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天使かよ! 山田耕司『不純』は非常によいBLだからぜひ読んでみてほしい

※BLが好きでなおかつ俳句にもちょっと興味がある方向けの記事です。俳句が好きでBLにもちょっと興味がある方にもお楽しみいただけるかと思います。能村登四郎沼の歩き方続・能村登四郎沼の歩き方も併せてどうぞ。

Photo by Alessandro De Bellis on Unsplash

友人Mによると最近の石油王は受が主流(注1)なのだそうです。

向日葵よ目隠しは本当に要らないんだな  山田耕司『不純』

これはMさんが石油王受に認定した句です。
尋ねられている方が石油王ということですね。ほほう…。

目隠しをするシチュエーションとしてわたしが最初に思い浮かべるのは処刑ですが、「本当に」なんて念を押して質問している(=コミュニケーションが成立している)ことで緊迫感は弱まりどことなく間の抜けた性愛の場面のようにも思えます。
よしんば、
「目隠しなんかいるか。さっさと殺せ」
「おいおい。お前はそうやっていつも俺の親切心を踏みにじるんだ。せっかく用意してやったのに。本当にいらないんだな?」
という処刑の場面だったとしても、いや……むしろ完全にBLですね。(注2)

Photo by Rishab Lamichhane on Unsplash

能村登四郎を耽美的な翳りを帯びたJUNEとするならば、山田耕司さんの俳句はBL的な明るさとユーモアに溢れています。ちょっと極端な例を比べてみますが、

夏痩せて少年のゐる樹下を過ぐ  能村登四郎
鷹の眼をもつ若者とひとつ湯に

といった感じで年嵩の男から若者を眩しく見がち(ベニスに死すか!)な能村登四郎に対して、山田耕司は、

春それは麦わらを挿す穴ではない  山田耕司
つむじ嗅ぐ理由など知らず卒業期
泣く人に海鼠を見せてをりました
みつ豆の叱る側だけ泣きながら

こんなふうに同年代の男の子ふたり(年齢の近い先輩後輩?)のじゃれあいっぽい句が目立ちます。
もうちょっと引用するからとりあえず読んでみて。(以下引用はすべて山田耕司『不純』より)

濡らさるるこの奥ゆきをところてん
名月や背をなぞりゆく人の鼻
重陽の嗅ぎつくしてもなほ二人
乳首など要らぬといふを鳥わたる
耳咬むに至らず会釈春隣
妙な声出すまで春の泥うがつ

どうだ。
読んでるこっちが妙な声出ちゃうだろう。

とくに「ところてん」は直截的すぎてどう受け止めていいかわからない。(注3)

もうこれだけで『不純』が男×男として読むことで輝きを増す句が多い句集っぽいぞ! というのは十分にお察しいただけるかと思いますが、『不純』の面白い点は「そもそもこのひとたちは人間なのか」という疑問がわいてくるところです。わたしは男同士が好きだから男同士だと思って読んでるけど、性別以前の問題として、ヒトだと思っていいんだっけ、という。
というのも、まるで自分の肉体を珍しがるような句がたくさんあって、

たんぽぽに穴ある顔を寄する吹く
顔に穴があるのは当たり前では……?

鼻のあなに舌はとどかずヒヤシンス
試した。うん。それ試したよ子供の頃。

いきんでも羽根は出ぬなり潮干狩
それは試したことないな。むしろなぜ出ると思った?

河童忌を吐かずにゐられなくて息
吸って吸って吸って止めてたん?

囀りやくちびるもまた穴のふち
いろんな穴にいろんなふちがあるよね!

眼の球はぬれつつ裸ふきのたう
なぜそんな純真な目で下ネタに寄せるんだ。

豆の花おのが耳穴は覗けず
ってかお前、穴が好きだな。

つちふるやたて線上のここは臍
お外ではお臍しまってもらっていいかな?

座布団は全裸に狭しほととぎす
着て!

突っ込みを入れながら読んでしまいますが、この(ヒトの肉体を珍しがるような一言)+(季語)の組み合わせ、めちゃくちゃぐっときませんか。おかしなことを言っているというのに、季語との組み合わせが絶妙でピュアな透明感ときらめきが溢れてしまう

自分の肉体を不思議がるのは人間の肉体を得てから日が浅いひとの感覚ではないかと思います。子供とか、天使をやめて人間になったとか。そういう意味では推しが人間界に暮らすことになった天使や悪魔という方や、モノや概念(鉄道・武器・国 etc…)の擬人化ジャンルを愛する方ならなおさら楽しめる句集かもしれない。(注4)

山田耕司句集『不純』が気になったら、ぜひ週刊俳句の下記の回を読んでみてください。

第594号 2018年9月9日
佐藤文香プロデュース
特集 山田耕司句集『不純』を読む

版元のサイトはこちら

(注1)その後調べたところ石油王受のサンプル数が少なかったため石油王受が主流とまでは言い切れないとの訂正が入りました。「私の好みというバイアスがかかっていましたことをここにお詫びします」友人M談。
(注2)当方光属性のため、このあとの展開は「クソッ。サプライズが台無しだ」と言いながら目隠しを床に投げつけてポケットから指輪を出したところで処刑されかかった方のひとに「ふざけんな」って蹴り飛ばされるといいと思います。
(注3)竿に触らずに菊門の刺激だけで腎水が出ちゃう方のところてんを想像せずにはいられない! と識者の間では有名。
(注4)俳句の本を読むとき、「イメソン」的なものとして「イメ俳」を探すと楽しいです。

続・能村登四郎沼の歩き方

  Radek Pestka

能村登四郎が気になり始めたみなさんにちょっとショックなことを言います。
能村登四郎先生ってね、故人なんです。2001年に90歳で亡くなりました。
つまり新刊が出ません!(イヤァァァァァー!!!)

でも。

新刊は決して供給されませんが、生涯に句集が14冊(!)も出てるので泣かないで。わたし自身全然目を通せてない部分もいっぱいある。見逃してる名句が山ほどあるに違いないので、みんなで大事にdigりましょう。

さて、前回は第3句集『枯野の沖』第5句集『幻山水』を中心に紹介しました。
今回は第8句集『天上華』第9句集『寒九』から紹介していくよ。

1. やっぱり僧が好き『天上華』

能村登四郎といえば僧侶俳句。僧侶が登場しない句集は第2句集の『合掌部落』だけ。(合掌部落にも僧侶俳句あったよ! という場合は教えてください)『天上華』には「美僧」が登場します。

春怨 昭和五十九年
逃げ水に逃げられて逢ふ美僧かな
 逃げ水は春の季語です。春の陽気。逃げ水を追いかけるように歩いていくと当然その逃げ水は消えて、そこに立っていたのはひとりの美僧。「美僧」でも「僧侶」でも音の数は同じなのに、敢えて「美僧」と言いたかったんだね。「杉の花降らす杉山に僧入れば」と並んでほとんどファンタジーの世界。

竹皮を脱ぐや僧衣も脱ぎすてに
 全集で読むと美僧を出したのと同じページにこの句があるんですよね。さっきの美しい魔物のような美僧がバサッと脱ぐとこ想像してしまう。グッジョブとしか言いようがない。発光してそう。

一雁 昭和五十六年
滝行のすみし火照りとすれ違ふ
 この句も僧侶俳句と考えていいかもしれない。滝の冷たい水に打たれた後の身体から「火照り」を感じた。っていうか火照りを感じる距離なのかよ。こういう能村登四郎の前のめりなところが好きだ。

午後からの雪 昭和五十七年
削るほど紅さす板や十二月
 ひええ! 色気がやばい! 鉋ををかけて木の肌を削っていくとだんだん赤みが見えてくる。単に木工の様子を言っているはずなのに艶やか!「紅さす」という言葉は口紅を連想させるし、人の肌が紅潮することも思わせる。「十二月」なんて素知らぬ顔で時候を季語として置いていくさりげなさが憎い。能村登四郎の句には、
身を裂いて咲く朝顔のありにけり『寒九』
散りしぶる牡丹にすこし手を貸しぬ『菊塵』
のように「美には痛みが伴う」とでも言いたげな句がときどきありますよね。滝行の句にもほんのりその空気は感じる。BDSMじゃないですか。

