俊読に出演しました

 
年の瀬に告知した京都クラブメトロでの「俊読」、無事に終了しました。
 
たいへん失礼な振舞いもいたしましたが、
桑原滝弥さんにイジられ、谷川俊太郎さんに笑って許していただき、
京都のお客さんたちに「おもしろかったよ!」って声をおかけいただき、
我がポエム人生でいちばん熱いステージとなりました。
 

 
「不良after」のときよりもなんだかフェミニンな雰囲気だった、詩人の河野宏子さん、
すーっごいパワフルな弾き語りガール永尾蕗子さん(お誕生日おめでとう!)、
声の安定感と適切なツッコミを見習いたい! 詩人の豊原エスさん、
セクシーお姉さんとみせかけて実はめっちゃ面白いベリーダンサーのNuraさん、
真っ白い衣装でライブペインティングした書家の川尾朋子さん、(声!吐息!飛沫!)
みんなすっごいかっこいい!!
 
やめれん、と思いました。
 

 
イベントの内容とは直接関係ありませんが、
谷川さん桑原さん以外の出演者が全員女子で、
本番前に楽屋で化粧直しや衣装の着替えが始まる時間の、
なんだか妙に華やいだ感じがよかったです。
(もちろん私も舞台用のお粉でばっちりテカりを押さえたさ!)
岡山でも女子だらけの朗読会やりたいな。

ずんずんどこ

バーゲンに行って安い服を買い漁らねばならぬ、と思うものの、闘志がいまいちわいてきません。
とりあえず、ワコールのブラジャーとパンティのセットを二組買っただけ。
某番街ではバーゲンにもかかわらず、おねいさんがフィッティングしてくれるのが嬉しい。
森奈津子的意味合いではなく、普通に嬉しい。
最近、下着の選び方が保守的になりがち。
よくない傾向であります。

ドゾクデマラ三世のおはなし

中東にかつて君臨したというドゾクデマラ三世のおはなし

後宮に世界中から集めたる出っ歯味噌っ歯入れ歯の美人

家臣らは喜捨と呼ぶらし端女の睫毛の上に王がすること

一世は偉大二世は人気者三世は爽やか笑顔でドS

金色の三瘤駱駝に今日はどの妻を乗せるかドゾクデマラ三世

家臣たち髭付き合わせ議論する「スルタンは萌えキャラか否か」

ドゾクデマラ三世がふとつぶやきし「にゃぶい」の声は神託に似て

黄金の三瘤駱駝よりもなおまばゆき第一夫人の前歯

先王のマントをこっそり羽織ってみて余った裾が治世の長さ

血まみれの写メなど送りつけてくる大工の息子は王の親友

後々まで語り伝えよドゾクデマラ三世は小岩井よつばを愛す
 
 

 
「ドゾクデマラ三世のおはなし」は2009年8月〜9月にかけてtwitter上でつぶやいた短歌です。

断るけえ岩井志麻子になれんのじゃ原稿依頼とHの誘い

皮をむいた状態でストーブの前などに置き忘れて、何時間か経った、薄皮が紙のようにかぴかぴのみかんを噛んだら中がじわっとジューシー、という瞬間を愛してやまない石原です。お疲れ様です。
お屠蘇酔いしないうちに新年の出没情報をお知らせしておきます。
 
01.23 sat  6:00pm 開場/7:00pm 開講 → 9:30pm 終講予定
メトロ大學2010
『俊読〜shundoku〜』
 
出演者:
谷川俊太郎 / 桑原滝弥 / 豊原エス(詩人)
/ Nura(ベリーダンス) / 川尾朋子(書家) / 石原ユキオ(俳人)
/ 永尾蕗子(弾き語り) / 河野宏子(詩人)
 
「この国の子供たちは皆、この男の詩を読んで大きくなった。」
1948年の詩作開始以来、
2000編を超える膨大な量の作品を世に送り出し、
児童書・教科書から専門書、
果てはポルノ雑誌までフォローするほど多岐に渡る作風で、
誰もが一度は触れたことのある谷川俊太郎の詩の世界。
この現代日本を代表する詩人の作品を、
タイプの異なる現在注目の詩人/アーティストたちが、
それぞれの解釈/方法で大胆なる再生に挑む。
ラストには本人も登場する、大人気朗読イベント『俊読』が
2010年メトロ大學へ登場!
 
ということで、俊読に出演します。
(チケット完売だそうです!ありがとうございます!ギャボン!)
持ち時間、10分ぐらい。
満員のお客様と巨匠を前にキョドりまくる石原をたっぷり堪能してください♪
 

げんき?風邪引いとらん?

ちょびっとおひさしぶりです。略してちょびさしぶりです。順調に意気沮喪中の石原です。
佐々木あららさんに絶賛されました。びっくりした。心臓が止まったのでえら呼吸してます。え? 無理ですか? 心臓止まったらえら呼吸も無理ですか。もういいです。石原は只今留守です。メッセージはauお留守番センターに「石原さん、クリスマスプレゼントなんでも買ってあげるよ」っていう形で残しておいてください。ふらふらと出てきますよ。待ってるから。
 
12月26日は大朗読@スペースMIKANSEI。午後五時から。千円握りしめてきたらビールが飲めて朗読が聴けておまけに飛び入り朗読までできてしまうという。しかもMIKANSEIでやるのはこれが最後。
来た方がいいと思う。ね。是非とも。
高校生は受験シーズンのため参加不可能とのことで、「都会のトナカイ」再演は諦めて、ピンで何かやります。頑張ります。たぶん、頑張れると、思います。
 
