「天声人語」

2009年7月26日

朝日新聞のコラム「天声人語」はよく入試問題に引用されていた。それだけクオリティがあり,そこには,一つの「正解」が述べられていたからだと思われる。しかし,最近はときどき首をかしげたくなるような表現,論調がなされていることもある。前にも一度このブログで天声人語の記述に異議を述べていたところ,多くの人も同様の感覚をもっていて,ついには表現に不適切なところがあった旨,後日,謝罪があった旨の記事が掲載されていた。社内の人材不足なのだろうか,質の低下なのだろうか。

今朝の天声人語はもまさにその一つあると思う。まずは論旨が不明である。何を述べたいのかそのことが明確でないのである。論調は我田引水といってもいい進め方であった。私が弁護士で,「ろくでもない議員,ろくでもない弁護士」などという表現が特に感覚を鋭敏にさせたのかもしれない。確かに問題議員や,問題弁護士がいるのはそのとおりである。しかし,問題社員を抱えている会社もあり,警察官もいるし,先生もいる。ここで「ろくでもない」という表現を使わなければ全体の文章が書けなかったのだろうか。こうした書き方は,天声人語に求めていた格調を著しく損なうものではないか。

「枯葉マーク」が不人気なのはデザインのせいではない。年は気にしたくないと思っている高齢者に,一律年齢で必ず表示することを義務付けていることが問題なのである。こうした微妙な心の綾を理解できない人たちが信頼をしていた天声人語の書き手となっているのだろうか。弁護士バッジは,職務を行う時は着用が義務化されている。バッジは,裁判所,警察署などの場において,弁護士であることを知らせる見分けの意味がある。弁護士であるからこそ,接見交通権があり,対応する相手に弁護士であることを証明する手段となるのである。また,バッジを着けているときは,それなりに緊張感をもっている。弁護士として社会的信用を失う行動があってはならないと自覚しているからである。出張で,行きはバッジを着けているが,帰りは裏返すことがよくある。仕事を終えたという開放感を味わいたいからである。浅い考察で,むりやりこじつけの論理展開に,いきなり「ろくでもない弁護士」では天声人語らしくはなかった。

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