まばたきをするたびに右目にだけモナリザの残像みたいなものがうつる。
と、ぬるい青島ビールを飲みながら告白した男は私服警官で、開襟シャツの胸元からガムテープがちらりと見える。素肌に発信器を貼っているのだ。
「いつからわずらっておられるのですか」
「わずらわしく思ってなどいません」
病気をわずらうという表現がうまく伝わらなかったようだ。
「いつから、見えるのですか、その残像は」
「さあ。信仰にかかわることだからね」
ああ。ひょっとしたら。モナリザと聖母マリアを混同しているのではないか。それは単なる混同でもあり、美術史的なひとつの見解でもある。
プラスチック製の白いテーブルと椅子。あしもとを通り過ぎてゆくたくさんの茶色いにわとり。何羽かは息絶え、ほかのにわとりに踏まれている。
「ひとくちください」
わたしがビールをねだると、彼は発信器をはぎとってガムテープごとわたしの口に詰めた。
ねばついて、甘ったるくて、すぐにやわらかく溶ける。
皮のうすいところがビリってしてイテってなる
髪から赤い汁が出なくなったかわりに、赤い固形シャンプーを使うようにして、排水の赤さを保っている。
いつも赤い汁をたらしているのがわたしで、それ以外は愛さなくていい。
Vシネマの髪型をした支配人
古い田舎のビジネスホテル。ロビーに小学生の男の子と女の子が入ってくる。男の子は女の子に相談したいことがあるらしい。田舎ゆえ、ほかに行き場がないのであろう。宿の主人が困っているので「たとえば彼らがここの飲み物をふたりでひとつでも注文するならそこのソファにいさせてあげればよいのではないか」と提案する。「そうですね。百円のジュースでも注文してくれれば」しかし、いちばん安いので三百円のコーラなのだった。
フラメンコのかかっている酒場で「フラメンコとタンゴってどう違うの」と、おなじみの質問をされ、雰囲気ものまねでフラメンコを踊ってみる。曲をリベルタンゴにしてもらって、ジョージ・クルーニーをパートナーにタンゴを踊ってみせる。クルーニー氏はリードがなかなか上手い。酒場の従業員の娘を抱いて、車まで送る。とてもくろめがちなので、おもわずくろめに触ってしまうが、痛がるわけでもない。片言でママに男がいることを言う。
プディング、レーズン入りの。
パーティがあるというので、着飾った同僚たちが慌ただしく歩き回っている。アクセサリーがないからここにあるのを借りよう、と言う後輩に、わたしのを貸すから、と諭す。ずいぶん幼い女の子もドレスを着ている。素材は絹のような光沢のあるものが多い。アクセサリーはすべて真珠か、模造真珠か、それに似た白いビーズだ。アルゼンチンから来たという日系人の青年と話す。ビュッフェの料理を取ってふたりで席につく。テーブルの蝋燭を消すのは部屋に行こうという意味なのだそうだ。蝋燭は勝手に消えてしまう。不思議と煙が上がらない。煙が上がらない、ということのほうが気になっている。
登校の列に女子はわたしひとり。それゆえに小さい赤ちゃんの面倒をみるように言われる。親指ほどのサイズ。過失により田んぼの脇の用水に落としてしまうが、草の中にひっかかっているのを副班長の男子が拾い上げる。すでに人間の赤ん坊の姿ではなく白い熊か鼠のキーホルダーになっている。他にそれらしいものが落ちていないので、これになったとしか考えられないと言う。かたい。
ハンググライダーで飛行する。上昇気流に乗ることで飛距離を伸ばすこともできる。着地した飛行場はある種の研修施設で、そこには小学校時代にお世話になった先生方が働いていて、昔から優秀だった、さらに立派になったとほめてくれる。
Aくんの名前が寺山くんになっていた。
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「旗を見せろ」って態度が厭。とても厭。
黒ひげ危機一髪の着ぐるみを着て、樽で過ごす。
ともだちとふたり、浅い川を走って逃げる。
追いかけてくるのは知っている男だ。
堤防まできて、ともだちは助からず、わたしは逃げ切った。
苦い薬
母の友人が始めた手作り雑貨のセレクトショップ、今シーズンの目玉商品はカットワークの春ショール。もう残り一点になってしまった。他のデザインのショールも淡い色彩で美しい。白を基調にした店舗で、地下にあるのだけれどちゃんと明かり取りの工夫がなされていて、自然光が入ってくる。帰り際、歳時記やら携帯電話やら持ってはしごを上ろうとするが、バランスを崩してはしごが外れかけてしまう。ほかのお客さんに支えてもらってことなきを得る。
