スイーツ句会 ワッフルと珈琲

ワッフル、チーズケーキなど

4月14日(土)は2回目のスイーツ句会でした。
前回(2018年1月6日)は特に名前のない新年句会だったのですが、生クリーム山盛りのパンケーキを囲んだため「スイーツ句会」と呼ぶことになったのでした。

参加者募集はこんな感じ。

スイーツ句会の告知画像

進行役の自分を入れて4名(欠席投句2名)でこぢんまりと実施しました。
この句会では進行役はゲームマスター的な存在です。
通常の句会では出席者の俳句を無記名で並べて選句や合評を行う、場合によっては投句のみ参加の「欠席投句(不在出句)」も混ぜて行うのですが、ここにゲームマスター権限で手元の句集や入門書からピックアップしたお気に入りの俳句を加えます。
いわば部分的な「借り物句会」(別称「つくらない句会」)。

お借りした俳句はつぎの6句。

しやぼん玉ことばにふれて失明す  小津夜景『フラワーズ・カンフー』
死者生者こみ合ふ春の回転扉  はるのみなと/大井恒行著『俳句 作る楽しむ発表する』
▶︎「死者」と「生者」の語順はこれでいいのか、逆だとどうなるのか、と検討したのが面白かった。
抽斗につかはぬ音叉春の虹  菅原鬨也(大型俳句/俳句関連文書検索エンジン)
▶︎ひきだしにあるってことは使ってないんだから「つかはぬ」は説明的では? という意見あり。
しんじてもかぜはさくらを書きくだす  宮﨑莉々香/佐藤文香編著『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』
葉桜や空は疎にして鳴らせば葉  田島健一/佐藤文香編著『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』
つばくらや小さき髷の力士たち  津川絵理子/佐藤文香編著『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』
▶︎つばめのかわいさと力士のかわいさ。

以下、わたしの出した句。

蕗味噌トーストねむいとき怒るのね   石原ユキオ
宗教につかう音叉や暮の春
春日傘KGBに狙われたい

次回は5月下旬か6月にできるといい……かな?
開催地は岡山・倉敷・総社あたりのどこかの予定です。

実は『野性時代』4月号にも載ってました

3月号に続き、2ヶ月連続で入選。

夏井いつき・特選
火のような魚のようなチューリップ  石原ユキオ

1月のスイーツ句会にも来てくださったトートバッグ職人にして敏腕デザイナー中原ポール氏が長嶋有さんの選外佳作に入ってる。

ポールさん発案の #ロードサイド俳句 シリーズ、Twitterでもっと盛り上がるといいな。

発表☆第1回ビバ!ユキオ俳句賞(7/7)

第1回ビバ!ユキオ俳句賞の連載最終回です。全体の所感と選外の作品へのコメントなど。

1)連作が豊作でした!

募集要項に(1句単位での審査となるため連作的要素は考慮しなくてもいいと思う)と書いていたにも関わらず、連作が豊作でした。
20句とか100句とかをまとめて応募するタイプの賞に出さなかったボツ句を送ってもらえたら、あるいは雑誌の投稿欄に送らなかったストックを送ってもらえたらいいな、お気軽にどうぞ! というような意図がありましたが、ビバ!のために腰を据えて5句作ってくれた方が何人もいらっしゃったということが嬉しいです。もちろんバラエティ豊かな5句を送ってくださった方も、いろんな可能性を見せていただけて楽しかったです。ありがとうございました。

2)麺類の件!

募集要項には「ついでに、好きな麺類を教えてください。」という項目がありました。聞きたいから聞きました。書かなかったひとは会ったとき教えてね。

・尼崎武さん一押し、大阪の「らーめん香澄」はわたしもおすすめです。おとなになってから食べたラーメンの中で一番おいしかった。お店の居心地もいいです。
・亀山朧さん「ちゃんぽんめん(音が好きです)」という回答がいかにも言葉フェチで共感。
・長めにこだわりを書いてくれて面白かった2名。
藤幹子さん「料理としてなら冷麺(スイカ必須)麺のみの魅力ならば中華麺を愛する。愛ゆえに、子供の頃は、焼きそばのソースをかける直前の、味なし焼きそばを好んで食した。」
味なし焼きそば……わかる!
西川火尖さん「担々麺、その答を書いた瞬間に答は問に変わる。俺でいいのかと担々麺自身が問いかける。」
麺類好きすぎるんですね。でも「全部好き」とは書かずに一つを選ぶ姿勢に俳句魂を感じました。
麺類

3)俺は下ネタには厳しいぞ!

いたんだよね。昭和のおっさんのような下ネタの俳句を送ってきてたひとが。何人も。

選考委員ユキオ氏、夜、自室に帰ってくる?
俳句とは別にシノギがあるので、それなりに疲れている。
パソコンの電源を入れてネットに繋ぎAOLのアドレスに来たメールを開く。
なんか……下ネタが書いてある……。
はい、この時点でそのメールを見なかったことにするのは想像に難くないでしょう。

たとえば、わたしが俳句を取りまとめて選考委員に渡す立場にあるなら下ネタだろうと犯罪予告だろうと何も考えず印刷するなりエクセルにまとめるなりして選考委員に回すでしょう。複数名の審査員が会議室に集まって審査するなら「手垢のついた下ネタだね」「しょうもねえな」「いやこの句はちょっと面白いですよ」ということはあるかもしれない。

でも、ひとりだからねえ。気持ち悪さを他者と分かち合えないんですよ。

ねえ、冷静に考えて。
面識のない個人のメールボックスに卑猥なジョークを送りつけていいかどうか考えてみましょう。

そういうのは、会ってする句会に出してボコボコにされた方が浮かばれるのではないかな。

ZAZEN

こころおだやかなかんじの画像を貼っておきますね。

4)選外の作品にひとことコメント!

ほんとうは応募者全員ひとことコメントがやりたかったのですが、あまりにも多くの方にご応募いただいたので少しだけ。

初雪やライカ犬から返事なく   みずほ
2016年に半年間「まいにちロシア語」を聞いていたのですが4月号のテキストの表紙がにこにこ笑っているライカ犬で「おそロシア……」とつぶやかずにはいられませんでした。ライカ犬を乗せたスプートニク2号の打ち上げは11月3日なので地域によっては初雪のころ。


はしやぎ疲るゝ怪談の夜も猥談の夜も   ゆなな子
若さがみなぎってる。寮生活っぽくていいですね。前書きの「夏」は必要ないのでは。

じつと見るとうもろこしを削ぐ歯列   竹内くるは
「じつと見る」と言わなくても、ぎっしり並んだとうもろこしの粒と歯列を描いているだけで凝視していることは伝わりそう。とうもろこしの粒と前歯の形が似ているので絵として面白い。

大寒やボディーソープは空っぽに   雪李
大寒が動く(=他の季語と置き換えても成立する)ような気がしたのですよ。
俳句の内容とは別問題ですが冬は固形石鹸の方が洗うとき寒くないような気がしない? わたしだけ?

ままごとのきゅうりうずもる糠床や   知己凛
ままごとのきゅうりが本物の糠床に入ってる句、もうすこし整理して上手に言えそうです。逆に、ままごとの糠床に本物のきゅうりの句を作ってみても面白いかも。下五に「や」をつけると文字数が足りなくて適当にくっつけた感が出てしまいがちなのでわたしはあまり使いません。

白帝を彼氏にしたく眉を描く   花咲凜
白帝は秋の異称。白帝の彼女(ないしは彼氏)になりたい、ではなく、白帝を自分の彼氏にしたいと詠んだところがいい。自分の側に引き寄せるポジティブな図々しさ。でももしかしたら逆に「恋人にしたい芸能人」みたいな遠さなのかもしれない。

跳び蹴りの低みの映えて春の泥   何居主水
ジェット・リーか、ドニー・イェン。ちょっと古ければジャッキー・チェン。もっと遡るとブルース・リー。上品な服装をしている方が汚れていく様がより映えるかもしれないのでここはドニー・イェンのイップ・マンがベストかな……。5句の中にはスタートレックっぽい句もあって楽しかったです。

棺桶を豆腐で満たして針祭る   桜電子
針供養の句ではなく棺桶を豆腐で満たすだけの句ならば選んでいたと思います。

セルカ棒向日葵畑から伸びて   若林哲哉
(以前に比べるとセルカ棒を見かけなくなってはいるものの)新しい事物を果敢に取り入れている。いいロングショット。いまという時間をノスタルジックに見るような句ですよね。予選では取っていました。

発表☆第1回ビバ!ユキオ俳句賞(6/7)