どうせ私は、見下し気味に「面白いな」って言われたいだけなんです。
 
この病気は治らん。

ボジョレー・ヌーボー

とびきり浮ついた感じの、人気漫画のラベルとポップがついてるやつを買いました。
母が、ポリフェノールを摂りたいと言うので。
 
試飲コーナーはアラサー・アラフォー女性のひとだかり。
推奨販売のお姉さんは試飲のお世話に忙しい。
思いのほか香水臭くない集団に根性で分け入って、やっとこさ二銘柄飲み比べ、空気中からアルコールをたっぷりと摂取し、ふあふあと温かい身体でバス乗り場へ向かいました。

そこへ。
「お嬢さん」
と呼び止める人が。
 
「お嬢さん、ピアノの生演奏が聴けるような店を知らんかな」
 
浮浪者というにはさっぱりとしすぎている、しかし堅気ではない、贅沢な暮らしぶりをしたあとにどっと落ちぶれたような、やせ形で、目鼻立ちのはっきりした初老の男性でした。
「このあたりでは存じ上げませんが」
「どのあたりなら知っとるんかな」
「倉敷にはジャズバーみたいなところがありますよ。ライブやってる」
「ほおか。まあ座りんさい」
「いえ、母にワインを買って帰るところなので」
「少しでいいんだ」
男は自分の腰掛けているベンチを叩きました。
指には金の指輪。
指輪の下の皮膚に、指輪と同じように指に巻き付いている、青黒い線が見えました。
「楽器では何が一番好きかな」
「……バンドネオン」
「バンドネオン。あれはええな。アルゼンチン行ったとき弾かせてもらったんだ。ラ・クンパルシータ」
「それでは私はこれで」
「ラ・ラ・ラ・ラ・ララララ・ラ……踊りたくなる。名曲だ」
「……むかし踊っていましたよ」
「ポルテーニョかな?」
「いいえ、おかやまっ子です」
 
家へ帰って母にワインを注ぎました。
一口飲んだ母は軽く咳き込んで、
 
「ぬくうなる」

と言いました。

ええ、すべっていますとも。

日本児童文学11・12月号に「壁」という詩を掲載していただいてます。
 
森忠明さんの「見守れる高さ」がかっこいいです。
児童文学とは、いけてない、マイルドなタイトルで内容のとんがり具合を隠蔽するのがかっこいいスタイルなのだとなんとなく学習しました。

どうかお願いですから聞いてください、とまでは申しませんが。

聞きにきて損はないと思います。
珍しく昼間の朗読会ですが、第四部だけ雰囲気が「夜」。
石原は「都会のトナカイ」という詩を朗読します。
べ、べつに小中学生がいるから放送禁止用語控えたわけじゃないんだからね!
 
 
朗読会 聞いてください岡山の現代詩No.3
主催:岡山県、おかやま県民文化祭実行委員会、岡山県詩人協会

○日時:平成21年11月14日(土)13:00〜15:45
○会場:ピュアリティまきび(三階・橘) [1]
○入場無料

出演者
○第一部(小中学生の部)
○第二部(高校生「文藝道場おかやま2009」自作詩朗読)
○第三部(童謡作詩グループ「とっくんこ」会員による自作詩朗読)
○第四部(「大朗読」メンバーによる自作詩朗読)
・石原ユキオ、保田悠詩、郡宏暢
○第五部(当協会理事たちによる群読)

 
 
+ 11月15日 追記 +
 
「都会のトナカイ」、私の詩の間でS高校文芸部の四人が俳句を読みました。
高校生の方がよっぽどしっかりしてて、私はどこかでワンフレーズとばしたのか走りすぎたのか尺が合いませんでした……。心の余裕があるときにビデオでチェックしようと思います。
(先ほど見ようとしましたが自分の顔のまんまるさに嫌気がさしてxactiを閉じました)

ご協力くださった方々に感謝します!!

[1] http://www.makibi.jp/

三谷と花粉症と事務所移転

リプレイス、という言葉を聞く度に、三谷のことを思い出します。わたしの働く事務所はごっそり中身を移すことになりました。あの日三谷がPCの中のデータをまるごと移し替えたみたいに。新しいPCに移し替えられたデータはこころなしかぴちぴちとしている。けれど新しい事務所に引っ越したわたしは前よりも今よりも疲れているでしょう。ねえ、三谷。三谷はまだ同じ仕事をしているの。三谷は本当は何屋さんなの。学生ではなかったかとわたしは踏んでいる。三谷がわたしよりも年下であればいい。わたしは妄想の中でさえ自分より年下の男を知らないから、三谷を初めての年下にしようと思うのです。三谷の幻影は、事務所の空気の中にわずかながら漂っています。三谷はくせっ毛でしたね。背はそんなに高くなかった。眼鏡をかけていた。痩せてはいなかった。どちらかというと色白で、言葉には訛りがなかったはずだ。三谷。わたしあなたの手が思い出せない。とても重要なはずなのに。どうせなら短くて太い骨組みに、ぽってりと肉がのってるのがいい。いままで白魚の指をしたひとにいつも苦しめられてきたから。白魚はわたしの首を絞める。締めるならさいごまで締めればいい。けれどすぐに飽きてべつの場所に泳いで行ってしまう。あの日包丁を持ったわたしが本当にしたかったことは、白魚の料理だったのかもしれない。三谷。わたし三谷を傷つけないよ。三谷はぜったいにわたしを傷つけないから。三谷はよじれたケーブルを一瞬で解いた。三谷はわたしの三年間をみるみるうちに吸い上げて新しい革袋に注いでしまった。七年でも八年でもできるでしょ、三谷。わたし多くを望んでるような気はちっともしない。終わったら去ってくれればいいのよ、三谷。作業報告書みたいに、静かな微笑を残して。