一時的に現世に戻った即身仏の介護をするという仕事で、わたしの担当はおとなしい上人様なので特に手間がかかることもなく、万が一に備えて添い寝するだけなのだが、なぜかその日は胸に手を伸ばしてくるし、妙にくっつきたがるし、赤ちゃんのようになってしまっていて、かと思えば腰のあたりに何やらかたいようなやわらかいようなものが押しつけられており、即身成仏してもなお乗り越えられないものがあるということか。燃やしていいかしら。
大半の窓は宇宙に接続している
黒人青年と白人少年(彼はアナキン・スカイウォーカーによく似ている)が、「同性愛者はすべからくカミングアウトするべきだ」と主張している。はしごをつかってわたしの部屋の高さまで来てさらに叫んでいる。わたしは窓を開けようとする、少年が窓枠に手をかけているので、バランスを崩して落ちやしないかと一瞬ためらうが、こんな非常識なことをする輩こどもだからといって容赦する必要はないと考え、勢いよく窓を開けた。
「おい、おまえら! ひとのセクシャリティなんてどうだっていいだろ! カミングアウトしようとすまいとそれは個人の自由だ! おまえらに強制されるようなことではない!」
黒人青年はわたしに怒鳴り返す。
「貴様はレズビアンか?」
「レズビアンの友人がいるストレートだ!」
突然、母が客を連れてくる。
大学生ぐらいに見える日本人の女の子。着物を抱えている。
「見てこれ。ほんとうは誰にも言っちゃいけないんだけど、この着物アレンさんが買ってくれたの」
「おれんさん?」と、うちの母。
「ウッディ・アレン。映画撮ってるひと」
アメリカで買ったというその着物は見返り美人のような柄がぽつぽつとついた風変わりなものだった。彼女はそれに、十二単の襟の合わさった状態を模した色とりどりの布を、アカデミックドレスのフードのようにかけて着こなしている。
「似合うね。写真撮るよ。アメリカに戻ったら畳の部屋はなかなかないでしょう」
わたしは彼女の白蛇腹ポラロイドカメラで、ふすまの前に座っている彼女を撮る。
「レズビアンのともだちって?」
「いま東京にいるから、長いこと会ってないんだ」
ポラロイドから印画紙が出てこなくて、ポラロイドに似た別の種類のカメラだったのかと思う。
いつの間にか着物の彼女にキスされていて、それは濃厚で、いつまでも終わらない。
料峭は料亭のことかと思ってました
外国人観光客はつくり滝をのぼるものと考えて負傷したり足に豆をこさえたりしてしまうそうだ。目の前にいるのは日本の修学旅行生たちだが全員女子で全員つくり滝にのぼっている。祖父をつれて病室に戻ろうとする。いつもよりことばが通じる。エレベーターのドアが開いたら箱がなくて地面がせり上がる仕組み。男性医師と祖父とわたしの三人で乗って、祖父は二階だと言ったので、二階を押す。
南半球にある小豆島に似た孤島を俯瞰で
フェリーで行ける。
土産物屋と写真屋が並んで建っている。
フィルムを買う。
写真屋は宗教法人ではない。
水着がなかったので、両乳首に軽量化した赤子をぶらさげて歩く。
肌寒い。
田舎道にはいなごが多い。
寺院の地下は軍事施設になっている。
隕石からとりだされた糖分でしのいでいる
庭の水道工事をDIYする。地面にははがきほどの大きさの四角い穴が二つあり、それぞれに蛇口を取り付けるのだ。穴には鉄製の蓋があり、それを開けると風船のように大きくふくらんだクリーム色のゴムパッキンが水の気配をさせてふるえている。そのクリーム色のふるふるをホームセンターで買ってきた蛇口でおさえこみ、固定する。作業中にゴムパッキンを傷つけてしまったのか、たしかに少し雑に扱ったのでいやな予感はしたのだが、小さな噴水のように間歇的に水が吹き上げている。大きくふくらんだクリーム色の風船状のゴムパッキンを取り付けたのは母で、それ自体が間違っていた可能性がある。
虹 – 橋 – 川 – 彼岸 – お供え – 菓子 – 蟻 – 行列 – ラーメン – 暖簾 – 縄 – 自縄自縛 – ドグマ – アラン・リックマンのおしり
恋人の家は川の近くで、堤防があり、土手の草が枯れているからまだそんなに春ではない。
そんなにたいせつな恋人でもない。