天上華 昭和五十八年
宿敵のゐるはるかへと豆を打つ
 ぜひ「敵手と食ふ血の厚肉と黒葡萄」とセットで読みたい。豆まきの豆を宿敵のことを思って撒くけれど、その宿敵ははるか彼方にいる。もう二度と会わない相手なのかもしれない。すでに近くにはいない宿敵にわざわざ豆を撒く必要ある? 追い払う気あるんだろうか。むしろ気づいてほしいという祈りなんじゃないのか。まるで教室の少し離れた席に向けていたずらで投げる消しゴムみたいだ。無視すんなよ、俺にかまってくれよ、お前と喧嘩できない人生なんてつまんねえよ、と。

仕置場にやや似て寒の水垢離場
 仕置場というのは処刑場のことなんだそうです。水垢離の過酷さを処刑場にたとえている。それってちょっと不謹慎ではないでしょうか。不謹慎なのは妄想がはかどりすぎるわたしでしょうか。BDSMじゃないですか。(2回目)

少年のわれゐて蝌蚪を苛(さいな)める
 蝌蚪(かと)、オタマジャクシのことですね。春の句ですよね。田んぼのわきにしゃがみ込んで棒でオタマジャクシの群れを散らして遊んでるんでしょうね。お日様の下でするちょっぴりうすぐらい遊びです。なぜだろう、そこはかとなく性的なものを感じる。お察しいただきたい。

たらの芽や男の傷は一文字
 男の! 傷って! なんですか!?

2. 『寒九』−−いまさらの「男同士もいいなあ」

昔むかし 昭和六十一年
男同士もいいなあと見て松の花
『寒九』のいちばんの突っ込みポイントは「男同士もいいなあ」です。
いや、知ってるし! ずっと男の美ばかり語ってきたじゃん、あなた!
でも、リアルタイムで作品を追っていたファンは「ふうん?」ぐらいでスルーしたかもしれません。毎月少しずつ読んでいたら、他のいろんな句にまぎれて男同士の熱い句が多いことに気づかなかったんじゃないのか。気づいたとして言いにくかっただろう。

芭蕉わすれ 昭和五十九年
夏果ての男は乳首のみ老いず
 能村登四郎、老いと若さを語りがち。この句では乳首に着目した。いやしかし、これは良さを語りにくい句だよ、即物的すぎて。夏の終わりだから夏痩せもあるのでしょう。枯れたような上半身に、ただ乳首だけは若き日とおなじ佇まいで存在している。ご自身のことをお詠みになったと考えるなら「妖艶」と言ってしまうのは憚られるけれども、故人だからいいですか。ちなみに下半身にフォーカスした句もあります。
今にある朝勃ちあはれ木槿咲く『菊塵』
こんなことも言っちゃう。
夏痩せて身の一筋のものやせず『民話』
えー……。

心づくしの秋 昭和五十九年
鷹の眼をもつ若者とひとつ湯に
 関係性を語れる句はいいな! 鷹のような鋭い眼をした若者。それを見ている自分も湯に浸かっている。二人とも裸で。「鷹」はいちおう冬の季語だけど、比喩として使われているから実在の鷹のことは詠まれていない。実質無季ですよね。だけど「鷹の眼をもつ若者」に生々しい実在感があって読者の脳裏に情景が広がる。語り手が若者を見ているということは、若者もまた語り手である年上の男を見ているわけです。鷹って捕食者ですよね。やだ〜〜〜! 食べられちゃう〜〜〜!

湖の地蔵盆 昭和六十一年
素裸の僧ゐてやはり僧なりし
 僧侶が僧衣を着ていれば当然僧侶に見える。しかし僧衣を脱ぎ捨てて素裸になってもやはり僧侶に見えると言う。これも無季っぽく見えますが「裸」が夏の季語です。素裸であってもそのひとの立ち居振る舞いがどこか僧侶らしいのだろうか。僧侶以外でスキンヘッドにするひとは目つきが極端に鋭かったり彫物があったりするから(※仁義なき戦いシリーズを何度もリピートしているひとの意見です)そこでなんとなくわかるのかもしれない。「裸」という季語を使う人は多いけれども、「裸の僧侶」について言及したのは能村登四郎ぐらいのものではないでしょうか。

はい。
ということで今回は以上です。
先日友人のMさんとメッセージのやりとりをしていてこんなことを言われました。

「能村登四郎の俳句ってBLというよりむしろJUNEなのでは」

そうだ。
ハッとしました。
植物に託されたエロスのむせかえるようなキラキラ点描世界はたしかに “JUNE” だ。男性美や男性同士の関係性が読み取れるとわたしは自動的に “BL” って言ってしまいがちだけど、能天気にラブラブハッピーだったり受がでかくてごつくてオラオラしてたりする “BL” が生まれる以前の空気感が能村登四郎の作品にはある。

それじゃあ、もっと現代の “BL” っぽい俳句を作る作家さんはいないの?

え。
いるじゃん。

少年兵追ひつめられてパンツ脱ぐ 山田耕司

どうですか。
九州男児先生を思わせるこのギャグ漫画っぽさ。
次回、山田耕司さんの俳句を紹介します!!

第3回超人 #タッグマッチ句会 プレイバック

恒例になりつつある古本斑猫軒店主ミコシさんとわたくし石原ユキオの句会プレイバック対談、今回は2019年11月〜12月に開催された第3回超人タッグマッチ句会の俳句を振り返りたいと思います。

タッグマッチ句会とは

「タッグマッチ句会」とは、二人一組で参加する句会です。共作した句を投句し、選句・選評も二人で相談して行います。

兼題は【食べ物しばり】【別に】【加湿器】。2名1組のタッグチームが兼題を含む4句を共作し、代表者がシステム上から投句しました。
句会参加者は特選1句、並選12句をタッグで選ぶというルールですが、我々もだいたい同じくらいの数を選ぼうということで各自特選1句と並選6句を選びました。

(CM)石原の句も掲載されてる『俳句は入門できる』をよろしくおねがいします。

ミコシ(古本斑猫軒)選
【特選】
記憶する水の冥きを鮟鱇が  (クリームソーダ)
【並選】
寒昴アル・アヒージョの海老縮む  (Jサポーターズ)
風花や霊柩車から空撮る子  (Jサポーターズ)
一匙の羊の脳やクリスマス  (ヘル⭐︎コンビ(from Hell))
年の瀬のトングの掴むちくわ天  (モストドンジャラスコンビ)
加湿器に重くなりゆく楮紙  (けむ子とめぇ子)
加湿器にバリスタのつぐ美しき水  (馬鈴薯姉弟)

石原ユキオ選
【特選】
どのポケットに手を入れようか寒鴉  (ヘル⭐︎コンビ(from Hell))
【並選】
小春日のフィレオフィッシュの軽さかな  (ゴールデン💘アローズ)
くらやみにトマト缶ある寒さかな  (ペーパードライヴァーズ)
タッパーのさまざま集い聖夜来る  (閉所と暗所)
雪女遅れます先はじめてて  (ラブ&サンダー)
ふりかけのをはりは粉よクリスマス  (たいやきズ)
湯気立てて職員室は明るい部屋  (ペーパードライヴァーズ)

かっこ内は(久しぶりに見るとぎょっとしますが)チーム名です。並選は選句用紙の番号順に並べました(川柳の句会みたいに評価の高い句から順に並んでいるわけではない)。

八宝湯ぜんざい

不穏なので特選にしました

どのポケットに手を入れようか寒鴉  (ヘル⭐︎コンビ(from Hell))
[ ユキオ特選 ]

