刑事訴訟に被害者参加

2007年6月21日

刑事訴訟手続きの中で被害者が求刑意見を述べたりすることのできる制度が参議院を通過し,法律が改正された。つい先日,交通事故刑事裁判を担当していたが,その検察官申請証拠の被害者調書のなかにわざわざ「被告人を懲役5年にするのが相当」という意見の記載があった。明らかに検察官が自ら求刑する意見を先取りして被害者にその意見を言わせ,今回の制度を先取りすることであった。

刑事裁判は感情的に被告人を論難する場ではない。被害者の鬱憤を晴らす場でもない。冷静に事実を認定し,法的に必要な刑事罰を適正な手続きのなかで宣告するものなのである。今度の法改正はまるで魔女狩り裁判の雰囲気を再現させるような刑事裁判手続きではないか。2000年前イエスキリストを,当時の総督は単にユダヤ教と異なる信仰であるという理由だけでは罰することはできないと命を救うことを考えたが民衆の怒りのなかで磔の刑にすることになったことと同じ風景が見えてこないか。服役後えん罪であることが明らかになった富山の婦女暴行事件のようなことが裁判所で再び起こされる結果が生じないか。そのことが心配である。

さらに裁判員裁判が始まれば,被害者の生の被告人を強く非難する声が真実を見つめる目を眩ますことはしないか。裁判員制度はこうした偏った判断でえん罪を生んだ反省のなかから生まれたはずである。そのことの反省を検察官,裁判官は十分にするなかで,裁判員制度を運用しなければならない。今はどうすれば有罪判決を確実にとれるようにするかという側からの検討が先行している。怖い話ではないか。さらに、山口県光市の事件では弁護している弁護士に対してマスコミも先頭にたって激しい攻撃がなされている。弁護活動そのものについてこのような攻撃をすることが、憲法に定められた適正手続の保障をないがしろにし、司法の否定につながっていくことの危険性を考えなければならない。

日弁連会長の声明の一部である。「被害者参加制度は、犯罪被害者等が自ら、被告人や証人に問いただすこと、さらには求刑をも可能とするものである。犯罪被害者等の心情を被告人に伝える手段として、既に認められている意見陳述制度に加えて、さらに、犯罪被害者等による尋問や求刑ができる制度を認めることは、客観的な証拠に基づき真実を明らかにし、被告人に対して適正な量刑を判断するという刑事訴訟の機能を損なうおそれがある。こうした懸念は、一般市民が参加し2009年から施行される裁判員裁判において、より深刻なものとなる。 」

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