「お祈りに行ってきます」
そう伝えるとユキサンは何度か聞き返した。
「あなた遊ぶ? 祈る? なんのため? いまから?」
「遊びではなく、お祈りです。我々は1日に5回祈ります。イスラム教徒だから。僕は昨日も祈りに行き、その間君は待っていました。覚えていますよね。いまから4回目です。わかりますか?」
「わかった! オーケー」
ユキサンは駅舎の前の階段に腰を下ろし、買ったばかりのスィミットを持ったまま踊るようにひらひらと手を振った。大学時代、生物学を研究する友人があんな生き物を下宿に連れ帰って飼っていたと思い出す。赤ん坊の姿のまま成体になる桃色の両生類。
ユキサンは誰にでも笑顔を見せる。何もなくてもいつのまにか笑っている。自分の目には奇矯に映るけれども、日本では案外普通なのかもしれない。
モスクに入り、裏へ抜けて荷物からタブレットを取り出した。
「遅くなりました」
「蝶、残念な報告からだ。プジョーもルノーも用意できなかった。でもトヨタなら上等だよな?」
車の画像データが表示される。スワイプして車両部の行った「加工」の様子を確認する。後部座席を持ち上げれば中にひとが隠れられるようになっている。素人目には気づかない範囲の改造だ。
「問題ありません。一応トルコでは借りる車を選べないと事前に伝えてあります」
「念のため女は後部座席に乗せないように。復路は当然だが往路もだ」
「ええ、もちろんです」
「エセンボア空港のBレンタカー、担当者は首にフェネルバフチェのタオルをかけている男だ」
「了解。YHTは通常通り運行していますか」
「いまのところ異常なし。君たちの乗る便は既にホームに入っている。定刻に出発の予定だ」
「了解」
食料品店に寄ってユキサンの好みそうなジュースと菓子類を購入した。彼女は同じ場所に座っておとなしく待っていた。
待たせたことを詫びると得意げにトルコ語で
「さびしかった」
と言った。
スィミットの輪は齧られて四分の一ほどになっていた。