ユキオ これ自分がポケットの多い服を着ていて「どのポケットに手を入れようか」と言っているのか、そこらへん歩いてる人の誰かの「どのポケットに手を入れようか」なのかどっちかわからない。他人のポケットに手をいれる話としたら、これって…
ミコシ スリですよね。
ユキオ そう。あるいは、ポケットの中で手をつないだりすることを考えて、適当にそこらへんにいるひとと不適切な関係を結んじゃおっかな的な、そういうのも感じて。
ミコシ すごい。特殊な読み方だな。
ユキオ なんかひととの距離感がいきなり変になる句じゃないですか、後者の読み方をすると。寒鴉という季語ゆえに不穏な読み方を誘ってしまうのだと思います。寒々とした街でスリを働くのかあるいは…
ミコシ そうか。ここは寒鴉じゃなくて何か穏当な季語だったらシンプルに。
ユキオ そう、シンプルに自分のポケットって思っちゃうかもしれない。でも自分のポケットってどれに手を入れようって思いますかね。ズボンかジャケットかぐらいしかない。だからどうしてもこれは他人のポケットを考えてしまいますね。

記憶する水の冥きを鮟鱇が  (クリームソーダ)
[ ミコシ特選 ]

ミコシ 今回の句の中にこういうザ・不穏! ていう句があんまりなかったということもあってこれが際立って見えました。あと、倒置法ですよね。
ユキオ 水の冥きを鮟鱇が、記憶する。
ミコシ 普通に語順を入れ替えて「鮟鱇が水の冥きを記憶する」でも成立する。というか、むしろ文章としてはそっちのほうが正解なんだけど。敢えて倒置法にしたことで鮟鱇の水底の暗いところにいる感じが出たと思います。ここは鮟鱇という文字は一番下に持ってこなきゃだめだ、という妙な納得をさせられました。
ユキオ 「記憶する」で切れて「水の冥きを」で切れて「鮟鱇が」でまた切れる、ぶつ切り感がありますけど、でもまあ鮟鱇ってぶち切られてますしね。
ミコシ 誰かも言ってたかもしれないけど鮟鱇って「吊るし切り」で解体されるんですよね。その感じと言われたらそんな気もする。語順を入れ替えたことにも意味があるように見えてしまう。
ユキオ より凄惨な感じになってるかもしれない。
ミコシ バラバラにされながらも記憶が、意識がまだそこにあるという一種のグロテスクさですね。鮟鱇ってそういうグロテスクなものに似合う言葉な気がするし。

雪女は萌選です

ユキオ 今回「萌選」というシステムは設けてなかったんですけど、自主的に萌選を挙げさせてください。

雪女遅れます先はじめてて  (ラブ&サンダー)
[ ユキオ並選かつ萌選 ]

ミコシ うん、これはシンプルにかわいいですね。
ユキオ なんか「あ~、すみません山田遅れます~」とか「秘書課遅れます~」とか自分の名前や部署名を言う感じで「雪女遅れます」って言ってる。雪女っていう役職の人なのかなとか。
ミコシ どこかで集まって口頭で言ってるのかそれともLINEメッセージみたいなもので言ってるのか。
ユキオ LINEかもしれないですね。
ミコシ このLINE感がどこから出てくるかはちょっとわからないけど。
ユキオ シチュエーションとしては飲み会ですよね。忘年会か何か宴会の前のメッセージ。友達同士というよりお仕事感覚がある気がする。ぬらりひょんの人とかも来ると思うんですよ。
ミコシ うん、来ると思います。
ユキオ そういうかわいい妄想をさせてくれるところがいい。あと雪女の職場での苦労も勝手に考えちゃうんですよ。彼女は季節労働者なので一年中いるわけじゃない。
ミコシ ああ。仕事で遅れるのかなあ。いま繁忙期だから。
ユキオ そう。夏に働くわけにはいかないですからね。
ミコシ 待ってる側もそんな話をしてるんですね。「繁忙期だからねー」って。

悲しみに対する整理のつけ方

風花や霊柩車から空撮る子  (Jサポーターズ)
[ ミコシ並選 ]

ユキオ いかにもありそうな風景ですが。
ミコシ 霊柩車に同乗しているということは亡くなったのは近親者。気軽に写真を撮るっていうのは割と最近の風俗なのでそこでなんとなくこの子の年代や雰囲気が見えてくる。
ユキオ 中学生か高校生ぐらいでお父さんかお母さんが亡くなったっていう。
ミコシ 一種無作法とか不謹慎とはたからは見えることでも、近親者の中ではその無邪気さが救いになることってやっぱりあるわけで。みんなで沈み込んでいれば不謹慎ではないけど救いはない。そこにいっこ穴を開けちゃう存在でもあるし、この子自身としてはこの子なりの悲しみに対する整理のつけ方なのかもしれない。
ユキオ なるほど。
ミコシ 風花っていう、舞いながら空から降りてくるものと、天に帰っていくものという対比もそこにあると思う。風花という季語を活かしながら近親者であるからこその心の機微を描けていると思います。

ダジャレか事故か

寒昴アル・アヒージョの海老縮む  (Jサポーターズ)
[ ミコシ並選 ]

ユキオ すみません、わたし全然調べなかったんですけど、アル・アヒージョって料理の名前なんですか。
ミコシ 海老のアヒージョのことをガンバス・アル・アヒージョというらしいんですよね。どうも「カンスバル」と「ガンバス(=海老)」のダジャレになってるようなんです。なのでこの句はとろうかどうしようかちょっと悩んだんですよね。季語の使い方どうなん? って。で、仮にダジャレではなくて「寒昴アル・アヒージョ」という架空の料理、「星座のオリーブオイル煮込み」だと解釈してみると、けっこう面白くなるんだけど今度は下五の「海老」が分からなくなってしまうし。じゃあ何故この句をとったかというと、「寒昴」という天体が、バル→アル→アヒ→エビと音の連なりを辿って食卓という地上に収斂する星座っぽさを捨ておけなかったというか。
ユキオ んー……やっぱり言葉に変な負荷をかけすぎじゃないですかね。わたしダジャレの時点でとれないな。
ミコシ じゃあ、この句はどうですか。

小春日のフィレオフィッシュの軽さかな  (ゴールデン💘アローズ)
[ ユキオ並選 ]

ユキオ 手に持ったときの物理的な軽さと噛んだときのサクッとカリッとした軽さが出ていると思いました。この変な明るさが好き。
ミコシ 屈託はないですよね。小春日にちょっとつきすぎてるかなとは思うんですが。そこは見逃していいんですか?
ユキオ 小春日、そうねえ。意外性はないですよね、たしかに。
ミコシ 変にひねってくるよりは屈託のなさという意味ではこのくらいでちょうどいいのかな。
ユキオ そういえばフィレオフィッシュってヘルシーそうに見えてカロリーが結構高いんですよね。白身魚とはいえ油で揚げているので。

ちゃんと調べてみるとフィレオフィッシュ(139g) 341kcal。ハンバーガー(104g)256kcalよりは高いものの、マクドナルドのメニューの中ではカロリー低めでした。

ミコシ 魚といえば。この「軽さかな」って「魚」とかかってると思います?
ユキオ ンッ!? え???
ミコシ 考えすぎ?
ユキオ あああああ。そう考えるととれなくなっちゃいますね。ダジャレかあ、と思うと。寒昴アル・アヒージョもダジャレかあと思うと絶対とれないし。
ミコシ わかる。それも気持ちとしてはよくわかる。
ユキオ いや、でもこっちは事故じゃない?
ミコシ うっかりダジャレかな?
ユキオ うっかりダジャレ。笑
ミコシ ところで昔の言葉遊びでこんなのがありまして。

You might think though today’s some fish.

