イルハン老人の件以外にも、もうひとつ問題が発生していた。
「フレディ、ごめんね、こういうことを相談するのはあなたに対して失礼かとは思うのだけど、生理になってしまいまして」
フレディは一瞬間をおいて「生理」と繰り返した。
「えっと、女の子の日。スーパーマーケットかドラッグストアに行ってサニタリー用品を買いたい」
非常に思慮深い顔で「オーケイ…」という返事が返ってきた。
「歩いてすぐの場所にミグロスというスーパーマーケットがあります」
立ち上がると頭のてっぺんから爪先まで砂が流れるような眩暈を覚えた。
「歩けますか」
「ゆっくりなら歩けるよ」
わたしのスーツケースを運ぶフレディの後ろを、バックパックを背負ってついて行った。
体調はそれ以上悪くならなかったので、わたしの希望でアタチュルク廟に連れて行ってもらった。トルコ建国の父アタチュルクことムスタファ・ケマルの墓だ。
やや左寄りです、みたいな顔してこんなこと言うのもどうかと思うが、機械のように動く兵隊さんを見るのが好きだ。同じような理由で軍楽隊も好きだ。去年台湾を訪れた際には国父記念館(孫文の記念館)に行って衛兵交代式を見た。トルコの衛兵交代式も見なければ。
衛兵交代式のもうひとつのみどころは交代式が円滑に行われるようサポートする側の兵士だ。ひきしまった軍人ボディにタイトなシャツとスラックス。インカム。しっかりと櫛目の入った頭頂部と刈り上げられたうなじ。美しい。
彼らは衛兵の通る道を確保したり、定位置について警備を始める衛兵の服装の乱れを直したりする。衛兵は動いてはいけないので介添人が必要なのだ。
廟の中にぽつんとある棺を見て、ちょっと不思議な感じがした。こんな巨大な建物がお墓、ということが。
「ここにアタチュルクがいます」
「ほんとうに、死体があるんだよね?」
「そうですよ」
「骨で? 防腐処理で?」
回廊は博物館になっていて、アタチュルクの愛用品などが飾られていた。帰り際に衛兵のひとりの隣に立って写真を撮った。丘を下りながら「プロパガンダについて考えるのは面白い」と言ったらフレディが珍しく声を上げて笑った。
*
アンカラ城では楽器を演奏しているグループとそれに合わせて踊っている女性たちがいた。
日本の観光地は手すりを付けたり立ち入り禁止の札を立てたりするけれど、アンカラ城は滑って落ちそうなぎりぎりの端っこまで歩いていけるので結構怖い。
ところで「アンカラ城」をトルコ語で言うと「アンカラ・カレスィ」になる。次にトルコに来るときには「トルコのカレスィのところに行く」と言って出かけようと思う。ちなみにこの冗談はフレディには通じなかった。
喉が渇いて、坂の途中の売店で赤ワイン色のジュースを買った。フレディにもすすめたけれど断られた。
いま世間は断食月(ラマダン。トルコ語でラマザン)。何かの理由で断食をしない日でも周りの断食してる人に配慮して人前では飲食しないように気をつけるのだという。
ということは、(日焼け対策およびコスプレ心により)スカーフを被っておきながら人前で飲食するわたしはつまり見た目上……。
「悪いムスリムです」
まことに申し訳ありませんでした。以後、スカーフスタイルをやや工夫してムスリムに見えないよう気をつけるようになった。
ショッピングモールへ連れて行ってもらってワンピースと下着を買ったあと、バスでアンカラ郊外のエセンボア空港に向かった。空港からカッパドキアに向かうのだ。飛行機ではなくて、レンタカーで。
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