BL部門※1の発表です。
かの松尾芭蕉は四十八字皆BLなりと言い、高浜虚子は選はBLなりと言いました。
言いませんでしたっけ。言ってないか。
【BL部門】
★擬人化ジャンル万能賞
人肌のそしてわかったくすぐったい 藤田千鳥
もうこれは、無生物を擬人化したジャンルであれば鉄道であろうと刀剣であろうと何でも重ね合せることのできる万能BL句ではないでしょうか。
「人肌の」で一度切れて、唐突に「そしてわかった」「くすぐったい」。
人肌が触れてくるとくすぐったい。人の肌を持っているとくすぐったい。
無季だけど春めいてる。きらきらと光に透ける産毛を感じます。
★雄っぱいがいっぱい賞
ヒールからヒールに渡るビールかな 藤田俊
悪役プロレスラー(ヒール)から別の悪役プロレスラーにビールが手渡される。試合の後の打ち上げだろうか。
屈強な男たちが居酒屋の席にぎゅっと押し込められ、筋肉と筋肉が触れ合っているところを想像してほしい。Tシャツの袖の許容範囲ギリギリまで太くなってる二の腕と二の腕。ジャージの太腿とダメージジーンズの太腿。山盛りの食事はあっという間に消えていく。ジョッキがショットグラスに見える。
重要なのは、このひとたちは奥の席にちゃんとビールを回してくれるという点である。
「お姉さんありがとう、こっちで回しまーす! はい、グレート〇〇さんどうぞ〜。はいよ〜、ウルティマ××さんどうぞ〜」
なごやかである。試合で激しくぶつかり合う彼らは、実際はみんな仲良しなのである。その様子を思うと、なんというか、こう、胸の奥がほっこりして、あれが、あれだ、俺たちは、易々とテンカウントを取られてしまうんだ……。
ヒール、ヒールと繰り返してビールで韻を踏む他愛もない駄洒落。このレスラーたちも「ハイハイ! オレ一句詠みます! 俺ヒール、お前もヒール、これビール!」とか適当なこと言っているのではないだろうか。
★ボラード賞
妻の兄とは冬鷗見たつきり 西川火尖
北風吹きすさぶ海で彼らは冬のカモメを見た。妻の兄とはそれっきり会っていない。
この句は、たったそれだけの情報でBLみを匂わせてくる。※2
仮に「正月に麻雀したっきり」「ナイターに行ったっきり」「バーベキューしたっきり」「一緒にパチンコ行ったっきり」のようなエピソードと置き換えてみると「冬鷗」に宿るドラマ性の豊かさがおわかりいただけることと思う。麻雀やナイターやバーベキューやパチンコに行ったきり会っていない設定ならば、またすぐに会えそう。
しかし「冬鷗」は。
なんだか、それっきり、本当にそれっきりの永遠の別れになってしまうような寂しげな雰囲気が漂っていませんか。
汽笛。潮の香り。消波ブロック。係船柱。
歳時記によると夏に見かけるカモメは「うみねこ」で、他の種類のカモメは冬の間を日本で過ごすらしいです。妻の兄もまた渡り鳥のように遠くに行ってしまったのではないか。そしてこのひとは、毎日見ている妻の顔の中にときどき義兄の面影を重ねてしまったりするのではないでしょうか。
★24年組賞
ぼくはいちじくあおいいちじく薬缶鳴る はんざき
「青い果実」という表現がある。そのように言われる側の人格を無視して「食われるもの」扱いしてるしそもそもペドフィリアだし21世紀にはしっかり滅んでいただきたい言い回しである。
しかし、当の若年者が若さゆえに性的な視線を向けられることを意識して「あおいいちじく」と自称してみせる痛々しい美を、わたしはまだ完全には否定することができない。飽くまでファンタジーの範囲として、だが。
「ぼくはいちじくあおいいちじく」の繰り返しは誘惑だろうか。それとも陵辱されながら自分は「あおいいちじく」なのだと繰り返し言い聞かせてやり過ごそうとしているのだろうか。
何かがピークに達したことを表すような薬缶の音。悲劇的でもあり、同時にコミカルでもある。
禁断の果実を食べたアダムとイブが股間を隠した葉はいちじく。肛門性交と縁の深いイチジク浣腸。茎を傷つけた際に出てくる白い汁。いちじくは何かとエロティシズムを仮託されてしまう植物だ。
現役最高齢腐女子として生を全うされた金原まさ子さんにも
猿のように抱かれ干しいちじくを欲る 『カルナヴァル』
という句がある。
★うたかた賞
炭酸水あなたはまじで死ぬやうだ 栞名子
「あなたは……ようだ」という書き言葉の中にカジュアルな話し言葉の「まじで」がぶっ込まれている。書き言葉では間に合わず「まじで」と思ってしまうほどまじでまじでまじで「あなた」は死にそうなのだ。