ユキオ ????
ミコシ これ僕の中学校のときのおじいちゃん先生が教えてくれたんですけど「言うまいと思えど今日の寒さかな」って読むんですよ。
ユキオ へっ???
ミコシ You mightは「言うまいと」じゃないですか。thinkと逆接のthoughで「思えど」。today’sで「今日の」。some fishが「寒さかな」。
ユキオ これはひどい! たいしてうまくも面白くもないしなんでわざわざ!
ミコシ そうなんですよ。おじいちゃん先生がいかにも言いそうなことじゃないですか。
ユキオ たしかに!
ミコシ その寒い感じをフィレオフィッシュの句を見て思い出してとれなかったんです。
ユキオ そう言われるとわたしもとれないな。
ミコシ まあでも事故でしょうね。
ユキオ 事故だと思いたいです。

クリスマスとグロテスクさの取り合わせ

一匙の羊の脳やクリスマス  (ヘル⭐︎コンビ(from Hell))
[ ミコシ並選 ]

ミコシ これ逆にユキオさんとらなかったのが意外です。ハンニバルじゃないですか。
ユキオ あれ。ハンニバルってこんなシーンありましたっけ。
ミコシ そのまんまのシーンはないけど。脳を食べるのと『羊たちの沈黙』じゃないですか。一種のグロテスクさというか。羊の脳はハンニバル食べてないんだけど。選評でもハンニバルって書いてる人何人かいて。
ユキオ んー、なんだろう。クリスマスと羊のつきすぎ感でとれなかったのかな。
ミコシ 羊じゃないほうがよかったのかな。
ユキオ でも羊の脳は食べますもんね、実際。
ミコシ クリスマスにグロテスクなものを持ってきたという面白さ。
ユキオ 羊の脳はグロテスクなのかな。うーん。どこで誰が見た景色を誰が書いてるんだろうって考えちゃうと頭で作った感が出すぎちゃうかなっていう気もして。たぶんわたしハンニバルとか好きだからこそちょっとそこらへんには厳しくなっちゃうのかもしれないですね。

もろびとこぞりて

タッパーのさまざま集い聖夜来る  (閉所と暗所)
[ ユキオ並選 ]

ミコシ この句とろうかとるまいか迷ったんですけど。
ユキオ わたしこの「来る」のところに線を引いてるんですけど、「来る」は余計だなって思ったの。タッパーがさまざま集うっていうのは持ち寄りパーティとか、家族連れ子供連れで集まるパーティかもしれないですよね。聖夜のめでたさをいろんなうちから来たいろんな色の蓋のついたいろんな形のタッパーに託して…
ミコシ モノで示したという。
ユキオ そう。そこが面白い。
ミコシ この「集い」からクリスマスの「もろびとこぞりて」的なものを連想するけど、そこまで深読みすると面白くなくなるのかなあ。
ユキオ さまざまなタッパーが「ある」のではなく「集い」と書くことによっていろんなところから人が集まってきたことが伝わりますよね。何かを持ち寄るという行為自体が東方の三博士が贈り物を持ってやってくる姿を想起させます。
ミコシ そうですね。そこの想起させる部分をよしとするかやりすぎと取るかで分かれちゃったんですね。

加湿器と紙シリーズ

ミコシ 加湿器と紙の取り合わせの句がいくつもあったんですよね。

加湿器に重くなりゆく楮紙  (けむ子とめぇ子)
[ミコシ並選]

加湿器にあたる手紙のやわらかさ  (余花)

加湿器や校正指示を付箋紙に  (クイーン&マダムのダイナマイトお茶会)

ユキオ 加湿器で紙が湿るのってあるあるなんですかね。わたしそこまで加湿器と紙をリンクさせて考えたことがなかったんですが。そんな中ミコシさんが選んだのが「加湿器に重くなりゆく楮紙」。
ミコシ この3つでどれかと考えたときに加湿器との距離感のちょうどいい紙を選んじゃったっていうのが僕の理由なんですよね。楮紙って伝統的な和紙じゃないですか。それと加湿器っていう比較的近代的な機械との取り合わせで面白い紙を選んだという。湿気で重くなるというぱっと見ではわからない、見えない部分への洞察も面白かった。湿ってゆく紙を何で表現するかというところで手紙の句は「やわらかさ」で、楮紙の句は「重さ」で表現している。僕は「重さ」のほうがちょっといいなと思ったんです。ユキオさんは「加湿器」の句だと…
ユキオ 最終的には外したんですけど予選では付箋紙の句をとってました。加湿器と紙の関係が「湿る」ではなくて、発想はそこだったかもしれないけれど、完全に切れて全然関係ないものとして取り合わせられてる。単にオフィスかどこかの景を詠んだだけみたいな。

クリスマスの魔法

ふりかけのをはりは粉よクリスマス  (たいやきズ)

ミコシ これはなんで選んだんですか?
ユキオ スノードームをイメージしたんです、読んだときに。
ミコシ へええええ。そうですか。
ユキオ ふりかけって最初から粉だから終わりだけ粉ってわけじゃないんですけど、終わりって本当に細かい粉じゃないですか。それをさらさらさらさらご飯の上にかける様子とスノードームをひっくり返して雪が舞い降りる様子を重ねて幻視したので。
ミコシ なるほど。わりと特殊な読みではありますよね。
ユキオ ふりかけのことを詠んでいるのに雪が見える。季語がクリスマスじゃなければ雪はイメージしなかった。言葉による魔法を見せてくれたという気がします。
ミコシ この句はすごく「は」行と「り」が多いですよね。音読するとowariwaなんですけど字面で見たとき「をはりは」で。
ユキオ あああー! あれだ! ふはふはのふくろふの子のふかれをり現象だ!(ふはふはのふくろふの子のふかれをり/小澤實)
ミコシ そう。だからはらはら感が出るんですよね、ここに。粉雪が降ってる感が。
ユキオ そうかそうか。それもあるかもしれない、たしかに。

会場:無天茶坊(岡山県玉野市)

句やチーム名の間違いがあればお知らせください。

古本斑猫軒

古本斑猫軒
綺想・幻想・怪奇趣味の文学・芸術・人文書籍。民俗、妖怪、博物学、江戸趣味。レトロな暮しの本、手芸などの雑誌や児童書も。

能村登四郎沼の歩き方

能村登四郎読本

能村登四郎が訪れた金陵山西大寺(岡山市)で撮影しました。

この記事は「俳人能村登四郎は男×男的な意味でたいへん熱い作家だと聞いている」「能村登四郎のライフワークは男性美の追求だったんですよね?」「美僧! 美僧!」というような方向で能村登四郎が気になり始めたひとに向けて書いています。

さて、能村登四郎を読みたいと思ったとき、図書館に行って『能村登四郎全句集』もしくは『能村登四郎読本』を書庫の奥から引っ張り出してもらうことになるのではないでしょうか。全集は完全に鈍器だし、読本にしたって読むところがいっぱいあってどこから手をつけていいかわかんない。ご安心ください。能村登四郎の魅力がぎゅっと凝縮したおすすめの箇所を紹介します。

1. まずは第3句集『枯野の沖』を読もう

悲母変 昭和三十四年
麦刈りの少年の腋毛おどろかす
 三島由紀夫的な!? とツッコミを入れてしまったなら既にあなたは能村登四郎沼の民です。おめでとうございます。

同温 昭和三十六年 – 三十七年
夏痩せて少年のゐる樹下を過ぐ
 完全に夏に負けている老いた自分と涼しげな木陰にいる少年の若さの対比。
シャワー浴ぶ若き火照りの身をもがき
 シャワーを浴びる仕草ってもがいているように見えるかもしれない。それを「若き火照りの身をもがき」と表現してしまう。これも「若くない自分」が「若者」を見ている句と考えていいと思う。水滴を弾くギリシャ彫刻のような肉体を想像させてくれます。
敵手と食ふ血の厚肉と黒葡萄
 ライバル同士で! 血の滴るステーキと黒葡萄を! 食べているんですね! それもまたひとつの闘いのように! 肉と葡萄という組み合わせの地中海っぽさ。やっぱり何かギリシャを感じる。ちなみに能村登四郎が実際にギリシャを訪れるのは昭和42年です。
青年なまめく乾草ぎつしり納め来て
蓼あかし売るときちよつと豚拭かれ
 乾草の句と豚の句はぜひセットで読んでほしい。豚農家の話ではないのだが「ゴッズ・オウン・カントリー」というボーイ・ミーツ・ボーイな映画を観てほしい。汗臭さ+獣臭さ+若さのきらめき。