心配部門の受賞作を発表します。
「大丈夫?」
「背中とんとんしようか?」
「専門家に相談したほうがいいのでは……」

と、登場人物※1が心配になった句を選びました。

めっちゃ心配

【心配部門】

★シェルター賞
麦酒ケース買ふDV夫のため   市川綿帽子

「麦酒ケース」は絶妙な道具立てだ。
ケース単位でビールを買うというよりは、文字通りビールケースそのものを買ったように思える。ケース単位で買う場合には「1箱買う」「2ケース買う」「ビールをケースで買う」というような表現が一般的だから。
ビールケースの句と言えば

炎天のビールケースにバット挿す  榮猿丸『点滅』

を思いつくが、この夫はそういう健康的な暑さ・熱さからはほど遠い。
「麦酒」と「DV」が一句の中に共存していることで、夫はアルコール依存症なのではないかという連想が働く。
「DV夫のため」は「夫が私を殴るためのビールケースを私が買う」という意味かもしれないし「夫の暴力に対抗するために防具あるいは武器としてビールケースを買う」のかもしれない。あるいは単に(妻はそんなもの必要ないと思っているのに)どうしてもビールケースが欲しいと夫が言うので買わざるを得ないのかもしれない。
全体としては字余りになる破調の句なのだが、575のリズムに当てはめて読もうとしたとき、
麦酒ケース/買ふ◯DV/夫のため
というように1音足りない中七部分の◯のところに息を飲むような欠落感が生じる。
どうか依存を断ち切って無事に逃げてください、と祈るような気持ちになってしまう。

★厚生労働賞
白菜をブラック企業の前に置き帰る   八鍬爽風

梶井基次郎「檸檬」の主人公は、檸檬を丸善に置いて去っていった。
このひとは白菜をブラック企業の社屋の前に置いていったようである。玄関の自動ドアの前にぽつんと置かれた白い塊。そこを行き交う社員たち。
ブラック企業の元社員が、抗議のつもりで行ったことなのではないかと思うけれど、ブラック企業はブラックだから白菜が置かれてたって誰も疑問に思わない。痛くも痒くもない。やがて清掃業者が回ってきて片付けていくだけ。こんなのなんの意味もない。この冬白菜高かったのに。大事な白菜を、こんな使い方して。もったいない。しかしそんな意味のない、もったいないことをせずにはいられないほどこのひとは病んでいたのだろう。
どうせなら眠っている経営者の布団の中に愛馬の生首を入れておくとか、わかりやすい復讐をしてもよかったのではないか。そういえば白菜は人間の頭くらいの大きさだ。そういう意味では人参や大根に比べるとどこか不吉な雰囲気が漂う。
ところで「白菜をブラック企業の前に置く」としてしまえば下五が5音におさまる。最後の「帰る」3音が定型からはみ出しているのだ。このはみ出した3音が妙に生真面目じゃないですか。「帰る」があるからこそ白菜はそこに置いたまま人物が立ち去ったことがはっきりするし、それが「檸檬」の連想にも繋がるのだ。

★花冷え賞
花花花花トイレはどこだ花   吉田どんぐり

お花見の景と読みました。
川沿いに植えられた桜並木。土手に敷かれたレジャーシート。企業名のぼんぼり。屋台。焼肉の煙。ビールサーバーを背負ってナンパするサラリーマン。
お花見は下腹部に負担のかかりやすいイベントだと思います。まだまだ肌寒いし、冷たいビールやチューハイを飲むし。突然襲いかかるはげしい尿意。悪くすると腹痛とのコンボ。しかし、慣れない土地の場合、トイレがどこにあるかすぐにはわからない。かくしてひとはトイレを探して花見会場をさまようのであります。百メートル歩いた先にトイレがあればいいが、もしこれが間違っていたらどうなるのか。真剣な面持ちで、そのひとは歩く。桜吹雪にまみれながら。

★経理課困惑賞
星冴ゆる鞭は経費で落ちますか   田島ハル

高額な物品を購入する際は事前にご相談いただきたいと申し上げていたはずなんですが、困りましたね。もうご購入済みなんですよね。「鞭」? 鞭を買ったんですか……。業務に必要なんですよね。ええ、まあそうですよね。ちなみに今日はその領収書お持ちですか。但し書きは。は?「お仕置き用品として」?

たぶん、経理のひとは鞭を経費で落とすのは不可能という結論を出すだろう。鞭といえば本革で手作り。それなりの出費になるはず。しかしこの句の語り手からしてみたら、それも全部込みでプレイなのかもしれない。迷惑な話である。
「星冴ゆる」である。夜なのだろう。残業中だろうか。残業中に人気のないオフィスで鞭の領収書を見せられたら、怖い。

★ショコラ賞
ココア溶く明日も明後日も休む   嫉妬林檎

ダジャレをスルーされそうなので言っておくと「ショコラショー(ホットチョコレート)」と「賞」をかけました。ショコラショーとココアは別物という説もあるようですが目をつぶってほしい。
さて、漫画など創作物の中では温かいココアは傷ついた心を癒すものとして登場するという指摘があります。(『ゴロツキはいつも食卓を襲う フード理論とステレオタイプフード50』福田里香 いま手元になくて正確な引用ができなくてごめんなさい! 面白いのでぜひ読んで!)
この句は連休でココアを飲みながら日頃の心身の疲れを癒している句なのだろうか。いや、もうちょっと引っ掛かりがある。
まず、ココアを飲む前の段階が描かれている。「ココア飲む」や「ココア吹く」ではなく、粉末のココアを熱湯でどろどろに溶いている。ダマにならないように少量の熱湯を加えて溶くその初期の状態は溶岩のようにも血溜まりのようにも見える。
それから、「明日も明後日も休み」ではなく「明日も明後日も休む」と本人の意志が入っている。どうやらあらかじめ決められていた休日ではなく、「もう休む! うちは休むけんね!」と決めて休んでいるようなのだ。
ココアはもちろん癒されるものだけど、癒さなければいけないのは疲れているからだ。ココアの熱いどろどろには憤りや不満が表れている。単純に「癒し」としてのココアではなく、その前提となる痛みを描いた点を評価したい。

<類想について>
嫉妬林檎さんの上記の句について、類想句があったとの報告を受けました。

ホットココア明日も明後日も休み   香野さとみ

嫉妬林檎さん、香野さとみさん、どちらの句が先に発表されているかの調査は行っておりません。
ここまで似てしまった例は少ないかもしれませんが「ココア」が「心を癒す」「ほっとする」というイメージと結びつきやすい以上、「休日」と取り合わせられた句は他にも見つかるかもしれません。

今回、作品の審査にあたり類想句のチェックについては一切行っていなかったことを反省し、今後は類想感のある句に関しては慎重に検討したいと思います。
ただ、書籍の確認や、データベース検索ができる範囲には限界があります。
作る側の問題としても完全に類想句を避けることはできません。俳句というとても短い詩型には常に付いて回る問題です。
なおビバ!ユキオ俳句賞の趣旨から言って類想句があったために受賞を取り消すというのはナンセンスですので、ご報告のみにとどめておきます。
(4月18日追記)

★サスペンス賞
枯野来て「もしも」を多用する男   香野さとみ

もしも旦那さんが転勤決まったらどうする?」
もしもあのとき俺が好きだって言ったら俺とつきあってた?」
「俺たちやっと二人きりになれたね」
「え? 帰りたいって? もしもその鞄の中に携帯も財布も入ってなかったらどうする?」

人気のない枯野に一緒に来てしまったことを全力で後悔するシチュエーションです。火曜サスペンス劇場的な展開になってしまうのか。
後のことは何も考えず金的をくらわして走って逃げてください。

★パンデミック賞
恋愛セミナーまずはマスクを外しましょ   シシオ澤ガイ

このセミナーは、あやしい。
風邪をうつしたくないから、あるいはうつされたくないからマスクをしているのである。顔を隠したくてマスクをしているわけではない。
なぜなら、ここは俳句の国でマスクは冬の季語で本来冬場の風邪の感染を防ぐもの、あるいは防寒のために身につけるものだからだ。室内ならばマスクをする理由はひとつ。感染予防だ。
マスクを外すように言ったのはセミナー講師やスタッフだろう。

「まずはマスクを外してあなたの素顔を見せてくださいね〜」

セミナー参加者の間で風邪が蔓延したらどうするのか。インフルエンザに罹っているひとがいるかもしれないのに。そういうことは一切考慮せず、マスクを心の壁の比喩のように扱って主導権を握ろうとしているのだ。言っている内容に加えて語尾の軽さ、語呂の良さがあやしさに拍車をかけている。

マスク

★嚥下賞
春眠の口にねじ込むチョコレート   実駒

眠っているひとの口にチョコレートをねじ込む。反射的に飲み込んでしまい、喉に詰まったらどうしよう……と心配になりました。
いや、口を開けて寝ているひとの口の中に放り込んだのなら誤飲の危険性が高まるけど「ねじ込む」だから大丈夫なのかもしれない。唇は閉じているわけで、前歯で止まるような気もする。ちょっと溶けた状態で口からぽろっと落ちたら服が汚れそう。
春は馬鹿なことやしょうもないいたずらをしたくなる時期です。チョコレートをねじ込むなとは言わない。ねじ込んだままその場を離れてはいけない。ねじ込んだひとは責任を持ってチョコレートを回収していくべき。BL読みをおすすめしたい句です。

