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草迷宮 Le Labyrinth D’Herbes

NPO法人アートファーム主催の「草迷宮」を観に行ってきました。
面白かったです。
面白すぎてうまく言葉にならんので箇条書きです。
 
 

「わけがわからない」と「面白い」が両立してる。最初観客置いてけぼりで大暴走すると見せかけて、いつの間にか観てる側が作品の流れの中に放り込まれてる。
帝国のマーチで大騒ぎするところで、「かもめ」とか「マサイ」とか芸が細かい。
心中の二人を「木」が振り払う。
よくあれだけ舌を噛みそうな七五調の台詞を早口で。
ってか、生演奏ですか!
結界や紐をパントマイムで表すところとか歌とか、ものすごい技術が必要なことをきっちりやってる。
段差に躓いたのに台詞飛ばさずに持ち直したあやめ(荻田真子さん)に役者根性を見た。
火売りの少女、衣装も含めて萌え。(燃え?)
約二ヶ月という短期間で恐ろしいまでの完成度。角ひろみさんが般若の様な形相で演出してる様子を想像してしまった。
アフタートークは、大森さんの質問が漠然としすぎてて、もっと具体的な訊き方の方が掘り下げられて面白かったんじゃないかと思います。(何様)

 
 
実は、この芝居、役者で参加しませんかっていうお誘いもいただいてたんですが……、
やっぱりね、実際に完成した舞台を見て、私に演劇は無理だって悟ったよ。
 
腹が決まったって感じです。

世間っていう鍋で煮えくり返ってるはらわたそれがあたしなんだよ

イライラするので短歌っぽくイラついてみました。
 
短歌好きっていう若い子は大抵、穂村弘か枡野浩一が好きだけど、(私も大好きだけど)荻原裕幸もものすごく良いってことを声を大にして言いたい。
妹とか彼女とか奥さんとかが登場する歌が特にいい。
若いときのはソフトに鬼畜っぽいし、最近の尻に敷かれ感の出てるやつもたまらん。
鬼畜時代があってこそ愛妻家っぷりに萌えるというか、嫉妬に悶えずにはいられないというか。
敢えて荻原さんと作中人物(語り手)を混同して読んでます。
萌えたいので、敢えて……!!!
 
あ、ちょっとイライラが落ち着いてきました。
風呂入って、依頼されてから年単位で描いてなかった友人の似顔絵でも描いて寝るか。

EGO-WRAPPIN’かかると思わなかった。

DJ医者ことMAYAYUKIさんのパーティに行ってきました。
MASAYUKIさんがめっちゃ社交的な人であることを初めて知りました。
VJ(ヴィジュアル・ジョッキー)をちょっとやらせてもらった……けどVJって意外と音楽的センスがないと無理ね!!
かっちり音ハメして映像変えていくのができない。
ぽんぽんスクラッチしてたらそっちが一生懸命で次の映像が選べない。
 
ここ数日間、motion dive入れるつもりで高いほうのmac買おうかと考えてたんですが、やっぱり私にmotion diveは必要ないな! あは!
 
ところでFlashの作り方はなんとなくわかりました。
リズム感に加えて数学的センスがあったら上手に作れるんだろうなと思いました。

秋っぽいかんじで

桜子さんの妹のnちゃんと、nちゃんがお世話になってる吉田真先生と、悠詩にいさんと私のだいたい5人くらいで倉敷アートバザールに出店しました〜。
人数が合わないのは「吉田真」先生が2人ユニット(ときどき3人?)だからです。
 
アートバザールは芸文館前の広場。芸文館の中ではまた別のイベントをいろいろやってたりして、英語俳句を作るワークショップがあったので参加してみました。
手順としては、まず日本語で俳句を作り、それを英語に訳します。
私は完成品の日本語俳句を持って行って、英語俳句の先生と一緒に英語に直したのですが、
日本語の段階で「と」をつかうか切れ字の「や」を使うかで一触即発でした。
 
英語にするんなら元の句いじらんでもええじゃろ?!
っていうかそんなん訳し分けれんじゃろ?!
 