露一粒 昭和四十一年
冷されし馬なりすれちがひざま匂ふ
 濡れた何かとすれ違うときににおいを感じる俳句というのは、能村登四郎全句集の中でときどき遭遇するのですが、これは馬。「冷し馬すれちがひざま匂ひけり」とか書けば定型に収まるだろうに、敢えての破調。強い意図を感じませんか。字余りによって馬の長さが強調され、馬の頭から首筋、胴体、尻、尻尾…とずっと凝視したまま見送ったのではないかという印象。たてがみからしっぽまで馬の匂いを肺深く吸い込んでいる。
冷し馬濡れ毛のなりに拭ひやり
「濡れ毛のなりに」がちょっとわかりにくいけど、濡れた毛の流れにそって拭ってやっている様子なのだろうか。馬というモチーフはどうしても性的な連想を誘う。
露が露を散らす朝の髭荒剃り
 ひとつの葉から露が落ちて、下にある葉の露を散らす秋の朝。まるでアフターシェーブローションのコマーシャルのよう。

ながれ鳰 昭和四十一年
楤の芽をわかきけもののごとく嗅ぐ
 俳句ではよく主語が省略される。ゆえに妄想の余地がたっぷりと確保されている。楤の芽をてのひらに包んで荒々しく嗅いだ若くもない俺、なのか、あるいは「お前はまるで若いけもののように嗅ぐんだな」なのか。後者がいいな。
夜ざくらに屋を掩はれて眠り得ず
 一瞬「夜ざくらに攫われて」に空目して「何それ懐かしい!」と思いましたが屋を掩(おお)われてたのね。家の中からは桜は見えないはずなのに外に桜があるから眠れないと言う。なんと繊細な、なんと耽美な。実質攫われているも同然だと思う。
笑つてすぐ涙にじむよ鳥曇
 えっ。かわいい。

藁のねむり 昭和四十三年
中山法華経寺に荒行僧をたづねて
しづかな熱気寒行後の僧匂ふ
 はい。濡れてにおうシリーズです。いままさに寒行を終えた僧侶の熱気。身に張り付く白装束。寒行は冬ですが似たようなモチーフの夏の句では「滝行のすみし火照りとすれ違ふ」が第8句集『天上華』に入っています。

悪霊 昭和四十三年
若木ばかりの林がかもす朝曇
 グーテンモルゲン。僕たちのギムナジウムへようこそ。昭和の少女漫画を感じる。
起きてすぐ手触れしものに夏の露
 初めて読んだとき「誤読よな?」と思って10回ぐらい繰り返し読み直しましたがやはり朝のペニスを美しく表現したとしか思えない。一万歩譲ってペニスでないとしたら「キャンプの朝かな?」「野宿してみたのかな?」と思えなくもないがやはり無理がある。夏の朝の森林とベッドルームを頭の中で二重写しにしてむせかえるような青臭さを感じてください。
あたらしき水着の痒さ海まで駈く
 真新しい水着はきつくてぴっちりして痒い。その痒さを振り切るように砂浜を走って海へ。若さが弾けている。っていうか「痒さ」だけでいかにその水着がきつく肉体に密着しているか表現できているのがすごくないですか。水着の種類まで限定されている。絶対にサーファーパンツではない。ブーメランしかありえない。
潮焼にねむれず炎えて男の眼
 日焼けの痛みをこんなに艶かしく言うなんていけない子だな。日焼けだけが原因ではないと白状してるみたいじゃないか。

2. 第5句集『幻山水』もやばいぞ

自然を詠んでいるように見せかけてるけど…これ…もしかして男同士の愛なのでは……?
という句が多い句集です。
よく訓練された読者に向けて「みなさま、おわかりですね?」と差し出される優雅なほのめかしを楽しみましょう。

木晩 昭和四十七年
鬼羊歯の毛深き崖の多聞天
臼杵石仏(摩崖仏)を詠んだ四句のうちの四句目。毛深いのは鬼羊歯なのだが、筋骨隆隆たる多聞天(毘沙門天)に胸毛が生えているところを想像してしまう。

遠野の春 昭和四十八年
ザイルの露乾き男の匂ひせり
 これも一種の濡れてにおうシリーズと考えていいだろうか。乾いて(乾きかけで?)におうやつです。登山をしないのでよく知らないのですが、ザイル(登山用ロープ)ってにおいがつくような材質なんでしょうか。バックパックに入れていたら持ち主の体臭がついたり煙草のにおいがついたりするのかな。においに対して受け身になるのではなく積極的に嗅いでいく姿勢が感じられる。
葉月潮男の欲のうねりもて
充つるときむしろ声なき葉月潮
 二句セットで読んでください。「充つるときむしろ声なき」で意味的には切れているも同然。「充つる」の本当の主語は「葉月潮」じゃなくて「お前って」だろ。「お前って最初はあんあん騒ぐのに気持ちよくなりすぎると逆に静かになるよな」「し…しらねえよ!」「何恥ずかしがってんだよ」「うるせー」。

うらみ葛の葉 昭和四十九年
血をすこし薄めんと出づ夜の朧
 こういう抑制の効いた色気もすごくいい。
杉の花降らす杉山に僧入れば
 能村登四郎は僧侶に神秘性を託すことがままあるのですが、この句は僧侶と山の間で何かが通じ合っていそう。山の精霊が美僧を山に閉じ込めてしまいそう。
濃厚に渇きをそそる八重ざくら
 華やかな八重桜を見て喉が渇くというのは甘いもの食べ過ぎて喉が渇く感じなんでしょうか。なんとなくヴァンパイアみがある。
月ありて若さを洗ふ冬の僧
「洗ふ」は「月光を浴びる」の比喩なのか、月光の下で水垢離をしているのか、それとも洗濯をしているのか。洗濯だとしたら褌であるはずだ。俺にはわかる、わかるよ、としろう!!
大き手に恍惚と餅伸されゐる
 つきたての餅が餅取り粉を敷いた容器に移される。粉だらけにした手で撫でられながらその重みのままにののーんと伸びてゆく。その伸ばされてゆく餅に「恍惚」を見出している。擬人化というよりもむしろ餅と同化しているかのような。「大き手」はごつごつとした男の手と読んで餅の質感との対比を楽しみたい。

余談ですが「裸詣り」や「裸押し」という言葉を畳み掛ける「西大寺会陽」連作15句が収録されているのも『幻山水』。正直、西大寺会陽という祭りを知らないと特に面白くはないと思うのですが、祭りの歴史の中でここまで大喜びして筆を走らせたひとはいなかったんじゃないかという興奮ぶりが伝わるかと思います。

※以上、引用句はすべて『能村登四郎全句集』(二〇一〇年九月/ふらんす堂)より

3. 『能村登四郎読本』で散文を読むなら「欧州紀行」か「雁渡し」

『能村登四郎読本』には俳句だけではなく随筆や紀行文が入っています。
「欧州紀行」シリーズは能村登四郎が教育事情の視察のために団体で欧州10カ国を巡った際の思い出が書かれています。「おう、視察言いながらなんで闘牛みとんじゃワレ?」と詰め寄りたくなったりしますが(いやわかるよ、視察にも休日はあるよね、文化に触れるのも大事だよね)当時の日本人てこうだったんだ、というのが随所にうかがえてなかなかおもしろい。アテネ国立考古学博物館のポセイドン像をめっちゃほめてるところも良い。としろう’s ベストギリシャ彫刻はポセイドンです。

随筆なら「雁渡し」。時間がないひとは騙されたと思って「雁渡し」だけでも読んで。
ちょっとだけ引用します。

今でも時々思い出すふしぎな思いがある。それは少年の日にふと抱いた初恋に似た思いで、とうに消えてよい筈のものが三十年近い歳月を縷々と消えず生きつづいた。
その人は中学上級の時、一年だけ受持になったKという国語教師であった。

能村登四郎は中学校の恩師K先生に憧れて自らも教師になりました。
文句なしの名随筆ですが、手放しにキュンとする、といってしまっていいのかわからない。今よりもずっと難しい時代だったろう。注意深く言葉を選んで書かれているようにも感じる。
個人的には、能村登四郎本人がかつて男性に恋のような気持ちを持ったことと俳句作品が男性美に溢れていることはできるだけ分けて考えるよう心がけています。
(と言いながら一連の流れの中で紹介してごめん……)

