永ヒ素ミルク中毒事件、岡山での初めての本格的弁護団結成事件

3消費者事件といわれるようになるまで
  日弁連に消費者問題対策委員会ができたのは昭和62年のこと

  豊田商事事件を契機として生まれた。

           資料3「豊田商事被害者岡山弁護団」

  1989年松江での人権大会
      
ラルフネーダー   「情報公開は民主主義の通貨」

      消費者庁構想の提言

  先物取引、証券取引、霊感商法、クレサラ、消費者教育、消費者法学会

4忘れられない出来事
  

霊感商法、、、、今も続く統一教会とのバトル

          資料1「弁護士知られざるたたかい」(国民生活1989、8月号)

  青春を返せ裁判

          資料2「私たちのプロジェクトX」

  
すれ違ったオウム真理教事件

          資料4 サンデー毎日、1989,11,12号

  訴訟費用の敗訴者負担問題 
  
政府提出の法案が廃案となる快挙、再び国民の声とともに

5、共有したい弁護士魂
大量増員時代を迎えて、   

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