★心配ない賞
石鹸玉 日々見える私は 頭がおかしい   高橋あずさ

高橋さんは俳句に興味を持ち始めたばかりなのではないかと思います。
なぜそう思ったかというと上五・中七・下五の間に一字分のスペースを入れているから。一句だけではなく、応募作がすべてこの形式だったから。
俳句や短歌ではスペースを入れずに続けて書くのが一般的です。(もし、意図的にこのスタイルで書いているのならごめんなさい。その場合はあなたのトリックにわたしが完全に騙されているということなのでガッツポーズ!)
たぶん、筆で書いていたころはどこにスペースを入れるかなんて気にする必要がなかったわけで、スペースという概念は印刷機のせいでできちゃったのでしょう。印刷物やデジタルデバイスで作品を発表するわたしたちは、スペースを表現技法として使うことができる。入れる、入れないが選択できるわけです。
「すべての句の五七五それぞれの間にスペースを入れる」を自分のルールとして選択するのなら、それも面白いのかもしれない。それによってたとえば使える言葉は制約を受けて「スリジャヤワルダナプラコッテ春の雨」※2みたいな句は書けなくなります。このルールだと「句またがり」や「破調」の句が書きにくく、五七五の枠にきっちりおさまった作品になりがち。
で、本来だったらここまでで説明を終えて「まあ、次からはスペース入れずに続けて書けば?」と言ってしまうのですが、高橋さんの句が面白いのは、間にスペースを入れるルールを採用しながらも字余りの句になっているところ。

しゃぼんだま(5音)ひびみえるわたしは(9音)あたまがおかしい(8音)

リズムからしたら「自由律」と言っていいと思います。
つまり、自由律の音を記述する際に五七五の定型を強く意識させるようなスペースの入れ方をしている。そう考えると興味深い試みです。

生きていたら視界に石鹸玉がふわふわする時期もあるでしょう。だいじょうぶ、あなただけがおかしいわけではありません。あまり気になるようならお医者様に相談を。

※1 作者=俳句の作中主体(作中人物)と解釈する方も結構いらっしゃるようなのですが、わたしはそういうふうには読みません。他人の人生に土足で踏み込みたくないからです。たとえ作者自身から「わたしの人生の物語として読んでね」と差し出されたものだったとしても、そこにはクッションを挟みたい。

※2 いま適当につくった句なので品質についてはご了承ください。スリジャヤワルダナプラコッテはスリランカの首都。言葉の塊ごとに分けると「スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ」となるようです。

発表☆第1回ビバ!ユキオ俳句賞(5/7)

BL部門※1の発表です。
かの松尾芭蕉は四十八字皆BLなりと言い、高浜虚子は選はBLなりと言いました。
言いませんでしたっけ。言ってないか。

【BL部門】

★擬人化ジャンル万能賞
人肌のそしてわかったくすぐったい   藤田千鳥

もうこれは、無生物を擬人化したジャンルであれば鉄道であろうと刀剣であろうと何でも重ね合せることのできる万能BL句ではないでしょうか。
「人肌の」で一度切れて、唐突に「そしてわかった」「くすぐったい」。
人肌が触れてくるとくすぐったい。人の肌を持っているとくすぐったい。
無季だけど春めいてる。きらきらと光に透ける産毛を感じます。

★雄っぱいがいっぱい賞
ヒールからヒールに渡るビールかな   藤田俊

悪役プロレスラー(ヒール)から別の悪役プロレスラーにビールが手渡される。試合の後の打ち上げだろうか。
屈強な男たちが居酒屋の席にぎゅっと押し込められ、筋肉と筋肉が触れ合っているところを想像してほしい。Tシャツの袖の許容範囲ギリギリまで太くなってる二の腕と二の腕。ジャージの太腿とダメージジーンズの太腿。山盛りの食事はあっという間に消えていく。ジョッキがショットグラスに見える。
重要なのは、このひとたちは奥の席にちゃんとビールを回してくれるという点である。
「お姉さんありがとう、こっちで回しまーす! はい、グレート〇〇さんどうぞ〜。はいよ〜、ウルティマ××さんどうぞ〜」
なごやかである。試合で激しくぶつかり合う彼らは、実際はみんな仲良しなのである。その様子を思うと、なんというか、こう、胸の奥がほっこりして、あれが、あれだ、俺たちは、易々とテンカウントを取られてしまうんだ……。
ヒール、ヒールと繰り返してビールで韻を踏む他愛もない駄洒落。このレスラーたちも「ハイハイ! オレ一句詠みます! 俺ヒール、お前もヒール、これビール!」とか適当なこと言っているのではないだろうか。

★ボラード賞
妻の兄とは冬鷗見たつきり   西川火尖

北風吹きすさぶ海で彼らは冬のカモメを見た。妻の兄とはそれっきり会っていない。
この句は、たったそれだけの情報でBLみを匂わせてくる。※2
仮に「正月に麻雀したっきり」「ナイターに行ったっきり」「バーベキューしたっきり」「一緒にパチンコ行ったっきり」のようなエピソードと置き換えてみると「冬鷗」に宿るドラマ性の豊かさがおわかりいただけることと思う。麻雀やナイターやバーベキューやパチンコに行ったきり会っていない設定ならば、またすぐに会えそう。
しかし「冬鷗」は。
なんだか、それっきり、本当にそれっきりの永遠の別れになってしまうような寂しげな雰囲気が漂っていませんか。
汽笛。潮の香り。消波ブロック。係船柱。
歳時記によると夏に見かけるカモメは「うみねこ」で、他の種類のカモメは冬の間を日本で過ごすらしいです。妻の兄もまた渡り鳥のように遠くに行ってしまったのではないか。そしてこのひとは、毎日見ている妻の顔の中にときどき義兄の面影を重ねてしまったりするのではないでしょうか。

★24年組賞
ぼくはいちじくあおいいちじく薬缶鳴る   はんざき

「青い果実」という表現がある。そのように言われる側の人格を無視して「食われるもの」扱いしてるしそもそもペドフィリアだし21世紀にはしっかり滅んでいただきたい言い回しである。
しかし、当の若年者が若さゆえに性的な視線を向けられることを意識して「あおいいちじく」と自称してみせる痛々しい美を、わたしはまだ完全には否定することができない。飽くまでファンタジーの範囲として、だが。
「ぼくはいちじくあおいいちじく」の繰り返しは誘惑だろうか。それとも陵辱されながら自分は「あおいいちじく」なのだと繰り返し言い聞かせてやり過ごそうとしているのだろうか。
何かがピークに達したことを表すような薬缶の音。悲劇的でもあり、同時にコミカルでもある。
禁断の果実を食べたアダムとイブが股間を隠した葉はいちじく。肛門性交と縁の深いイチジク浣腸。茎を傷つけた際に出てくる白い汁。いちじくは何かとエロティシズムを仮託されてしまう植物だ。
現役最高齢腐女子として生を全うされた金原まさ子さんにも

猿のように抱かれ干しいちじくを欲る 『カルナヴァル』

という句がある。

★うたかた賞
炭酸水あなたはまじで死ぬやうだ   栞名子

「あなたは……ようだ」という書き言葉の中にカジュアルな話し言葉の「まじで」がぶっ込まれている。書き言葉では間に合わず「まじで」と思ってしまうほどまじでまじでまじで「あなた」は死にそうなのだ。
ところでみなさんは90年代末期をどのようにお過ごしでしたでしょうか。わたしは友人の貸してくれた小野塚カホリの漫画を読んでいました。寺山修司の引用があったり、カルト映画をチラッと紹介したり、とにかく文化的で、適度に暴力的で、おしゃれで、かっこよかった。
この句を読んだとき、小野塚カホリを思い出したのです。AIDSを発症して死んだ誘拐犯に馬乗りになって事に及ぶ被害者少年みたいな、いま思うと「ちょ、待って?」という漫画でしたが当時は泣きました。いま読んでも「ちょ」って言いながら泣くかな。
炭酸きつめの炭酸水を飲むときの、喉のに生じる抵抗の感覚。それは親しい人の今際の際に直面しているときの息苦しさのようだ。

★炎帝受け※3
   富士登山
めくらみ登る炎帝の赤肌は   高山れおな

「炎帝」とは夏の擬人化キャラクターです。
俳句では、一般的に炎帝は攻め攻めしく描かれがち。
BL読者諸姉諸兄の中には「攻め攻めしいということはつまり受け受けしいということである」というような、禅の境地に向かわれる方もいらっしゃるかと思いますが、まずはちょっと読んでみてほしい。