アジラフェルの香りでは? Santa Maria Novella – Pot Pourri

【注意】この香水レビューは香水にまったく詳しくない素人がフェチごころだけで書いています。ご了承ください。

人間界で暮らす天使が毎朝ばしゃばしゃ付けそうな香りです。

Santa Maria Novella – Pot Pourri

Good Omens の第1話と第2話を観ました。

Sherlock界隈で人気が高いので教養としてキャラクターだけでも把握しておきますかね、ということで観始めたのですが、オープニングがいかにもイギリス! という人を食った始まり方で(類例:銀河ヒッチハイクガイド)天使と悪魔がハルマゲドン阻止を画策しながらほのぼの日常生活を送る感じが微笑ましくて。特に悪魔のクロウリーさんの善いヤツっぷりにやられました。

そんなときに試してみたサンタ・マリア・ノヴェッラのポプリ。

これはあれだ。人間の作った文化をこよなく愛する天使のアジラフェルさんがフンフンフーンと鼻歌を歌いながら身に纏いそうな香りだ。

試香紙で試すと、アロマオイルみたいな草の香りから始まり、みずみずしい野の花の香りが広がっていく。青い草で花冠を編んでいたらつぎつぎに小さな花がひらいていくみたいなイメージ。

(アジラフェルさんぜったい花冠似合うじゃないですか。)

それから徐々にスパイシーさが増していき、漢方薬局のような、乾燥した薬草の香りに。
つまりそれは「ポプリ」なんだろうけど、ラヴェンダーだけでもローズだけでもない複雑に計算されてブレンドされたポプリ。

肌に直接つけるとやや苦味が強くなり、なおかつ神秘性が増すように感じました。

香水ってつける人の体温やつける部位で香り立ち方が結構違ったりするから、誰か他人がつけていたら「香水の香り」だとは思わないかもしれない。
そもそも「人から漂ってくる香り」として認識できないかもしれない。
特に乾いた薬草っぽさが強く出た場合には。

古書、骨董品、クラシックミュージック、万年筆。
古いものが好きな人はこの香りがきっと好きだ。

ちなみに、実際にアジラフェルさんをイメージした香りというのはパフュームオイルとして発売されているようです。


なので、そちらの公式設定の香りとぜんぜん違ったらごめんなさい。
でもドラマの第1話には「コロンを変えた」っていうセリフがあるからサンタ・マリア・ノヴェッラがコレクションの中の一本として存在してもおかしくないような気がするんだ。

墨とギャップ萌えの香りByredo – Gypsy Water

【注意】この香水レビューは香水にまったく詳しくない素人がフェチごころだけで書いています。ご了承ください。

お習字の墨っぽい香りが好きで墨の匂いの香水がほしいという希望があったのですが、このたびかなり理想に近い墨っぽさに出会いました。

Byredo – Gypsy Water

最初は薄い? においしない? と思うぐらい自然。
ジンの香りというかジントニックみたいな香りというかむしろ主にエタノールのにおいがしてるな? という感じから始まり、柑橘類っぽい爽やかな甘さが出てくる。
そのあとで甘みが濃くなってわずかにヴァニラっぽくなる。
で、この間、通底して墨っぽさがあります。
自分が何に対して墨を感じているのかわからなかったんだけど、Eau Duelleにもちょっぴり墨っぽさを感じるということは両方に共通しているヴァニラの要素がそれなのかもしれない。
ここまでは試香紙につけた場合の感想。

試香紙につけた場合と肌につけた場合でけっこう印象が違った。
肌につけると爽やかさがすぐに飛んでガッツリ甘味が主張してくる。
だから海外のフレグランスレビューで髭のお兄さんに「自分用には買わない。フェミニンすぎる」と言われたりするのはなるほどなぁと思ったりした。
手首とお腹に直接つけて肌着やらセーターやらいっぱい着込んだ状態で仕事をしていると、ときどきフワッと墨の香りが漂ってきて落ち着く。鼻を近づけなければそれほど甘味は気にならない。
モテ香水的なランキングに入っていることもあるようなのだが、それはつまりちょっと風変わりなお香のような匂いを身につけてるけどぐっと近づくと超甘々というギャップ萌え的なあれか。

余談ですが武蔵野ワークスさんのブログでは墨の香りの正体は竜脳と明かされています。
(わたしが墨っぽいと思い込んでるのがそれなのかどうかはちょっとまだ確信が持てない感じ)
ていうかそもそも墨ってそれ自体があの匂いなんじゃなくて竜脳で匂いをつけているものだったとは! もうたんすに石鹸を入れとくみたいな感じで鞄に小さい墨を入れとけばいいじゃん! と思わないでもない。

2020年5月1日追記
一般的にはパチュリが含まれているものが墨の匂いを感じさせるのだそうです。だからわたしが何を墨っぽいと思ってるのかは本当に謎です。もしかしたら幼い頃通っていたお習字教室が山の麓の古い木造の小屋だったことが香りの記憶にノイズを与えているのかも。

台北の隠れ家にひきこもる旅(6)ひとり旅と61noteと旅行ゴミノート

ひとりで台湾に来た(行った)と言って(日本でも台北でも)何回か驚かれたのだが、ひとり旅はそんなに珍しいのだろうか。

いや、わかるよ。旅行会社で申し込む場合、おひとり様料金が追加されるので経済的でない。
個人旅行だとしても、ひとりでは料理を何種類も頼んで食べくらべることなんてできない。
夜市名物の巨大な鶏排(じーぱい)だって、ひとりなら買うのを躊躇してしまう。

でもひとりは気楽だ。夜中に目が覚めて深夜番組見てもいいし、ベッドで甘いジュースを飲みながら旅行ゴミノートにゴミを貼り付けていても「お菓子の袋は捨てて! 虫がわくよ!」とか言われない。

っていうか、誰かと一緒に行く場合、経済状況が著しく違うとお互い疲れるでしょう?
わたしはできるだけ安いホテル、場合によってはゲストハウスの相部屋でもOKぐらいに思っていても、友人はフロントのひとがビシッと制服着ててシャンデリアが下がってて見るからにお湯の温度が安定してそうな朝食ビュッフェつきのホテルに泊まりたいかもしれない。
「LCCはちょっと抵抗がある……」って言われるかもしれない。
だからもし誰か海外旅行するなら、現地集合・宿泊先ばらばら・現地解散の旅がいいかな……。

あと、ちょっと考えたのは、本当はみんなひとり旅なのに防犯上「友達と一緒に来てる」とか「ツアーで来てる」とか言い張ってるんじゃないの、っていう。
台湾はギラギラかつニヤニヤした感じでガン見されることがないからつい正直にひとり旅だと白状してしまっているが、もしかして言わないほうがいいのか。今後気をつけます。

さて、わたしのようなソロ活動がお好きな方にも自信を持っておすすめできるビールのお店が61noteです。

61note

このソーセージが甘くてじゅわっとしておいしいの。

ビール、甘いソーセージ、きゅうりでさっぱり。
うっかりすると無限ループだよこれは。
(と言いながら一杯しか飲んでいない。酒に弱いので)

朝食も昼食もさっと食べてさっと出ていくタイプの店だったから、61noteでゆっくりのんびりできたのはすごくよかった。お店の内装もスタッフの女性もおしゃれだった。こういうとこで一人でビール飲んでるとかっこいい大人になったような錯覚に陥るわ。ヒャッハー。

旅行ゴミノート

旅行ゴミノートの一例です。

余談だが旅行ゴミノートを始めると

「ゴミノートに張り込んだらかっこよくなるかどうか」という目線でものを買うようになる

らしい。
自分はそこまでではないと思っていたのだが、徐々に一度手にしたゴミは可能な限りノートに貼りこみたいという欲望に支配されるようになっていたようだ。
台湾から帰ってきた際に空港のバス乗り場で
「台湾岡山便の搭乗券をお持ちの方は岡山駅までのバスが無料です!」とにこやかに言われて俺の大事なゴミを回収しようとするとは……!」と敵意を覚えた。