(と思ったら後で英語と日本語を並べて書いて展示したので、日本語部分の添削も無意味ではなかったと判明。結局直さなかったけどな!)
 
英語俳句は「5音節/7音節/5音節」で三行分かち書きするのが普通みたいです。
日本語の5・7・5音になっている俳句を英語の5・7・5音に翻訳しようとすると、日本語で省略している部分を補ってみもふたもないことを言う感じになってしまう……。
音数は必ずしも合わせなくていいのだと先生もおっしゃっていました。
まあ、ある言語から別の言語に訳すんだから、音数を合わせたら意味が合わなくなるし、意味に合わせたら音数が合わなくなるのが普通だよね。
英語俳句の楽しみは日本語と英語の意味と音数を究極まで合わせることなのかも。
逆に同じ発想から生まれた日英二句の趣の違いを楽しむんだろうか。
自由律俳句を自由律らしく訳したいのにどうしても5音節7音節5音節にきっちりおさまってしまう! みたいな葛藤もあったりして。
 
ちなみに、できた俳句は画家さんのイラスト入りで展示してもらいました。
そして参加賞にコシヒカリ一食分をいただきました。
 
あ。
念のため言っときますが、ほんと悪意はないんですよ!!
ちょっと違う傾向の作句法に触れて勉強しようと思っただけで!!(←普段の言動からいくと信憑性0だな……。)

「花と姫君と悪魔のヴィヴィアン」

私の敬愛して止まない友人、月崗ヤスコ女史の受賞後第一作、「花と姫君と悪魔のヴィヴィアン」がLaLaDX11月号(白泉社)に掲載されています。

森の奥に棲む悪魔ヴィヴィアンは、その長い髪に魔力の全てを宿しています。
ある日、南の城の第三王女がヴィヴィアンの森にやってきます。
王女様はなんと、悪魔のヴィヴィアンの「お友達になりに行くの」と言うのです……。
 
髪に魔力を宿しているというアイデアは「サムソンとデリラ」、少女が自分の持ち物を分け与えていく様子はグリム童話「星の金貨」を思わせます。
途中で登場する悪いお妃様の造形も極めて童話的。
しかしながら、古い物語の単純な翻案ではなく、聖書のエピソードや童話の要素でストーリーの大枠を構築しながらも、現代的な閉塞感・孤立感・居場所のなさが描かれているように思います。(ヴィヴィアン、ひきこもり気味だしw)
 
デビュー作も、デビュー前に描かれていたものもそうですが、衣装がとにかく可愛い。
小さな女の子が本当に愛らしい。(次は小憎らしい腹黒少女キャラも是非!)
あと、細かいところで気に入ったところをあげるならば、「禁断の崖に咲く花」がとても地味な単色のパンジーみたいな姿に描かれているところがとてもよかったです。
これが薔薇や百合みたいな派手な花では陳腐だと思う。
崖に咲く花って温室に咲く花とは違うもの。
 
月崗先生、これからも応援してます★

アウェーの練習試合

バックストロークの略称がBSだと気付くまで、衛星中継される川柳の集まりがあるのかと考えていました。春にあった大会の会場に入った時点でちゃんとBS=バックストロークだと気付いた私は偉いと思います。今回は早かった。中原道夫は現代詩も俳句も書ける超人だと年単位で信じてたけど、今回は気付くの早かったよ石原さん!!
 
その、川柳BS(バックストローク)の、句会に行ってきました。
 
はい。
わたくし、俳人ですが、何か?
 
温かく迎え入れてくれた石部さん、誘ってくれたちかるさん、ありがとうございます。
石部さんの
「(抜けるか抜けないかだけを気にして)ゲームのようになった川柳を、文芸の方に取り戻したい」
「悪口(=厳しい批評)に慣れないかんです」
といった言葉が印象的でした。
 