炎帝に組み伏せられているごとし   谷雅子
腕撫して炎帝の寵ほしいまま   能村登四郎
炎帝に召し使はれて肥担ぐ   上田五千石

一句目、襲い受けではなく炎帝は攻めだと解釈しました。
二句目、寵愛をほしいままにしているというのだから炎帝は攻めだと解釈しました。
三句目、炎帝に強制労働させられている句なので炎帝は攻めだと解釈しました。

解釈違いはご甘受ください。

そして、高山れおなさんの句である。夏の暑さそのものを炎帝と呼んでいるのとは少し違うようだ。炎帝の赤肌に登るというのだから、ここでは(夏の)富士山を「炎帝」に喩えている。火山である富士山を炎帝と呼ぶのは言われてみれば本当にしっくりくる。やばいかっこいい。
圧倒的な大きさの赤い山肌を登って行くショタのごとき人間。炎帝であるところの富士山は、悠々と構えた年上の受けのようだ。赤肌は興奮して紅潮した肌であり、登山者の眩暈もまた興奮から生じたもののように思えてくる。

★僧侶受け賞
寒明や肌着の上に数珠を置き   なかやまなな

さきほどの炎帝受けについては大方の同意をいたただけたかと思うのだが、この句が僧侶受けだということに関しては完全にわたしの個人的な趣味だ。中性的な顔立ちの美僧が敢えて剃髪していてほしいし、肌着はきちんと畳まれていてほしい。そこにきれいに数珠が置かれているわけです。この俳句は事後の光景なんですよ。二人が致した翌朝の。「数珠を置き」というのが現在の時制みたいにも思えるけど(こんなにきちんと)数珠を置き(そのあとあんなに激しく乱れたんだなこいつは)の括弧内が省略された形で、つまり攻め側の感慨なんです。
搔きむしるように脱いでぐっちゃぐちゃな事後の光景もいいけれど、冷静に几帳面に脱いだ後に身も世もなくむしゃぶりついてきやがったぜ、というのも味わい深いのである。
念のため書いておくと、俳句そのものには僧衣の肌着だとは書かれていない。数珠を持っているからといって僧侶とは限らない。未亡人の線もアリだと思う。いや、性行為を連想する必要もないのだ本当は。

って、書いてこの記事をアップロードした後にようやく気づいたんですが、寒明って寒中の朝じゃなくて寒の時期の終わりって意味じゃねえか! ようするに立春です。スライディング土下座して謝ります! 申し訳ない! 季語を間違えて覚えそうになった俳句ビギナーの方、お手元の歳時記でご確認の上わたくしの轍を踏まぬようお気をつけください。
ところでこの件を知った友人から「ということは、あったかくなって、裸になりやすくなったんだね」というメッセージが飛んできました。うん。事後じゃなくてこれからまさに始めるところっていう可能性が高くなるかと思います。(4/8 23:30追記)

★いやむしろつきあってない賞
ラーメンの汁は共有若葉風   田中目八

「ラーメンの汁は・・・・若葉風」という俳句の4音分の空白にあてはまる言葉を考えてください、という問題を出したとして、正解できるひとは限りなくゼロに近いだろう。「味噌味」とか「ギトギト」とか「少なめ」とか答えたくなるはずだ。
ふつうしないじゃないですか。ラーメンの汁の「共有」なんて。
ひとりがラーメンを食べて、残った汁にもうひとりが麺を入れて食べる。
鍋や巨大パフェをみんなでつつくことには抵抗がなくても、ラーメンの汁の共有はちょっと気持ち悪い。
だから、それを平気でやってのけているこのひとたちは、だいぶ親密な仲です。家族か。恋人か。距離の近すぎる親友か。
本日はぜひね、この「距離の近すぎる親友」として読むのをおすすめしたいと思いますよ。
いかがでしょうか。ブロマンスなどと呼んでみてもいいかもしれません。
若葉風がさわやかです。

★レボルシオン賞
西日さす君にチェ・ゲバラ・エプロンを   ちなみ

西日のさす夏の午後。ありふれたチェ・ゲバラのTシャツではなく、君にはチェ・ゲバラのエプロンをあげるよ。
「君」は西日に照らされて、すこし汗ばんだ顔で料理をしている。
革命家としてのゲバラ。多くの若者に慕われた兄貴分のようなゲバラ。喘息に苦しんだゲバラ。医師としてのゲバラ。女ったらしのゲバラ。バイクで旅をした若き日のゲバラ。数限りなくあるゲバラのイメージ、有名な逸話の中のいくつかを、語り手は「君」に重ねてみたりするのだろう。
そもそも「チェ」という名前は、エルネスト・ゲバラが相手に「チェ」と呼びかけることから付いた愛称だ。「君」と呼びかける癖のあるひとに愛とからかいを込めて「君」と呼び返しているのである。この、「君」と「君」の往還がまさにBLではないですか。
ちなみさんの作品は5句連作でした。察するに神回の誉れ高い「チョイ住み in キューバ」を元にしたのではないかな。
はい、みなさん思い出して。

「よごれてないたまご」と云へり夏の朝  ちなみ(珍部門「ハッピーイースター賞」受賞作)

この句のシチュエーションもキューバならなんとなく納得がいく。
そう、わたしは本当に人生を損していると思うんですけど、界隈で話題になったこの番組を見てないんですよね……。
他の句もあわせて読んでいただきたい。が、敢えてここでは全句を紹介しないスタイル。ご本人から何かの形で発表してもらえるかもしれないので、待つ!

★スタンドバイミー賞
手を引いてくぐる踏切夏の星   佐々木紺

踏切の中で立ち止まっていたら遮断機が下りてしまって、手を引いて一緒に脱出したのか。それとも遮断機の下りている踏切に進入していくところなのか。書かれている言葉の順に想像していくなら前者とは考えにくい。このふたりは、手を引いて踏切の外から中へ進入したように思える。無事に走って通過したのか、心中を図ったのか。助かったのか、ふたりとも亡くなったのか、ひとりは生き残ったのか。カメラは夏の星空にパンしてしまってふたりの行く末を見せてはくれない。
現実にはなかなか実行するひとはいないし、実行したひとはそれを書かない種類の行為なので、臨場感があったり、見てきたような上手い嘘をついたりするタイプの句ではない。むしろ夢の中のような幻想的な雰囲気。しかし誰か親密な相手と一緒に危険を冒す、その危うさには確かな手触りがある。

★ひとり賞
引き金の湿つてゐたる花野かな   喪字男

いままでの句は基本的に誰かと誰かの関係性を読み取ってきたのですが、これはソロ。でもわたしがBLに求めている良さとこの句の良さは非常に近いんです。
引き金というのは拳銃の引き金だろう。引き金にかけた指が汗で湿っている。花野は秋草の生えた高原などを表す季語。

なぜこのひとは花野で引き金に指をかけているのだろう。
自殺あるいは、自慰の比喩。
秋の野原は華やかでありながら死の匂いに満ちている。

硬質な銃と、小さく繊細な花々。ローラ・アシュレイキャス・キッドソンのパターンに囲まれたおじさんを連想してしまう。怖いとかわいいは両立する、むさくるしいと可憐は両立する、BLはそういったことを(BLという言葉が生まれる前の時代から)繰り返し繰り返し描いてきたように思う。

※1 BLとはボーイズラブの略語です。ボーイ(少年)に限らず男性同士の関係性の機微を鑑賞する趣味、という程度にざっくりとご理解ください。
※2 この連載を途中から読み始めた方のために補足しておくと、「ビバ!ユキオ俳句賞」は部門別に句を募集したわけではなく、お題を一切設けずに募集した俳句を選者が勝手に部門に振り分けて表彰しています。BLみを強引に嗅ぎ取っているのは選者の方で全然BLじゃないじゃないかというご意見もあろうかと思います。
※3 BLにおいて、挿入する側を「攻め」、挿入される側を「受け」と呼ぶ。

なお、本稿では「萌える」「尊い」「無理」をNGワードに設定し、血反吐を吐きながら語彙をひねり出してお送りしました。

駅前留学生活

ひと月ほど前から、常に英語がきこえてくる職場で働いている。
面接では「日常会話程度ならなんとかなります」と言ったし必ずしも嘘ではないが正直失敗した感が強い。

ある日の朝礼で新しい外国人スタッフが紹介され(英語で)、よーし、それではみんな自己紹介をしよう、と上司が言った(英語で)。
順番が回ってきたのでゆりやんレトリィバァをイメージしつつイントロディースマイセルフしたが、通じているかはいまひとつわからなかった。いや、こういうのは通じているかどうかではない。挨拶をすることに意味があるのだ。それでその場が和やかになるのだ。どうせ相手も全員の名前をすぐには覚えられない。単なる儀式だ。

