あずまくんの、「あずまにあ」。

 
あずま俊秀くん。
どことなく王朝っぽい名前のそのひとは、市内の(たぶんわたしの職場の近くの)高校へ通う女子高校生です。
彼女の個人誌「あずまにあ」をいただきました。
前書きによると、(■■短歌賞用の?)五十首制作中に行き詰まり、いままで書いた作品を振り返ってまとめたものらしい。
家族を詠んだ作品が特に面白いです。
 
 変声期とっくに過ぎたその声で一度でいいから姉ちゃんと呼べ
 行きずりで相合傘をするような男に育てた覚えはない
 飲みかけのコーラ差し出す父さんに親子レベルを試されている
 
かつてはかわいらしい声で「姉ちゃん」と呼んでくれていた弟。変声期を過ぎた今は、すっかり男っぽい声で「なぁ」とか「おぅ」とか。照れくさいんでしょうか。それでも弟っていいな。わたしはひとりっこなのでちょっと羨ましいです。

ある雨の夕方、姉は弟が女子と相合傘をしているところを目撃してしまった!
夕食の後、リビングのソファに寝転んでマンガを読む弟にそっと近寄る姉。

「彼女おったんじゃ?」
「はぁ?」
「相合傘の子」
「べつに彼女じゃねえし」
「そうなん」
「傘ねえって言ようたけん」
「同じクラス?」
「知らん。三年のひとかもしれん」

動揺をかくしきれない姉。無愛想なだけだと思っていたうちの弟が、いつの間にこのようないまどきの少女マンガに出てくるツンデレ王子様(現時点ではデレてないがヒロインの努力によってデレな側面をきっと見せるはずだ)みたいな男になりやがったのか!!
弟よ! 弟よ! 姉は行きずりの男子に傘を差しかけられるような幸運に恵まれたことはまだないよ!
弟よ! 弟よ! お前はいつまでも姉のものだと思っていたよ……。
ああ弟よ、きみを泣く……。
姉ちゃんは、お前が、その成長が、嬉しくて、腹立たしくて、さびしくて、愛しい……!!!

柱の陰に寄って、ひそかに涙を拭う姉。

そこへ風呂上がりの父、コーラを飲みながら登場。

「トシコぉ、風呂上がりのコーラうめぇわー。
 でも父さんメタボになったらおえんけえあと全部やるわぁー」
「……いらない」
「トシコ…?! それ反抗期か? 父ちゃん嫌いか? そげなことなかろ? トシコぉ!?」
 
といった感じで、わたしの妄想スイッチをいい感じに刺激してくれた「あずまにあ」、定価は「いちおくまんえん」なので、みなさん頑張っていちおくまんえん貯めて「あずまにあ」を買ってください。
(わたしは幸運にも物々交換で入手しました)
 
あずま俊秀 on twitter → http://twitter.com/azumatoshihide [1]
 
その他、お気に入りの歌を。

 最上階バルコニーから身を投げて私もシータになれるだろうか
 無条件降伏するのも悪くない鮭の小骨は刺さったままで
 息を止め小さく肩を震わせるセンチメンタル・センチメートル
 

[1] http://twitter.com/azumatoshihide

髭と退廃(decadence)

 
幾頭の虎をバターにしただろうきみの料理はときどき噛むね

恋以上生活未満フライパンにぱふんと帰還するパンケーキ

母たちが孫と名付けた苦瓜がぐんぐんのびた夏、でしたね

きみがいた八年分の夜いつも未遂に終わったアナルセックス

図書館の地方新聞コーナーであなたが死んでいないか探す

切り抜きが見あたらなくてもう一度潜ったホーム炬燵の真っ赤

三分以上働きたくない胸元で点滅してるスワロフスキー

列島に揺れる数多の雨傘の愛人二十七号泣きます

剥製を作る手順を言いながら鋭利な指が鳩尾をさす

キスマークつけるんですかまた会ってくれるんですか独身ですか

そのひとの死人のような胸板で眠り落ちるまでの海嘯

月曜日に会うのはだるい土曜日に会うのはきみの家族に悪い

こんなにもすてきなパパになったんだ あのとき刺しておけばよかった

焼肉屋に煙がない日三叉路を曲がりそこねて社に戻れない

会社員やめたらきっとホステスになるからちゃんと新聞を読む

窓口の山本さんが西さんにかわってもまだ待ち続けてる

「月が綺麗ですね」真顔で言ってみて吹き出してくれたなら合格

ただでさえくすぐったいし口髭の試着みたいで笑える、ゴメン

あまり良いセフレではないせいちゃんはいつか彼氏に降格します

動物は死んだら重いテーブルに出しっぱなしの雪見だいふく

「セメントと一緒に薔薇とティディベアも詰めてね たまには泳ぎにきてね」

作品さえそこそこよければ夭折するのが一番の販売促進活動なのですが、まだぜんぜん準備できてないので、後頭部を強打したときにはまずったなあと思いました。
実際は(いまのところは)ぜんぜんたいしたことなくて、CTとっても何も映らないと思いますけどとりたいですか、って医者に言われた。それより看護師に「はっずかしー」って言われたのがショック。酔って転倒することぐらいあるじゃろ!