ところでみなさんは90年代末期をどのようにお過ごしでしたでしょうか。わたしは友人の貸してくれた小野塚カホリの漫画を読んでいました。寺山修司の引用があったり、カルト映画をチラッと紹介したり、とにかく文化的で、適度に暴力的で、おしゃれで、かっこよかった。
この句を読んだとき、小野塚カホリを思い出したのです。AIDSを発症して死んだ誘拐犯に馬乗りになって事に及ぶ被害者少年みたいな、いま思うと「ちょ、待って?」という漫画でしたが当時は泣きました。いま読んでも「ちょ」って言いながら泣くかな。
炭酸きつめの炭酸水を飲むときの、喉のに生じる抵抗の感覚。それは親しい人の今際の際に直面しているときの息苦しさのようだ。
★炎帝受け※3賞
富士登山
めくらみ登る炎帝の赤肌は 高山れおな
「炎帝」とは夏の擬人化キャラクターです。
俳句では、一般的に炎帝は攻め攻めしく描かれがち。
BL読者諸姉諸兄の中には「攻め攻めしいということはつまり受け受けしいということである」というような、禅の境地に向かわれる方もいらっしゃるかと思いますが、まずはちょっと読んでみてほしい。
炎帝に組み伏せられているごとし 谷雅子
腕撫して炎帝の寵ほしいまま 能村登四郎
炎帝に召し使はれて肥担ぐ 上田五千石
一句目、襲い受けではなく炎帝は攻めだと解釈しました。
二句目、寵愛をほしいままにしているというのだから炎帝は攻めだと解釈しました。
三句目、炎帝に強制労働させられている句なので炎帝は攻めだと解釈しました。
解釈違いはご甘受ください。
そして、高山れおなさんの句である。夏の暑さそのものを炎帝と呼んでいるのとは少し違うようだ。炎帝の赤肌に登るというのだから、ここでは(夏の)富士山を「炎帝」に喩えている。火山である富士山を炎帝と呼ぶのは言われてみれば本当にしっくりくる。やばいかっこいい。
圧倒的な大きさの赤い山肌を登って行くショタのごとき人間。炎帝であるところの富士山は、悠々と構えた年上の受けのようだ。赤肌は興奮して紅潮した肌であり、登山者の眩暈もまた興奮から生じたもののように思えてくる。
★僧侶受け賞
寒明や肌着の上に数珠を置き なかやまなな
さきほどの炎帝受けについては大方の同意をいたただけたかと思うのだが、この句が僧侶受けだということに関しては完全にわたしの個人的な趣味だ。中性的な顔立ちの美僧が敢えて剃髪していてほしいし、肌着はきちんと畳まれていてほしい。そこにきれいに数珠が置かれているわけです。この俳句は事後の光景なんですよ。二人が致した翌朝の。「数珠を置き」というのが現在の時制みたいにも思えるけど「(こんなにきちんと)数珠を置き(そのあとあんなに激しく乱れたんだなこいつは)」の括弧内が省略された形で、つまり攻め側の感慨なんです。
搔きむしるように脱いでぐっちゃぐちゃな事後の光景もいいけれど、冷静に几帳面に脱いだ後に身も世もなくむしゃぶりついてきやがったぜ、というのも味わい深いのである。
念のため書いておくと、俳句そのものには僧衣の肌着だとは書かれていない。数珠を持っているからといって僧侶とは限らない。未亡人の線もアリだと思う。いや、性行為を連想する必要もないのだ本当は。
って、書いてこの記事をアップロードした後にようやく気づいたんですが、寒明って寒中の朝じゃなくて寒の時期の終わりって意味じゃねえか! ようするに立春です。スライディング土下座して謝ります! 申し訳ない! 季語を間違えて覚えそうになった俳句ビギナーの方、お手元の歳時記でご確認の上わたくしの轍を踏まぬようお気をつけください。
ところでこの件を知った友人から「ということは、あったかくなって、裸になりやすくなったんだね」というメッセージが飛んできました。うん。事後じゃなくてこれからまさに始めるところっていう可能性が高くなるかと思います。(4/8 23:30追記)
★いやむしろつきあってない賞
ラーメンの汁は共有若葉風 田中目八
「ラーメンの汁は・・・・若葉風」という俳句の4音分の空白にあてはまる言葉を考えてください、という問題を出したとして、正解できるひとは限りなくゼロに近いだろう。「味噌味」とか「ギトギト」とか「少なめ」とか答えたくなるはずだ。
ふつうしないじゃないですか。ラーメンの汁の「共有」なんて。
ひとりがラーメンを食べて、残った汁にもうひとりが麺を入れて食べる。
鍋や巨大パフェをみんなでつつくことには抵抗がなくても、ラーメンの汁の共有はちょっと気持ち悪い。
だから、それを平気でやってのけているこのひとたちは、だいぶ親密な仲です。家族か。恋人か。距離の近すぎる親友か。
本日はぜひね、この「距離の近すぎる親友」として読むのをおすすめしたいと思いますよ。
