重い1日

2006年9月12日

疲れは、1日の労働時間に比例するのではなく、事件の重さに比例してその感じ方が増減するようだ。昨日は、刑事事件の控訴審のことを書いた。わずか15分程度のできごとであったが、それまでの準備時間や今後の進行にどれだけ当方の主張を組み入れることができるかなど考えながら対応し、公判は緊張した時間を過ごす。このような場合は終わった時に開放感と疲れと両方を感じる。この疲労感は今日も続いていた。そして午前中は不当労働行為を理由とする懲戒処分無効を前提とした給与の支払いを求める仮処分事件の審尋であった、たっぷりと1時間30分をかけての審尋であった。今日の証人は相手方証人であり、この反対尋問のために日曜日に関係者と打ち合わせをして準備をした。裁判官のざっくばらんな意見で懲戒処分自体は無効といわざるをえないのではないかとの現段階での考えをストレートにだした。そして双方に話し合いを進めたのであった。まだまだ裁判官は社会の実情を知らない。組合つぶしのために懸命にふりあげた槌はそう簡単に会社側はおろすわけはないではないか。話し合いということは処分撤回が当然に条件となり、とても会社側としては受け入れるはずがないのである。今日のやりとりも疲れる内容であった。rnrn午後からは、高校の野球部での事故に関する裁判の第1回目であった。事故の態様そのものから争ってくる。なんとか、まずは県側に安全対策の内容について答えさせようとやりとりのシュミレーションをして考えていたがこれには裁判所も相手方も乗ってこなかった。一般の理屈からすれば仕方がないことであるが、いろいろと作戦を考えていたことだけに終わってみると疲れるものである。rnrnさらに、それが終わってから、前から面識のある外国人が岡山でビジネスをしていて、そのビジネスを円滑に第三者に譲渡したいとの相談であり、わざわざ横浜からきた譲り受け人予定者、当方の本人を交えての交渉であった。日本語がかなりうまい人ではあるがその人の育った環境、文化の違いから言葉は互いに理解できてもその持つ実際の意味内容と伝わるニュアンスに幾分違いを感じざるをえなかった。互いに誤解のないよう第三者的に言葉を調整していかなければならないことに大変な疲労感を覚えた。互いに善意ではあってもビジネスは完全に契約の意義は共通化しておかなければならない。rnrnそして最後は、1審で勝訴しているのだが、相手方が特異な性格の持ち主で、控訴した後膨大な量の書面を提出し、おなじことばかり繰り返し主張してきている事件がある。相手方はどんどん書面をだしてくる。答弁書をいつまとめて書こうかと悩んでいる事件である。とりあえずこの答弁書を書き始めた。書き始めるとはやい。手を着けるまでが嫌な事件はどうしても後回しになって準備を完了するまでに時間がかかることになる。これも疲れる事件である。rnrn後ろ頭が重く感じる。疲れているのである。そうだ、今朝は降圧剤を飲み忘れていた。

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