基本的に雰囲気の良い職場なのだが、雰囲気が良いだけに「日常会話」が本当にある。
まわりのひとが雑談するペースについていけない。
もともと他人の言葉をさえぎってまで話す性格ではないので会話に加わるタイミングがない。
上司の冗談には、わかる範囲で笑う。
(わたしの理解が間違っていなければ「羊羹をよう噛んで食べる」という駄洒落を英語で説明していたようだった。)

今日は、夏からこちらに赴任してくる予定の外国人上司にメールを書いた。
初めての英文メールである。
本文を英語の得意な(年下の)先輩に添削してもらい、件名もいい感じにつけて送信した。

あとで送信済みボックスを見たら “About the meeeting” と書いてあった。

(脳内で再生されるGReeeeN。)

日本にいるのに、日本に帰りたい。

発表☆第1回ビバ!ユキオ俳句賞(4/7)

珍部門受賞作の発表です。
「なぜこんなことを俳句でやろうと思ったの……?」
と考え込まずにはいられない不思議な味わいの俳句を集めました。勇気とサービス精神に珍の称号を捧げます。
(これまで発表した部門:VR部門どうぶつ部門ホラー部門・小太郎部門

「なぜこんなことを俳句でやろうと思ったの……?」と思っている羊

【珍部門】

★あんぽ柿賞
つくられた干柿さわられる干柿   井口可奈

「つくられた干柿さわられる干柿」と「干柿」が繰り返されることで想像するのは、軒下にたくさんの干柿が並んでぶら下がっているところ。
しかしこの「つくられた」がよくわからない。「つくられた干柿」とはどういうことを言っているのか。皮を剥いて紐で吊るされた状態なのか、そこからしばらく経って水分がいくらか抜けた状態なのか、もういつ食べても大丈夫という状態なのか、すでに紐をはずされて食卓に供されているのか。
わたしにとっての干柿は「つくる」というより、皮を剥いて吊っておいたら勝手にできたり、失敗して黴が生えたりするものだ。もちろん生え始めた黴を落としてリカバリする方法などもあるわけだが、概ねただただ食べごろになるのを待つものであり、「つくる」というよりは「する」という意識で、「あんたほうまだ干柿しとらんのん?」「へえ、天気う見てしょう思よんじゃ」……
と、つらつらと考えていてやっと気づく。
この句は、自分の家の軒下を見ているのではなく、有名な柿の産地で生産されてスーパーやデパートなどに並ぶ、美しい干柿の生産過程を、消費するひとの側から詠んだものなのでは、と。

すみません、田舎の暮らしはいいぞマウンティングみたいに見えたらごめんなさい。都会で暮らしたことがないのです。家とも干柿とも距離を置かず狭い世界で生きております。

出荷するための干柿生産の様子を、ニュース映像で見たことがある。たくさんの干柿が “農協婦人部” (というものがいまもあるのかどうかわからないが)のような組織の女性たちの手で揉まれていた。干柿は製造段階で大いに「さわられる」のだ。揉むことによってより甘く柔らかくなる、というような理由だったと思うが、知らないひとの手が触れたものを口にすることへのわずかな抵抗感を、この「さわられる」は意識させる。
俳句で食べ物をおいしそうに描けたらすばらしいし、多くの人はそれを目指す。だけど、こんなふうにほんの一瞬頭をよぎってすぐに忘れてしまっているような抵抗感・違和感を拾い上げてくれる句もいい。

★羊の賞
ムートンのにほひ生年月日かな   榊陽子

すごくシンプルな「取り合わせ」「二物衝撃」ですが、取り合わせるものが変わっています。
「ムートンのにほひ」「生年月日」て!

ムートンは季語として使っていると考えたい。コートかブーツだろうか。ムートン何それおいしいのという方はおぐぐりください。絶対見たことあると思う。
ムートンのにおいには形はないし、生年月日も概念。具体的な景を結びにくい言葉の選び方ではあるものの、わたしの場合はこの組み合わせからムートンコートを着たまま市役所の隅の机で書類を書いている人物が見えてきました。
市役所の中は暖房が入っているのですこし暑くなってくる。体温の上昇でムートンコートの獣のにおいがふわりと立ちのぼる。いま自分が衣服として着ているものに、生きて牧場を走り回っていた過去があるということ。わたしたちはそれを知識として知っているけれど、普段は完全に忘れている。
「生年月日かな」なんて普通なら詠嘆するようなことではない。単なる身分証明のための数字の羅列にすぎない。しかし、一頭の家畜の生と死を意識したことで、生年月日はただの数字を超えてこの肉体が「生まれた」という事実を思い起こさせ、そしてその先には死があるということに、ふと立ち止まってしまうのだ。
余談ですが「にほひ」の歴史的仮名遣いはムートンのモフモフ感を増幅してると思います。

★ギャラクシー賞
短冊を刃に織姫の脾腹割く   藤幹子

願い事の書かれた七夕の短冊。その短冊で織姫の腹を割く、と言う。
暴力のようでもあり、解剖のようでもある。
姫の割けた腹からこぼれ出るのは血か色とりどりの糸か星屑か。

「最低限の情報をのせた一枚絵を置いておきますので、あとはご自由に妄想してください」とでも言うかのような句だ。澁澤龍彦風の耽美的な小説にするもよし。MARVELDCのような銀河を股にかけたアクションにするもよし。

ところで彦星はどうした。彦星の不在感がすごい。織姫、抵抗しなかったのか。戦って負けたのか。おとなしく腹を差し出したのか。そこにほのかな百合を感じる。

★専門店街賞
山眠る報知器専門店へ行く   久石ソナ

5句中3句に「◯◯専門店」を登場させた久石ソナさん。3軒の専門店の中で「取り合わせ」としてぐっときたのは「報知器専門店」でした。
彩度の低い冬山と、火災報知器の鮮やかな赤。山の静寂と「報知器」から感じるけたたましい警告音の対比。(描かれている情景としては「報知器専門店へ行く」だから報知器はまだ鳴っていないのだが、意識の中では一瞬報知器の音が鳴り響く。)
「報知器専門店」などというものは実在しないのではないかと思うが、川上弘美的リアリティラインというか、現実からほんのすこしだけ浮き上がったファンタジーとしてとても魅力的。

参考:ホーチキ株式会社(名前がそのまんまですごくない!?)

★ハッピーイースター賞
「よごれてないたまご」と云へり夏の朝   ちなみ

幼い頃、うちの庭には二羽ほど鶏がいたように記憶しているのだが(シャレじゃなくてほんとうなんです!)蛇だかイタチだかに食われていなくなってしまった。家の鶏が産んだたまごは茶色く汚れていたような気がする。いまの生活では汚れたたまごを見るのはなかなか難しい。スーパーで買うたまごはきれいに洗われていてまるで工業製品のようだ。(実際工業製品と同じように大型の装置で洗浄されて検品後出荷されるようです。工場見学してみたい。)
「よごれてないたまご」と敢えて言うのは、この俳句の登場人物たちがいま「よごれたたまご」がざらにある環境に置かれているからなのではないか。「よごれてないたまご」が当たり前の場所ではそんな発言は出てこない。
養鶏場に来てみたのか、農家の放し飼いか。それとも外国の市場なのか。
「言う」「聞こえる」「見える」「思う」といった言葉は俳句では省略されがちだが、敢えて記述された「云へり」には軽い驚きがこもっている。「『よごれてないたまご』と言ってるよこの人!」と。
夏の朝。強い日差しと涼しい空気。サンダルばきで向かった鶏小屋、あるいは市場。彼らの見ている汚れたたまごや汚れていないたまごはきっとどれも産みたての新鮮なたまごで、触るとまだほのかにあたたかい。
最後に予言しておきます。我はBL部門でこの話題にもう一度触れるであろう!