(でも結局おとなしく搭乗券を差し出して無料で乗せてもらった。)

台北の隠れ家にひきこもる旅(5)万人におすすめできるタイペイ・アイ

タイペイ・アイ(台北戯棚)は前回の台湾旅行のときから気になっていた。
市内中心部にある京劇など伝統芸能の劇場だ。

前回はホテルから劇場まで歩いてすぐだったので、自然と目に入っていた。
いかにも観光という場所は息がつまるような気がしてあまり得意ではないのだが、京劇と言えばうちら世代的には「さらば、わが愛/覇王別姫」であり皇なつきじゃないですか。

これは見ておかねばなるまい。
そう思ってウェブサイトをチェックしたら完売!(大きな団体さんが入ってたのかもしれない。)

今回はぬかりなく、日本にいる間にKKdayでチケットを購入しました。(事前にカード払いしておき、現地ではスマートフォンにバーコードを表示するか、バーコードを印刷した紙を提示するシステム)
タイペイ・アイの公式ウェブサイトからも購入できます。割引の条件などを見比べて選ぶといいと思う。

タイペイ・アイは海外旅行客向けに特化してる劇場なので、字幕が出ます。英語、韓国語、日本語。劇場内は案内スタッフがたくさんいて、だいたい英語か日本語が通じるので中国語が話せないひと(わたし!)にも安心だ。

席はほとんど埋まってたけど、おじいちゃん二人組の隣がひとつ空いてたから「お隣いいですか」って丁寧に声かけたんですよね。
そしたらそのおじいちゃんが「隣でも膝の上でもどうぞ」って言ったのよね。
は。なんだてめえいますぐし…
しーふぇん(十分)で天燈にくくりつけられて飛ばされろ(婉曲表現)。

こういうノリのオッサンたちが台湾を含めてアジア各国に買春ツアーに行っていたのだろうな。
海外旅行に来て日本人の気持ち悪さに鳥肌を立てるとは思わなかった……。

それはさておき。
実はこの劇場は開演1時間前からロビーで俳優さんたちが化粧の様子を見せてくれたり、衣装を借りて写真撮影ができたりするんだ。
だからほとんどのお客さんは早めに到着している。
わたしのように開演開始ぎりぎりなのがわかっているのに春陽茶事雙連店のかわいい電飾に引き寄せられて梅子緑茶を外帯してる場合ではないのです(よく間に合ったよね)。ぜひ30分以上余裕を持って到着してロビーで手に模様を描いてもらったり普通の男の子が妖怪に変身する様を凝視したりしてください。

開演後も舞台の写真撮影OK(フラッシュ不可)なんだけど、手に汗にぎりすぎてそれどころではなかった。
下記がこの日の演目。

第一部:歓楽民俗マーケット「鼓舞獅躍」(竣越芸術劇団)
お坊さんが獅子を探し、その獅子が山に登る様子を表した獅子舞が中心のショー。
獅子舞って頭側の人が尻尾側の人の上に乗って前脚を上げた様子を再現するじゃないですか。あの動きを交えて、これ絶対無理じゃろっていうぐらぐらした小さい足場を登っていくんですよね。その足場と足場の間でかなり大きくジャンプしないといけない距離があり「どうやって飛ぶの?」「どうするどうする?」とかなり焦らした挙句一瞬で飛び移るんだけど、何が起きたか理解が追いつかなかった。頭側の人視界悪いと思うしほんとうにどうやって……。もう一回見たい。
獅子舞の目がばっちんばっちーん! って瞬きできるようになっててそれがすっごくかわいいです。

第二部:京劇テーマショー「虹橋で真珠を贈る」(国立台湾戯曲学院京崑劇団)
海に住んでいる凌波仙子という女性の姿をした神様と白詠という名前の人間(たぶんイケメン設定)が結婚したことが神々の怒りを買い大戦争となるも真珠のパワーで神々の軍勢を撃退。
凌波仙子がめちゃくちゃ強い。
戦闘シーンが曲芸に次ぐ曲芸なのでこちらも目が見たものに脳が追いつかない。投げ上げられた槍がありえない精度で適切な位置に打ち返されたり蹴り返されたりしていた。
歌えて踊れて曲芸もできないといけなくて、しかもちゃんとお化粧が乗るように美容にも気を遣わなくちゃいけなくて、俳優さんはめちゃくちゃ大変ですよね。
舞台の下で見てもなんだか発光してるみたいな感じがする。

めちゃくちゃ満足度の高いショーなんだけど、敢えてわがままを言うならお土産売り場でほしいものがなかったんですよ。トロカデロ・デ・モンテカルロバレエ団が履き古したトウシューズを売るように役者さんの身に付けてたグッズとか置いたら売れるんでは……と思ったりした。劇団がいろいろ入れ替わるからそういうのは難しいのかなぁ。

タイペイ・アイの獅子舞

獅子が客席まで来てくれます。

京劇の役者さんたち

第一部と第二部の間の休憩中のロビーにて。

ほんとうは客家花布などを売っている永楽布業商場の上の階にある劇場(大稻埕劇苑)の演劇も観てみたかったんだけど、それは今後の楽しみに取っておきたい。Faceboookページからポスターを見てみてほしい。メイクも衣装もかわいくて、なんだか楽しそうでしょう? でもこちらは外国人向けのチケット販売サイトには出ないみたいなんです。
たぶん演劇自体は言葉はわからなくても面白いと思うんだよね、ミュージカルみたいな感じだから。

春陽茶事

梅子緑茶(プラムグリーンティ)とわたし。

台北の隠れ家にひきこもる旅(4)台湾小吃にはハズレがないみたい

ごめんなさい。
ここで一度謝りたいんだけど、ひきこもる旅って書いた割に本当は結構出歩いたんだ。
でもさ、日本人って台湾に来たら九份(千と千尋の神隠しのモデルになった町のひとつと言われている)とか故宮博物院とか行くじゃない?
わたしはどっちも行かずに、ほとんどずっと迪化街周辺をふらふら歩いてるだけだから、相対的にはひきこもってると言ってもいいかなと思って。
要するにひきこもりたくなるようなホテルの快適さを言いたかったんだ。
シングルルームなのにベッドにいちいちよじ登る。
ベッドの頭側の壁は本棚になっていて、そこに飲み物などをちょっと置いておける。
客家花布のクッションをだっこして甘い飲み物を啜りながらバラエティ番組を見たり、ツイッターを眺めたり。そういうのが楽しい。

無精髭の大森さんは、フロントの前を通るたびに「はろー!」「ばいばい!」言ってくれる。
小さいカウンターに大森さんともうひとりの若者が二人でぎゅっと詰めて座って外帯(わいだい / お持ち帰り)した麺を啜りながら引き継ぎをやっていたりする。かわいい。

さて、食べ物のことを書きます。

評判の店は予習したけど、気楽なひとり旅なので適当に歩いてふらっと入った店で適当に注文することにした。
なにを食べてもだいたいおいしい。そのうえ安い。

台湾の朝食

豆乳のスープと肉まん。

これは朝食。
ラミネートされたメニューにホワイトボードマーカーで印をつけて注文できる。

ラミネートされたメニュー

なんと便利な! シャイで口下手なわたしに最適のシステムである。日本でも採用してほしい。

台湾は朝食専門の豆乳の店が多くて○○豆漿大王みたいな名前がついている。
この豆乳スープ「鹹豆漿(しぇんどうじゃん)」は思ったより薄味だった。
調味料を加えたほうがいいのかなあと思いながら取りに行くのも面倒でそのまま食べ切ってしまった。
肉まん(肉包)は皮のもっちり感がすごい。このままどこまでも埋まっていきたいような最高の感触だった。
肉まん中身抜き、みたいなメニューがあるのにも頷ける。
この鹹豆漿と肉包で40元(160円弱)です。

