仮処分審尋

2006年9月2日

昨日中に提出を予定していた書面を朝から準備していた。既に前日の夜に8割方完成していたのであるが、引用資料などをチェックしているうちに労働仮処分事件の審尋期日の時間となってしまった。この審尋が初回期日なのであまり時間がかからないで終了かと思っていたいたが、あにはからず閉庁時間までの時間を目一杯つかってしまった。このあとの次回期日対策の打ち合わせと続き、ついに提出予定書面は未完成で、提出できずと言う結果であった。しかし、なんとか打ち合わせ後の時間を使って完成させ、本日休日であるはずの裁判所、相手方弁護士事務所にFAXで送付した。それなりにすっきりした気分となった。rnrn昨日の労働事件はほんとうにひどい事件だ。就業規則にもない処分内容を懲戒処分だとし、労働基準法にも違反した減給処分を課している。処分事由はまさにでっち上げでそれを取り繕うために生活の糧を支配して陳述書の作成を迫っている。こういうところで働く従業員はたまったものではない。いまだに専制君主のごとく従業員を自分の思うがままに動かさなければ気が済まない経営者がいるのは驚きだ。少なくとも今回処分を受けた6人は優秀な技能を持った労働意欲のある人たちであり、もったいない。こうしたことが続けば消えゆく企業となってしまうだろう。仮処分の審尋なので法定内に設置されているラウンドテーブル(楕円形の円卓)で行われ、傍聴席に事件当事者が座る。当方は、事件関係者以外の組合役員も当初は同席した。会社側はこれをみて圧迫を感じるからと退席を求めた。法的には当事者でないので退席すべきなのだが、給与を一挙に3分の1減給してしまうような処分を受けてびくびくする気持ちで、やっとその場に出頭しているのに嫌がらせのような会社側からの意見には素直に応じるという気持ちにならなかった。そこで、それなりの理屈を述べて反論した。こうして緊迫した雰囲気のなかでの審尋となった。この間、たぶん私の血圧はあがりっぱなしではなかったか。rnrn帰宅すると、月に一度妻の所属している教会の牧師やなんらかの形で教会に繋がっている人たちが集まり、聖書の話をきいたり歓談する会が持たれていて私も参加した。岡大に近いのでガーナなどからの留学生の人たちも参加して英語とへんな日本語のとびかうとても楽しい会である。この時は、ユダの裏切りの話で盛り上がった。ユダによる福音書が最近発見され、「私こそ、もっともイエスに忠実な弟子である」との記載がダ・ヴィンチ・コードとともに話題を集めただけに興味はつきない。神は天地創造の時からユダの裏切りを予測していたのか、裏切りのユダをなぜ使徒としたか、ユダは旧約聖書の内容を知り、裏切ることが自分の使命だと知っていたのではないか、ユダは救われたのか、自殺したユダに救いはあるか、死後の救いはあるか、あるとすればなぜ現世において信仰をもつのかなどなど、、この回答のでない論争?を整理していたのは「福音を前提とした教理的な考え」という牧師の意見であろうか。4世紀ごろにまとめられた変わらぬ聖書の一字一字がこうして今も世界のあちこちで読まれ続け、昨夜もこうして話題にされてきている事実は不思議である。

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