発表☆第1回ビバ!ユキオ俳句賞(3/7)

VR部門どうぶつ部門が終わり、今回はホラー部門・小太郎部門を2つまとめて発表したいと思います。

【ホラー部門】

★グランシアター賞

しかばねの息のくさゝよ霾ぐもり   西明石
耕せるなづきを土にこぼしつゝ   西明石

ビバ!ユキオ俳句賞は連作単位で読むことは想定していなかったのですが、連作として考えてくれたんだな〜という人が数人いらっしゃいました。西明石さんもそのひとり。
どう考えてもゾンビ連作なのです。5句まとめて紹介するか迷いましたが2句だけ選びました。他の句もゾンビの魅力をとてもよく捉えているのでいつか連作としてご自身のメディアで発表していただけたら嬉しいな! ゾンビ句集やゾンビ俳句ZINEのような形になったら自分用と布教用と2冊購入希望です。
一句目。普通の死体は呼吸をしませんが、ゾンビは(酸素を取り入れて二酸化炭素を排出しているとは限らないものの)呼吸に近い動きをしているのかもしれない。ゾンビは襲い掛かる際に唸り声を上げることが多いので空気が声帯を通っていることは間違いない。あるいは、腐敗により体内で発生したガスが口や鼻から出てくることを息と捉えているのかもしれない。
語り手はそれをどういう距離感で感じているのでしょうか。切羽詰まった状況というよりはどことなく余裕が感じられるので、ある程度の安全を確保した状態で歩く死体たちが通り過ぎるのを待っているところなのかもしれません。ゾンビ発生初期ではなく、ゾンビがいることが日常になった世界なんだと思う。
黄砂で空が曇る「霾ぐもり」はゾンビ映画の宣伝用のビジュアルに登場するような、ゾンビアポカリプスにぴったりの空模様のように思えてきます。
二句目。ゾンビには「生前の動作を繰り返す」という設定がしばしば与えられます。たとえば『ウォーム・ボディーズ』の冒頭、空港のシーンでは、ゾンビが金属探知機を振ったり、握りしめたモップを緩慢に動かしたりする。『ランド・オブ・ザ・デッド』には楽隊のゾンビたちが各々の楽器を持った状態で登場する。
これよ、これ。
腐乱してゆく肉体を風雨にさらしながら、生前と同じように畑を打っている死体。割れた頭から脳(なづき)がこぼれる。このひと、自ら土になりながら土を耕しているんですよ! なんという諸行無常!
「耕(たがやし)」は春の季語。ゆっくりと不器用に鍬を振る死体の周りにはオオイヌノフグリやホトケノザが咲いていることでしょう。
よい映画を観たなあ、という気持ち。

★なんとかオブザデッド賞
床に寝てふたりじゃがいも・おぶ・ざ・でっど   みやねね子

「オブ・ザ・デッドつけとけばなんでも面白くなると思うなよ!」とお思いになる向きもあるかもしれない。しかしゾンビ好きは「オブ・ザ・デッド」と言われるだけでうきうきしてしまう。なんならわたし「HAIKU OF THE DEAD」という日記形式の文章を書いたことすらありますからね。
この句は、ゾンビのいる様子を描いたものというよりも比喩と考えるのが自然だ。「ふたりの人間が、ジャガイモのように床に転がり、ゾンビのようにぐったりとしている(ときどき動く)」というような情景。
じゃがいもから連想するのは「カウチポテト」という言葉。カウチ(ソファ)にじゃがいものように座りっぱなしでTVを見ている怠惰な状態を言うらしい。床に寝たふたりの部屋にもきっとTVがあって、そこで流れているのは永遠のゾンビアポカリプス……ドラマの『ウォーキング・デッド』だったりしないだろうか。

関連映画:『Dawn of the dead(邦題:ゾンビ)』 『ショーン・オブ・ザ・デッド』 『インド・オブ・ザ・デッド』

★NAKAMA賞
痩せていく茸が好きで朗らかで   正井

「痩せていく茸」というのはおそらく水分がぬけて縮んでいくことを言っているのだろう。
たとえば壁際に薔薇を吊って水分が抜けてドライフラワーになってゆく過程を楽しむこととそのひとが「朗らか」であることは、まあ成立するような気がする。ドライフラワーはそうやって見て楽しむものだから。
しかし茸はどうだろう。「痩せていく茸が好き」であることと「朗らか」であることを並列にならべると、そこにはちょっとした違和感が生じる。
このひとは茸がカラカラになっていく過程を見て「フフッ」となっているのである。保存食にするために乾燥させているのだろうか。それともただその様子を見ているのが好きなのだろうか。
「痩せていく」という、通常は動物に対して使う言葉を用いて擬人法的に表すことで、痩せていく人間を観察しているようなイメージが頭をよぎる。っていうかそもそも茸の形状そのものが人間にすこし似ているんですよ。しめじなんかボブヘア(まさに「マッシュルームカット」という言葉がある)の人物が腰を曲げているように見えることがありませんか。
「痩せていく茸が好きでサイコパス」と書くなら随分常識的になってしまう。「朗らかで」がものすごく不穏。
そう、ハンニバル・レクター博士って、いつも朗らかなんですよね……。

注:NAKAMA(仲間)とはドラマ『ハンニバル』エピソード3に登場する日本人女性の言葉です。

★ケンカ売ってんで賞
安さうでモテさうなピンクのコート   藤田千佳

自分の着ているコートについてファッションチェックを受けたとして「安そうでモテなさそう」と言われるより、「安そうでモテそう」と言われた方がショックが大きい。
「高そうでモテそう」「高そうでモテなさそう」「安そうでモテなさそう」「安そうでモテそう」と4つ並べてみても断トツの破壊力を誇るのは「安そうでモテそう」である。
安いがゆえにモテそう。安っぽいコートを着てる女を好むようなタイプの相手にモテそう。宇野ゆうかさんの発明した「ダサピンク」という言葉がありますが、ピンクは女性性を表す際に短絡的に使われがちな色。そういう、女性にステレオタイプなイメージを当てはめ、その役割を期待するタイプの男性にモテそう。
ショップでハンガーに掛かっている服を見て思っていることではなく、ぜひ誰かがそれを着ている状態で思ったことであってほしい。このひとはきっとピンクのコートに託して「お前という人間の安っぽさ」をも言っているのだ。怖い。

★クボタン賞
来年もよろしくお願い左手の鍵   えみみ

年内最後の営業日を終え、レジを空にし、セキュリティ装置をオンにする。「警備を開始します」の音声を聞きながら裏口から出て鍵をかけ、左手の中の鍵に話しかける「来年もよろしくお願いね」。鍵は大事な店を象徴する存在だ。

と、そういう句なのだろうか。

なんだかこの句にも不穏なものを感じるのですよ。
「来年もよろしくお願いします」ではなく「来年もよろしくお願いね」でもなく、逆にぐっと短い「来年もよろしく」でもなく「来年もよろしくお願い」と書かれている。ちょっと中途半端な印象。
さらに、音の数に注目すると5・8・7。俳人が忌避する中八で、さらに下五も字余りになっている。のんびりと読みたくなる字余りと早口で読んで定型のリズムに合わせたくなる字余りがあるけれど、中八で間延びした分だけ「左手の鍵」は早口で読みたくなる。早口で読むと「左手の鍵」が秘密めいた何かに思えてくる。
ねえ、その鍵、単に鍵の機能のためだけに持っているものではないのではないですか。数々の修羅場をその鍵を使ってくぐり抜けてきたのではないですか。なんかこう、スケバンが、ピンチになったらサッと取り出す隠し武器みたいな。(イメージが古いのはご了承ください。南野陽子や浅香唯に憧れていた世代です。)
クボタンという武器がある。鍵束を付けて使用する護身用の武器である。

【小太郎部門】

全応募作の中に「小太郎」が登場する句が2句ありました。小太郎、有名人なの……?
(余談ですが「西野カナ」を詠んだひとも2人いました。こちらはまだわかる気がします。)

★ベストドレッサー賞
小太郎がまさか浴衣で来るなんて   でらっくま

なぜ「まさか」と言われているのか。小太郎が浴衣で来たシチュエーションを3つ考えてみました。

(1)花火大会の日、性格上浴衣なんて着そうにない小太郎が浴衣で来た。
(2)社長がクールビズを宣言した翌日、小太郎はスーツをやめて浴衣で来た。
(3)羽織袴で盛装すべき状況なのに、小太郎はラフな浴衣で来た。

(1)と読む場合、「小太郎」という名前を使うことに若干の違和感がある。「小太郎」は、かなり和装の似合いそうな名前だと思います。ちょんまげの時代から昭和のはじめくらいのイメージ。浴衣を着ていてもおかしくなさそう。
名前から受けるイメージだけで想像してもらいたいのですが、「フランツ・カフカ」や「李小龍」や「ニャホニャホタマクロー」が浴衣で来たというなら「まさか」という気持ちになる。
しかし浴衣を着る意外性であまり面白くなりすぎると俳句として面白くなくなっちゃうので、現代の日本人にありがちな名前にすると青春っぽく仕上がるかもしれません。

(2)いちばん応援したい小太郎です。オフィスが夏らしくなっていいと思う。しかしやはり名前のイメージからするとオフィスワークはしてなさそう。現実にはオフィスワークをする小太郎さんはいらっしゃると思うのですが、飽くまで名前から受ける印象です。

(3)は、名前のイメージ的にはいかにも羽織袴でビシッとキメてきそうな小太郎が浴衣なんていうカジュアルファッションで来ちゃった。まじかよ、いまから兄弟盃なのに、親分連中みんな羽織袴なのに、盃を受ける立場のテメエが浴衣でいいのかよ、破門されっぞ? というような場面です。小太郎、ハレの日になんでそんなことしちゃったんだ。小太郎が心配です。

その場で期待されているドレスコードによって「まさか浴衣で」と言った理由が「予想よりドレッシーだったから」にも「カジュアルすぎるから」にもなりうる。ゆえにこの句は読みがぶれるのです。「読みがぶれる」は俳句ではマイナス評価として言われることが多いけど「読みがぶれて楽しい」側面もあると思うの。
もっとも「小太郎」には何か元ネタがあるのかもしれない。全然思いつかないのでこっそり教えてください。

★あんぱん賞
目まとひや小太郎の首また落ちぬ   藤幹子

小太郎! 大事な盃の日に浴衣で行ったりするから!