このパクチーがうまい2019

お魚のスープと温野菜。

こちらは行列ができてたスープとか麺の店「老阿伯胖魷焿」(読めない)。
わたしのようにニイハオとシェシェでなんとか乗り切ってるみんなは混んでたらどこに並んでいいかわからないはずなので店員さんに駆け寄って「ニーハオー! 我要内用(うぉやおねいよん)オーケー? メニュープリーズ!」とかなんとかウザめに自己主張して並ぶ場所を教えてもらってください。内用と外帯で並ぶ場所違うかもしれない。わたしは無駄に間違ったとこで待ってたかもしれない。
魚のスープは中からトロッとタレが出てくる。
あー、すき。パクチーが物足りない気もするけど、いや、むしろ敢えて抑えたこの繊細なバランスを評価したい。当方ひとりなので相席になりましたが、推定台湾人カップルが「ここどうぞ〜」という感じで招いてくれて、見知らぬお二人と額がぶつかりそうな距離でスープを啜りました。わたし台湾基準ではテーブルマナー悪いかもしれない…もしそうだったらごめん…とドキドキしながら食べました。
手元のレシートによると写真に写ってる食べ物は魚丸湯(60元)と燙青菜(35元)です。
台湾で野菜を食べる方法をぐぐりまくって「燙青菜」という言葉を覚え、これはぜひ実践しようと思って注文しましたが大正解です。カロリー高めになりがちな台湾ごはん、燙青菜のおかげで罪悪感がぐっと減ります。これから先も台湾で食べるときはひとまず食べたいもの一品に加えて燙青菜を頼むスタイルで行こうと思う。
参考:台湾で油がダメなら【燙青菜】がおススメ!サッパリ茹で野菜の種類は?

肉まん袋

中身の写真を撮り忘れたがわたしの多幸感はこのペンギンたちが完全に表現してくれている。

そしてまたしても肉まん。
この肉まん屋さん(明記包點)、閉店間際にわたしのためにレジをわざわざ開けてくれたみたいだった。なんかわたしみんなに迷惑かけてる気がするけどー! みんなやさしいー! 好き!!

2種類、たぶん包子の上ふたつを買ったんですが、椎茸の入ってるほうはぎゅっ! と旨味がきて部屋でかじりながらちょっと唸った。こちらも皮がもっちりしてた。

ところで、台湾の食べ物の中で唯一これは無理かな、と思っているのが臭豆腐(ちょーどうふ)だ。
去年来たときに永楽布業商場の一階で腐肉を茹でるような異臭を嗅いで何事かと思った。ここは衛生的に大丈夫なのか、と。大げさではなく、身の危険を感じるにおいだった。

でもいま思えばあれは臭豆腐だったのです。
二回目の台北でやっと臭豆腐という名前と臭豆腐そのものが結びつきました。
街のあちこちですごい臭気が漂い、そこに目をやると行列ができていて、人々が厚揚げ状の何かを食べている。
ちょっと待て。
並ぶほどうまいのかよ、臭豆腐とやらは!

迪化街のこじゃれた文具店でヒカキン寄りの星野源みたいな日本語ペラペラの店員さんと話したのだが、彼が
「臭豆腐を試してみてよ!」
と強く勧めてくれた。
「納豆みたいな感じ! 臭いすごいけど食べるとおいしい!」
「納豆は食べられるけど臭豆腐はちょっと……」
「たしかに日本人の友達にはテロリストの食べ物と言われました!」

わたしはそこまでひどいことを言うつもりはないが(すでに言った気もするが)自分から食べる気にはどうしてもなれない。
ただし、もしこの先台湾人の友達ができたり台湾通の友達ができたりしたら「いちばん美味しい臭豆腐の店」を教えてもらって挑戦してみようかな……。

205 words

こじゃれた文具店のヴィンテージ鉛筆削り展のようす。設計図(ポストカード)だけ見ると昔の兵器の設計図みたい。

台北の隠れ家にひきこもる旅(3)台北12月上旬なに着ようか問題

台北の冬は日本と同じくらいの防寒が必要らしい。
気温は台北の方が高いけれど、小雨が多くて寒さが身に染みるから。
そのうえ冬が短いために暖房設備を用意していない場所も多い。
むしろ日本よりも寒い。

以上のような内容を、格安航空券を購入した後に(ぐぐって)知りました。

ハッハー。面白くなってきたぞ。

前回の台北旅行は11月だったのだが、飛行機の中は冷房がガンガンにきいて上着を羽織っても膝の寒さが耐えがたく、現地についたら真夏の暑さで上着が邪魔になり、とはいえ飲食店は景気よくエアコンをフル稼働させるので上着が必要、帰りのフライトのためにカイロがほしいが台湾はほぼ夏だからドラッグストアで貼るカイロが見つけられず、かろうじて貼れないカイロを見つけハンカチに巻いてベルトのように腹に装備したら岡山空港の金属探知機にひっかかって貴金属の密輸を疑われスーツケースを開けてファンシーな色柄物だらけの荷物を丁寧に調べられる、というなかなか貴重な体験をした。恥ずかしかった。

それはさておき服の話です。

前回の反省から飛行機の中で凍えない服装を考えました。
日本と同じくらいの装備で行った方がいいという説を信じて、基本的には日本の(岡山の)12月の服装。
ネルシャツの上にセーター。
タイツと靴下を重ねて、だぼっとしたジーンズ。
上着は片面ボア片面キルティングのリバーシブル(ユニクロ)。
小さめのカイロを腰にひとつ。

これはタイガーエア搭乗装備として正解でした。
機内では上着は膝にかけ、暑くも寒くもない快適な温度。
むしろ岡山空港で搭乗を待っている間が寒かった。山陰から来るひと、岡山は南にあるから油断すると思うけど気をつけてほしい。(※ 東京付近の方には伝わりにくいかと思いますが、山陰から関空ではなく岡山に来て岡山空港から台湾に行くケースがある)
機内食を(LCCなので追加料金払って購入して)お腹に入れたのもよかったのかもしれない。お腹がすくと寒くなる。「蒸し鶏のネギ油ソースがけご飯」は多少脂っこいけど見た目よりだいぶおいしかったので食べた後では文句ないです! 機内でスパイスの香りがふわっと香り立った瞬間「あっ。すごい、もう台湾にいる!」って感じる。宇宙人のキャラクターがとてもかわいかったのでフォークとスプーンを持ち帰ってしまった。

タイガーエア機内食

事前予約した機内食。香りがすごい。ジュースとお菓子もセット。

さて、滞在2日目の朝から何を着たか。

台北12月上旬に適した服装の例

裏ボアと書いたけど表をボアにしても着られるぞ。

小雨が一瞬ぱらついた程度で天気がよく、温かったのでちょっとだけ軽装備になりました。
長袖Tシャツの上にネルのワンピース。下は前日と同じジーンズ。
リバーシブルの上着は歩いてると暑くなって脱いだりした。

雨はほんとうに少しだけだったけど、飲食店のひとが水を流して通路を洗っていることもあるので防水シューズは安心できてよかった。

ほかの観光客のみなさんが何を着ていたか、参考までに龍山寺の写真をご覧ください。

龍山寺

ツアーの団体さんも多くて超混んでた龍山寺。

ダウンジャケット率が高く、チェスターコート的なやつはめったに見かけない。
寒暖差があるから脱ぎ着しやすさ優先で。

わたしの行った12月上旬は小春日和だったけど、12月下旬や1月、2月は寒波が来て冷え込むこともあるらしいです。
台湾は軽食がとにかく安いけど、着るものは日本と同じようなものが欲しいと思ったら日本より高くつくので、重ね着できるように一枚多めに持っておくのが無難かもしれない。

ちなみに、わたくし、日本国内移動は家から駅まで自転車、そのあと電車とバスで空港に向かったわけですが、自転車区間のために手袋とマフラーと帽子を持っておりました。え? スーツケース? LCCサイズのスーツケースって100均の自転車ロープ1本(約2メートル)あれば自転車の小さい荷台に積めるんだよ! すごいでしょ!
手袋・マフラー・帽子は台北では必要なかったです。手袋はリバーシブルの内側になるポケットにぎゅっと詰め、マフラーと帽子はスーツケースにしまって宿に置いたままでした。