労働事件にも市民の司法参加

2009年8月8日

先日,裁判員裁判で初めての判決がなされた。まずは,理想的な審理がなされたように思えた。裁判長の是非とも評価される裁判にしようとの様々な配慮が伺われた。結論についても多くの人たちが納得できるものであった。司法への市民の関心が高まったといえる。個人的には,被害者の訴訟参加制度には疑問を持っている。被害者の憎しみを司法にぶつけることによって,被告人の刑に変化をもたらすことになるのは,違うのではないかと思うからだ。今回の刑も被害者参加によって,いくぶんか量刑に影響をもたらしたと言えなくもない。

きょうは,労働審判事件を経験した。経営者側,労働側からそれぞれ選ばれた民間の人と裁判官によって労働事件を審理する手続きで,3回で審理を終結することを原則とするものである。初回期日であったが,冒頭の30分ぐらいで事実関係の確認がなされ,その後に直ちに調停手続きがなされ,裁判所から調停案が示された。次回はその調停案について受け入れるか否かを双方が検討してくることになった。専門家(スペシャリティ)による早期の(スピード)事案に即した(スータビリティ)解決をという3Sの特色をもった司法改革運動のなかで生まれた制度である。裁判官に任せないで,民間の人に手続きにはいってもらって解決するという意味では,これも市民の司法参加の一つである。労働側委員,経営者側委員からも審理において適切な質問がなされていた。しかも必ずしも労働側委員からの質問が労働側に有利だとは限らなかった。結果として,なかなか味な調停案が示されたと思う。労働事件は,まさに生活の糧に直結する事件であることが多い。こうした形で問題解決がなされることは,この種事件の解決にとってもっとも好ましいことであると思った。労働委員会の機能が十分に果たせていない現状においては司法での便宜な解決により信頼がおけると考えられる。

司法への市民参加の方法として、英米法では陪審が、大陸法系では参審と言う制度がある。裁判員制度は、市民参加を認めつつも、裁判官の影響をできるだけ残したいというもので陪審と参審との中間的な制度である。労働審判制度は、この分類からいけば参審であると言っていい。フランクフルトで労働裁判所を訪問したことがある。日本と同じように労働側委員と経営者側委員と裁判官の3人で審理されていた。申立の段階で労働側には所属する労働組合の専門職員がついて論点を整理し、事実主張もまとめられ、直ちに審理に入れる状況になっていた。やはり3回程度で結論がでるというものであって、日本のこの制度は、ドイツの労働審判がモデルではないかと思う。

日本の民法は、明治の近代幕開けにフランス法を下敷きに、刑法はドイツ法を参考に作られた。戦後の憲法は世界の人権宣言の集大成として英米法の強い影響を受け、訴訟法などは英米法が基軸になっている。こうして日本の法制度はさまざまな出自を背景に日本の文化の一つとして、絶妙なバランスを保ちながら生まれてきていることを知らされる。

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