思わずでらっくまさんの句の続きとして読んでしまいましたが、こちらの小太郎は何度も何度も首が落ちるという災難に遭っているらしい。
「目まとひ」は「まくなぎ」とも呼ばれる夏の羽虫。顔の周りにまとわりついてくる厄介な虫です。
払っても払っても目に入ろうとしてくるうっとうしい虫たちと、何度生まれ直しても首を打たれてしまう小太郎。メマトイはのがれられない運命の寓意です。
文楽の「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」という演目では小太郎という名前の少年が首を打たれるらしいので、そこからインスパイアされた句なのかもしれません。もしこれでなかったとしても、「小太郎」は繰り返し上演される(上映される・思い出される・二次創作される・プレイされる)物語の登場人物なのではないでしょうか。
アンパンマンやアラレちゃんのように首が取り外し可能になっている、ということではないと思う。


発表☆第1回ビバ!ユキオ俳句賞(2/7)

前回は「VR部門」受賞者を発表しました。
今回は「どうぶつ部門」。
動物と人外の句をどうぶつ部門としてまとめました。

【どうぶつ部門】

★金熊賞
熊穴を出づマカロンの踏んだやつ   尼崎武

この句を含めて入賞した熊が4頭いるのですが、その中でマイベスト熊だったので金熊賞です。
「熊穴を出づ」で春の句。冬眠から覚めた熊がマカロンを踏んだとは読みたくない。穴からのっそりと出てきた熊と踏まれて粉々ベトベトになったマカロンは飽くまでも別のショット。「踏み砕かれしマカロンあり」みたいな文語ではなく見た瞬間つぶやいてしまったような「マカロンの踏んだやつ」というフレーズの唐突感がいい。
マカロンの小ささ脆さに対するとき、人間は熊のように重く巨大な存在だということを思い起こさせます。春っぽいよねマカロンは。

★シェイプ・オブ・クマ賞
抱きあえばどこまでうすくなる熊よ   亀山朧

熊と抱擁する。腕が背中に回りきらず巨木の幹にはりついている蝉のように。と思っていたら熊はどんどんしぼんでいって抱きしめられるほどの薄さになり、抱きしめたその力でさらに薄くなりああこのままでは敷物のように毛皮だけのぺちゃんこになってしまう……。抱きしめたいという欲求を満たそうとすればするだけすり抜けていって満たされない。
セックスの後に心身ともにしぼんでしまう男性の比喩、というのは頭をよぎるのですが、そう考えてしまうとあまりにも直截的で夢がない。ほんものの熊の姿をしたものが空気を抜かれた人形のようにぺしゃんこになっていくさびしさ切なさを味わいたいです。

★萌え吐き賞
か、ち、かち、とだぶるくりっくするヒグマ   おのだみき

本州にいる黒いツキノワグマではなく北海道の茶色くて大きなヒグマ。
大きなヒグマの手でマウスをクリックするのは難しい。
「か、ち、かち、」というダブルクリックは、ゆっくりすぎてシングルクリック2回と認識されるのではないか。だからヒグマさんはダブルクリックと認識されるまでなんどもなんどもかちかちかちかちかちかちかちかちを繰り返さなければいけません。読点が利いています。ひらがなも「人間のするというだぶるくりっくとやら」をしている感じが出ています。
だいぶ冷静に書きましたが大きくてかわいいものがいっしょうけんめい細かい作業をしているかわいらしさがおわかりいただけるだろうか。
このヒグマはタイピングもあまり得意ではないはずです。どんな文章を打つか想像してほしい。「こんんひjちひゃ とんwりにひこそkてkみたくまでし・(訳:こんにちは。隣に引っ越してきたくまです。)」みたいなメールをもらうところを想像してみてほしい。キーボードに蜂蜜をこぼしたりするしUSBメモリがうまくささらなくて30分格闘した末に諦めたりしますよ…ウッ…ウッ…かわいそうかわいい…!
もしもこの句が「カチカチとダブルクリックするヒグマ」と書かれていたらそんなに面白くなかったでしょう。何の問題もなく人間にまぎれこんでスーツ着て中央省庁で働けてしまいそう。(でもヒグマが平気な顔をしてオフィスで働いていたらそれはそれでかわいい。)

★ボストンバレエ団賞
離陸する形になつてゐる羆   八鍬爽風

もうねえ、これは、見てください。ボストンバレエ団のクマを。

ところで熊が冬の季語とされるのはなぜなんだろう。
狩猟の対象としての熊。冬眠の途中に腹が空いて人里に出てきたとおぼしき熊。冬を暖かく過ごすための道具、毛皮としての熊。歳時記に載っている例句からするとだいたいそんなところ。ただし「生くることしんじつわびし熊を見る/安住敦」とかも載ってるんですよね。こういうのは一年中会える動物園の熊だと思う。
江戸時代のひとたちも「俺ら熊は冬ってことにしてるけどじっさい熊って見たことなくないっすか。冬って言われて実感なくないっすか…」って言ってたんじゃないだろうか。
10年以上俳句を作ったり読んだりしていますが「季語」や「有季定型」の便利さとツッコミどころの多さに興味が尽きません。

★あざとかわいい賞
仔猫歩くぱぱんぴぴぴんぱと歩く   鈴木牛後

「ぱぱんぴぴぴんぱ」という擬音で、仔猫の軽さ小ささ、足取りのおぼつかない様子が表現されています。「ぱぱんぴぴぴんぱ」って、まるでおもちゃのピアノのよう。「ぱ」と広げられた前肢の肉球を見れば表面張力でまるまったプルンプルンのピンクのゲルみたい。触りたい! 触らせろ!「ぴぴぴ」と進んでよろけて止まる「んぱ」!!!
仔猫がかわいいのは全人類が知っている。こんなわかりやすいかわいらしさで殴ってくるなんて卑怯です。くやしい。

おのだみきさんの「か、ち、かち、とだぶるくりっくするヒグマ」のときも思いましたが「かわいい」という心の動きは残酷なものです。自分より弱いもの、不器用なものに感じる好ましさ。ヒグマの句は人間より明らかに大きく強い存在が背中を丸めて不器用にも人間の暮らしを真似しようとしている健気さが「かわいい」。人間の暮らしにおいては人間は優位に立てるから、それが上手くできないものを(野生の状態では獰猛であるにもかかわらず)「かわいい」と思える。
「かわいい」が「守りたい」に繋がればいいんだけど、世の中には「かわいい」から「いじめたい」の方に舵を切ってしまうひともいますよね(例:Guardians of the Galaxy Vol. 2におけるベイビー・グルートの受難)。わたしもときどきどうぶつの森のエレフィンさんや奈良のしかまろくんを責め苛む妄想をします。

★信頼できない語り手賞
「違うんです。生け簀の亀の鳴く声です」   みやさと

だれかの発言であることを表すかぎかっこがついています。
生け簀に亀を飼っていることがあるだろうか。生け簀にいるのは大概スッポンです。
そして春の季語「亀鳴く」。亀が口から音を発することはあっても「鳴く」といえる程ではないので「亀鳴く」は「想像上の季語※」とも言われています。
以上のようなことを念頭に置いて、3分程度座禅を組んでみてほしい。ふと、とんねるずの「おならじゃないのよ、おならじゃないのよ、ちょっと空気が入っただけ」という今の感覚では許容しがたいギャグが鎌首をもたげてきはしまいか。
亀を持ち出した時点で男性から男性への言葉として読んでほしいことを示唆しているようにも思えます。だとすればそれは解剖学的にはほぼ「おなら」なのではないか
この俳句も「VR部門」の松本てふこさんの句と同様、BL部門に入れようかどうしようか非常に迷いました。

