半分妄想トルコ日記 彼は老人と呼ばれた

「君の友人を危険に巻き込むことはない。むしろ24時間組織の警護が付くのだからどんなツアーよりも安全だ」

欺瞞だ。そう思いながらも拒否することはできなかった。組織の決定を覆すことは難しい。とはいえ何もかも許せるわけではない。彼女はここよりもずっと平和な国の人間だ。警戒心もなければ、恐怖に慣れてもいない。倫理的な問題ではない。彼女がパニックに陥っていれば任務は失敗に終わりかねなかった。

「まさかご自身で現場にお見えになるとは思いませんでした、イルハン部長」
「任務とも呼べないような単純な調査だからね」
イルハン部長は白い髭を指で撫でつけながら目をそらして言った。
「調査の必要があったのですか」
「トルコ語がわかりすぎている疑いがあったからさ。確かめる必要があった」
「お言葉ですが、あれは少しやりすぎです。彼女はひどく怯えていました」
「どうして? 私たちは楽しく会話しただけだよ。エミネにトルコ語検定初級の認定証をあげたいなあ。うち、そういうの作れるかな?」
「部長、我々の任務は……」
「はは、冗談だよ」
「彼女があれ以上怖がっていたらギョレメに向かうこともできなかったかもしれません」

あの年齢でまだ結婚しないでいるのにはそれなりの理由があるはずだ。過去に心的外傷を受けるような体験があった可能性も否定できない。

「そんなにショックを受けていたか」
「ええ」
「かわいそうに。抱きしめてやったか?」

私は無言で部屋を出てそのまま駐車場へ向かった。私たちはジェームズ・ボンドじゃない。女性は壊れやすい宝物だ。たとえ異教徒であっても。

ユキサンを日本に返したあとの数日間は多忙を極めた。アンカラ行きの飛行機の中で次の任務に関する資料を読み、その足で諜報部のオフィスに戻って留守中に溜まった事務仕事を片付ける合間にバックパックを開けて私物と備品を分け備品を返却、乾留液が国境を越えたという報告を受けた直後車両部の工場へ足を運んでねぎらいの言葉とともに移送用車両の改善を求めた。水を一本投げ込むためにだけ出てきてもらった元諜報員には謝礼と共にハジババの菓子折を届けるよう手配した。この菓子代は経費で落ちない。前の部署とは違って業務を円滑に運ぶために自分の財布を開くことが多くなった。

乾留液は私の「表の」身分のメールアドレスを見つけてセルフィーを送ってきた。自慢げな笑顔のうしろには彼の故郷の有名な時計台が写り込んでいた。
諜報員としてはベテランの(といっても私よりいくつか年下だが)カラがラップトップを覗き込んで「罪な男だね」と言った。
「罪?」
「みんなあんたに夢中じゃん。空港行きのバスで大泣きした日本人の女も。乾留液も。」
「恣意的に解釈しないでください」
カラは黒く塗った爪で液晶を叩き、
「返信してもいいよ。みんなには黙っとく」
とウィンクした。