いかがでしょうか。ブロマンスなどと呼んでみてもいいかもしれません。
若葉風がさわやかです。
★レボルシオン賞
西日さす君にチェ・ゲバラ・エプロンを ちなみ
西日のさす夏の午後。ありふれたチェ・ゲバラのTシャツではなく、君にはチェ・ゲバラのエプロンをあげるよ。
「君」は西日に照らされて、すこし汗ばんだ顔で料理をしている。
革命家としてのゲバラ。多くの若者に慕われた兄貴分のようなゲバラ。喘息に苦しんだゲバラ。医師としてのゲバラ。女ったらしのゲバラ。バイクで旅をした若き日のゲバラ。数限りなくあるゲバラのイメージ、有名な逸話の中のいくつかを、語り手は「君」に重ねてみたりするのだろう。
そもそも「チェ」という名前は、エルネスト・ゲバラが相手に「チェ」と呼びかけることから付いた愛称だ。「君」と呼びかける癖のあるひとに愛とからかいを込めて「君」と呼び返しているのである。この、「君」と「君」の往還がまさにBLではないですか。
ちなみさんの作品は5句連作でした。察するに神回の誉れ高い「チョイ住み in キューバ」を元にしたのではないかな。
はい、みなさん思い出して。
「よごれてないたまご」と云へり夏の朝 ちなみ(珍部門「ハッピーイースター賞」受賞作)
この句のシチュエーションもキューバならなんとなく納得がいく。
そう、わたしは本当に人生を損していると思うんですけど、界隈で話題になったこの番組を見てないんですよね……。
他の句もあわせて読んでいただきたい。が、敢えてここでは全句を紹介しないスタイル。ご本人から何かの形で発表してもらえるかもしれないので、待つ!
★スタンドバイミー賞
手を引いてくぐる踏切夏の星 佐々木紺
踏切の中で立ち止まっていたら遮断機が下りてしまって、手を引いて一緒に脱出したのか。それとも遮断機の下りている踏切に進入していくところなのか。書かれている言葉の順に想像していくなら前者とは考えにくい。このふたりは、手を引いて踏切の外から中へ進入したように思える。無事に走って通過したのか、心中を図ったのか。助かったのか、ふたりとも亡くなったのか、ひとりは生き残ったのか。カメラは夏の星空にパンしてしまってふたりの行く末を見せてはくれない。
現実にはなかなか実行するひとはいないし、実行したひとはそれを書かない種類の行為なので、臨場感があったり、見てきたような上手い嘘をついたりするタイプの句ではない。むしろ夢の中のような幻想的な雰囲気。しかし誰か親密な相手と一緒に危険を冒す、その危うさには確かな手触りがある。
★ひとり賞
引き金の湿つてゐたる花野かな 喪字男
いままでの句は基本的に誰かと誰かの関係性を読み取ってきたのですが、これはソロ。でもわたしがBLに求めている良さとこの句の良さは非常に近いんです。
引き金というのは拳銃の引き金だろう。引き金にかけた指が汗で湿っている。花野は秋草の生えた高原などを表す季語。
なぜこのひとは花野で引き金に指をかけているのだろう。
自殺あるいは、自慰の比喩。
秋の野原は華やかでありながら死の匂いに満ちている。
硬質な銃と、小さく繊細な花々。ローラ・アシュレイやキャス・キッドソンのパターンに囲まれたおじさんを連想してしまう。怖いとかわいいは両立する、むさくるしいと可憐は両立する、BLはそういったことを(BLという言葉が生まれる前の時代から)繰り返し繰り返し描いてきたように思う。
※1 BLとはボーイズラブの略語です。ボーイ(少年)に限らず男性同士の関係性の機微を鑑賞する趣味、という程度にざっくりとご理解ください。
※2 この連載を途中から読み始めた方のために補足しておくと、「ビバ!ユキオ俳句賞」は部門別に句を募集したわけではなく、お題を一切設けずに募集した俳句を選者が勝手に部門に振り分けて表彰しています。BLみを強引に嗅ぎ取っているのは選者の方で全然BLじゃないじゃないかというご意見もあろうかと思います。
※3 BLにおいて、挿入する側を「攻め」、挿入される側を「受け」と呼ぶ。
なお、本稿では「萌える」「尊い」「無理」をNGワードに設定し、血反吐を吐きながら語彙をひねり出してお送りしました。
[amazonjs asin=”B076GCKVGZ” locale=”JP” title=”UltimoドラゴンマスクWrestlingマスクLuchadorコスチュームWrestler Lucha Libre Mexican Maske”]
[amazonjs asin=”4794219733″ locale=”JP” title=”あら、もう102歳: 俳人金原まさ子の、ふしぎでゆかいな生き方”]