髪の毛切りにいけない(他人にシャンプーされたら痛い)のがちょっとつらい。

落選の神様が微笑まなかったので今年も角川は出しませんでした。
落選展また見学だぁ。
だめだめです。
 
日曜日はダニエル氏をぺろぺろ舐めながら精神的にメンテナンスなう。
だめだめです。

あたしいんわんだーらんど

 
お姫様もうお目覚めの時間です断頭台が待っていますよ

ポストからあふれるピザの広告とピンクチラシとすこしの賀状

なぜかきゅうに飯田有子に師事したい「まずは歯ぶらしの持ち方からよ」

ガス点検(それは本当?)肩越しにのぞきこんだら真っ赤な軍手

ふとっちょのヴァンパイアくんを撫で回し唇に押し込むにんにく卵黄

生きながらウールのタグをつけられたあわれなメリノ種の羊です

洗い物している母の意外にも小さな尻は薔薇柄である

うめあわせするよときみはいうのですほらまたもぐらがほりすすんだよ

人波に流されながら半額の手帳を買った二月一日

あたしいんわんだーらんど出廷の朝はドレスを着ているつもり
 
 

VJ President feat. BYTE-kun @Club Bebop

 
胃薬をペプシコーラで飲み下すVJブースに差し込む朝日

星形の光が壁を駆け巡り眠るあなたの右手に落ちる

鮮血の色のソファから起き上がりまた踊り出す少年少女

午前六時のフロアに揺れるぼくたちのためにいまこそ回せスリラー

日常が無限にループしてたころと同じ顔してるよ社長、いま

オールの朝の奇跡のひとつまりちゃんの少しも崩れてないその美貌

ひとりずつフロアのひとがへっていく土曜の朝がねむりはじめる

おそろいの眼鏡のぼくらをくもらせてぬくもらせてよスターバックス

マスターがついに全裸になりましたBebopから七時をお知らせします

マスターにパンツをはかせるバイト君パーティはまだまだ終わらない
 
 

雨を呼ぶ舞台女優と大事件を呼ばない記者と五月の桜

マルグリット・デュラスっぽい絶望に行き当たるまで三十年近くかかったのです。
へんなの。

きょうはアルコールの作用から解放された昼すぎからのろのろと起きだして、買物、昨晩放置した自転車の回収、カフェで知人の原稿を読み、帰宅してウェルカムボード制作の準備と下書き。

初夏ですか。
生足でミニスカートはまだ寒かった。高校生なら普通の格好ですが、どうしてあれで平気な顔をしていられるのだろう。不思議です。たぶん、わたしは平気ではない顔でした。

やばい眠い。

フリーペーパー配布なう!

4月11日、C.T.T.OKAYAMA上演会vol.2終了後、
あやか・愛子・ユキオの三人がカフェに延々居座り、
その場の勢いでフリーペーパーを作りました。
「オンナノクカイリアル。2010.4.11@EXCAFE」
各自が版を持ち帰っているので、松山の方はあやかちゃんに、岡山の方は愛子ちゃんかユキオに声をかけて手渡しでもらってね!!
(ユキオ発行所からはひよこ色の紙に印刷してお渡ししてます。)

3人となかなか接触できない方、ご安心を。
何部かEXCAFEさまに置かせていただいてます。
入り口のところになかったら、少女漫画のようなマスター(長髪。背中に薔薇背負ってる系)に「ユキオのフリーペーパーない?」って聞いてみてください。

☆郵送もいたしますのでお気軽にお申し付けください。
(A4用紙一枚です。立派な冊子は期待しないで!!)
☆万が一ご要望があればPDF版での配布も検討します。

 

赤穂線がテロに遭うかと思った

おまえが前向きな発言をするのはきっと死亡フラグだと言われて。
 
それでも赤穂線は無事に走る。
 
C.T.T.一回目はほぼ完全に黒子でした。
二回目は高校生の台詞を横取りして無理矢理出演。
わたしは自分にも他人に対しても甘いのだが、
高校生に対してはどれほど厳しくしていいか計りかねている、まさにわたし自身の甘えが出てしまったようです。
 
コンセプトの部分ができてない。はい、その通りです。
文芸部なら、俳句作品そのものの推敲やシナリオの読解に時間をかけるべき。はい。そう思います。
 
ただ、クオリティを上げる作業より優先しなければいけない、鮮度を優先しなきゃいけない部分もあって、そもそも企画自体をつぶすぐらいなら仕上がりが雑でも実行しなければいけない。じゃないと次へ行けない。それも事実だと思う。
 
あとは、高校生自身がどれだけ主体的に関わってくれるか。
 
若い子に遊んでもらうのは、なかなかたいへんです。
 
観にきてくださったみなさん、共演者、スタッフのみなさん、ありがとうございました。
ほんとは世界をわたし用にカスタマイズしたいだけなんです。
悪いけどつきあってね。
 
 

盆梅が職員室にあって邪魔

体育館の裏側に呼び出して告白、というような儀式はいまも行われているのだろうか。
行われているといい。
魔女狩りを逃れた民間信仰のように、ひそかに息づいているといい。
 
高校の制服を久しぶりに風にさらしながら、わたしのなかのいくらかのぶぶんがまとまって失われたある期間のことを思い出す。
 
「ままごとみたい」という言葉には、きっと悪意はなくて、そのおとなからしてみれば体育館裏の告白を好ましく思う現在のわたしと似たような心持ちだったに違いない。
しかしながら当時の女子高校生はそのひとことに傷つきもし、また挑まれたようにも思ってしまった。
 
十八歳とはそのような年齢である。
 
われら、おおいにこの世に悪を為そうよ。