※平井照敏編『新歳時記 春』河出文庫

★高丘親王賞
貘の仔をおぼろの街へ放ちけり   加留かるか

動物園の獏ではなさそう。夢を食べるほうの獏ではないでしょうか。
寒さの緩んだ春の夜。ぼんやりとかすんだ街に獏を放つ。人間たちの夢をたーんと食べておいで……。
澁澤龍彦『高丘親王航海記』によると、人間の夢を食べた獏は白い薄い膜におおわれた夢の食べかすを排泄します。膜の中には香りの成分が詰まっており、悪夢を食べた獏は悪臭のする糞を、良い夢を食べた獏は馥郁たる香りの糞を排泄するのだそうです。(おっと。どうぶつ部門、ちょっと尾籠な方向に傾いてきたぜ。)
朝もやの街には、ある種のきのこのような、濁ったしゃぼんだまのような、獏の食べ残しが転がっているかもしれません。

★秋葉原賞
豆撒きの鬼面のかわいすぎる件   土井探花

「かわいすぎる」「件」ってライトノベルのタイトルのよう。このお面、鬼の角がついた美少女のイラストなのではないでしょうか。そうよ。さっき言ってたのこういうことなんですよ。かわいいものに豆をぶつけたがるんだよ人類は!
オタク文化の中で好んで使われる言葉を取り入れた軽妙なおかしさがある一方で、その界隈でしばしば目にする「お金を出してるんだから何をしてもOK」「表現は自由であるべきで何を描いてもいいしゾーニングは必要ない」というような意見を思い起こさせて、素直には笑えない句です。
なんだかディスっているようになってしまいましたが、そういうマイナス面を示唆する、非常に今日的な表現であるというところを高く評価したいです。

★象を称えよ賞
十月の象を洗へる女かな   森舞華

象は形状からして男性器の比喩では、なんてそんな無粋なことを言ってはいけない。(言っちゃった! ごめん! 忘れて!)
象とそれを洗う女性の組み合わせにエロスを感じるならむしろ象と人間の肌の質感の違いや、圧倒的な大きさの違いからくる危うさ、あるいは現代アメリカにおける「洗車する女性」という定番の性的なモチーフなどに目を向けたい。
「十月」は動きそう(=他の言葉に置き換えることができてしまいそう)に見えますが、七月や八月ならば「馬洗う」「牛洗う」という夏の季語のイメージとぶつかってしまうし、「一月」にすると寒々しくなってしまう。「三月」だと春先のふわふわした感じがエロスに寄与しすぎてちょっぴり下品。「六月」は雨が降るから洗う意味がなさそう。と考えたときにやはり「十月」くらいがちょうどいいような気がします。水気があるのに不思議とドライ。

発表☆第1回ビバ!ユキオ俳句賞(1/7)

第1回ビバ!ユキオ俳句賞トロフィー

第1回ビバ!ユキオ俳句賞では81名の方からご応募いただきました。計405句。
本日から7回に分けて選考結果の発表を行いたいと思います。

受賞作を7部門に分けました。

VR部門
どうぶつ部門
ホラー部門
小太郎部門
BL部門
心配部門
珍部門

大賞はありません。
わたしが優柔不断でどれをいちばんにするか決めようとすると何年かかるかわからないので!
大賞はどれがいいか考えてみてね! と皆様に丸投げしていくスタイルです。
(句会のときはどうやって特選を決めるのかって? 並選の中から鉛筆を転がすんだぜ……)

ちなみに上記の7部門合わせて受賞作は49句です。
一通り発表した後で選外佳作にもツッコミを入れるかも……。

それではまずは、VR部門の発表から!

【VR部門】

「景色がくっきり見える」「臨場感がある」など読者である自分が一瞬でその世界に立たされるような句をVR部門として選びました。

★大きい賞
熱気球そっと潰されゆく枯野   ミコシ

景色が大きい! 熱気を送り込んでいるバーナーを止めれば熱気球はしぼむ。その姿を「潰されゆく」という受身で表現しています。
日常言語では「そっと潰す」と言われて想像するのは、たとえば浮き輪や紙風船の空気を抜く動作でしょう。それが熱気球のような大きなものに使われたことでスケール感が狂い、巨大な神の手が現れて気球を潰す様子が見えてしまう。「神」という言葉を使わず「大気圧」と言ってもいい。ふだんそこに働いていると意識させない大きな力がふと姿を表す長い一瞬を捉えたところがぐっときました。
しぼんだ熱気球を受け止める地面が「枯野」となっていることで気球の布の極彩色が際立ちます。

★百合賞
葉酸を摂るべき君や春の海   ショージサキ

「春の海」に取り合わせるものとしてまったく予想外の「葉酸」。
ところでわたしは葉酸のサプリメントを飲んだことがありません。それがどんな感じのものかよくわかりません。しかしながら文字列を目に入れると各パーツからいろんなイメージを受信するもので、葉酸の「酸」という字から漂ってくるツンとした刺激は「春の海」のまだ冷たい潮風と相まって、なんだか妙に目鼻を刺してきます。このひとたちは非常にセンチメンタルな気持ちになっているのではないか。
検索して得られた知識だと葉酸のサプリメントは妊娠を望む人が飲んだりするようなので、ひとまず「君」は女性として読みたい。
で、もうこういうのは俳句の読みを超えて完全に妄想ですが、「妊活」に疲れたA子さん(既婚者)を連れてB子さん(独身)が数日間の短い旅に出るわけですよ。「リラックスしたほうが妊娠しやすくなるって言うからさ」って。春の海に。そしたら旅の最終日、A子さんは靴と靴下脱いで海に足を浸そうとするの。B子さんは慌てて「やめなよ! あんた冷えは大敵って言ってたじゃん!」って怒るんだけど「あはは。そうだっけ」とか言って波打際を歩き始める。波がきてスカートが濡れてもおかまいなし。「ちょ、待って、どうしたの、ねえA子……!」B子さんはA子さんのことが好きだから幸せになってもらいたい。妊娠したいと言うならその望みがかなってほしい。しかしそれがA子の本心からの望みではないとしたら……? A子、A子、あんた本当はどうしたい? ねえ、このままあたしとずっと一緒にいたらどうかな。あたしぜったい泣かせない。あの男みたいにあんたを泣かせない。一生大事にするから。ねえ。ねえ。その言葉は声にならなくてB子はただただA子の姿を目で追うしかないのです。うわーん!

★ほんとにいたんだもん賞
みな蜥蜴消えたところを指差せり   笠井亞子

俳句のような短い詩型では「◯◯がない」と書くことは「◯◯がある」と書くことと本質的には変わらないのではないか。「◯◯」という言葉を読んだ瞬間、一度は◯◯を強烈に想像してしまうからです。
この俳句では「蜥蜴」は「消えた」けど「みな」はあたかもそこにいま蜥蜴がいるかのように蜥蜴の消えた場所を指差している。「みな」の頭のなかにはその場所に蜥蜴のいた映像がくっきりと残っている。「消えたところを指差」す行為は、俳句における在と不在の関係そのものを示しているかのようです。

★ふは賞
けふ春の雪にいくばくかの浮力   西原天気

スローモーション映像のように非常にゆっくりと舞い降りてくる春の雪を想像しました。
「けふ」とか余計じゃね? と思わないでもなかったのですが、いや、やっぱり余計じゃないんだよこれは!
歴史的仮名遣いを選んだときに使えるマジックのひとつに「は」行でふわふわ感(ふはふは感)を増幅させる技があります。(あるよね? たぶんあると思う。例:ふはふはのふくろふの子のふかれをり/小澤實)この句は「けふ」が浮力を増幅させてる。
「春の雪」という季語が上五から中七にまたがっているところもお洒落。何も大げさなことを言っていないのになぜかちょっぴりロマンティック。なんだよ……イケメンかよ……。

★落ち着け賞
バレンタインデーばらばらの単語帳   松本てふこ

BL部門に入れようかどうしようか非常に悩みました。リングで留められた小さいカード式の単語帳。それがばらばらになってるだけ。その日はバレンタインデー。たったそれだけしか書かれていないのに青春の甘酸っぱさ、そしてほろ苦さ、みじめさ、滑稽さが押し寄せて我が胸の奥深くに封印せし黒歴史まで蘇ってきそうです。
単語帳と言えばイメージするのは中学校か高校。書いたり並べ替えたりするためにばらばらにしたというよりはうっかりばらばらにしてしまった感じがしますよね。何に動揺してるんだ君は!

★症例賞
耳薬耳から出でてあたたかし   豊永裕美

点眼薬、点鼻薬とおなじように点耳薬というものがあるんですね。知らなかった。
わたしはみみぐすり、点耳薬というものを使ったことがないけれど、この句を読むと耳からあたたかいものが出てくる感覚が蘇ってきます。たぶんプールで耳に水が入ったとき、頭を傾けて耳から水を出す、そのときに感じる熱さが記憶にあるからだよね。
「あたたか」は春の季語ですから、「耳薬が耳から出てくること」と「外の気温のあたたかさ」を取り合わせたと考えることもできるでしょう。でもわたしは耳からあたたかいものが流れ出る生々しい身体感覚のほうを取りたいと思います。ここは敢えての「無季」っぽい読み方で。