気付いたこと、考えたことメモ。
 
・川柳では、互選の句会は少ないらしい。
・川柳は意地悪な読み方をするもの、という偏見があったけど、できるだけプラスの意味を読み取ろうとする、幸せなストーリーを読み取ろうとする人もいる。(私は不幸なお話が好きなので川柳も俳句もそのように読みます。)
・「たぬき」=「オヤジ」みたいなきまりごとが、川柳にはできてしまっているらしい。そこに頼らずに書く、という立場。
・現代川柳を書く人って、見た目はあんな普通の人たちばかり(1〜2割の確率で例外あり)なのに、しゃべっても普通の親切な人たちなのに、どうしてあんなシュルレアリスティックな情景を作ってしまえるんだろう。
・川柳の作り方として、(1)言葉を組み合わせる→(2)情景を想像して品質チェック→(3)言葉を整理→(4)完成という工程を勝手に想像しておりました。
これ、違うかも。
情景を想像して、という発想がそもそも俳句に毒されてるのかも、私。

神よ神よ

訳あって、エロイことをできるだけたくさん考えて過ごそうと心掛けているのですがなかなかうまくいきません。私って淡白なのかもね。
 
「Lの世界」をDVDで、シーズン1の5本目まで見ました。
CACで展示するイザベラ某の映像作品という設定の映像がすげーかっこいいです。
キリストと使徒を思わせる扮装の男たちの前に女がやってきて、この先は保守的な俳人の方にも安心してお楽しみいただける優良俳句ブログとして記述を差し控えますが(嘘です。めんどくさいから書かないだけです。DVDで見てね)、女性の真剣な、というかギリギリの、切羽詰まった、本気の、すごい顔が、もう、最高です。
キリスト風の男性がガクンとなるところにユーモアがあります。
その続きもまたリアルで良いです。
 
象徴的に描いているんだけど、ものすごく思い当たることがある。
性行為や、ジェンダーのことのみならず、もっと広い範囲で、ああ、こういうことってあるよなあと。
 
そういえばこういう「あるある」みたいなのって川柳的な気がする。
現代川柳って、これでもかっちゅうほどシュルレアリスティックで全く意味が理解できないものより、これでもかっちゅうほどシュルレアリスティックな割には妙に現実に思い当たることがある、みたいな作品の方が高い評価を得ている気がします。

冷奴(仮)

 
きみのイメージで書きました と 渡された役を降板したのは
字面通りの意味でなく 暑いですね でも朝晩は冷えますね みたいな
打ち水
だと最初からわかっていた
ことをわかられてなかったこと が
ひたすらしゃくで
 
香港が不足している青蛙
 
あるいは豆腐の上で茗荷はいましがた
円月殺法で斬られたと主張する
 
現場ではカメラの前にからだを捨ててきた
 
吐瀉物 油 酒 苦椒醤 その他で磨かれた卓子
鍵束 爪 付爪 靴底 硬貨 その他で描かれた傷が
まるくまるく光るぎたぎたのまつ毛押し上げて
割り箸はじょうずに割れなかったときのが好き なんて
坊やだからさ、坊や。
口の端ゆがめるだけでさ
悪い女になれるのなら
無駄なテイクを重ねることもできた
 
純情な神様からすうりの花
 
モザイク越しに指示を受ける
青い青い
青紫蘇 葱 生姜
ひりひりと剥けた まだかさぶたになる前の
あなたの顔をブラシで刷いているのはムンクですから
どうぞご遠慮なく叫んでください
 
誰にだって貸せる着ぐるみだけど
しじゅう着られるのはごめんだ
ファブリーズして ちょうだい
 
二十六歳の誕生日
わたしの二十六歳が午前九時に生まれる
潮干狩りに行けなかった母の
遠い海から
現世の釣り針にえぐられて
しかたなく肺胞をふくらませた
 
ほたるいかいつか暗殺されますよ
 
とっくにぬるくなった器で
いまだ耳をそばだてている
木綿豆腐は醤油を吸い
クランクアップを待つことはない
 
つまりは
夏っていやですね みたいな
でもビールうまいし みたいな
吐瀉物 みたいな 茗荷 みたいな 靴擦れ ささくれ 二枚舌 みたいな
乗りかかった船で
もう皿は食らわない
 
冷奴ぼくらもっと駄目になれる
 
 
 
大朗読(2008.6.28)
 
 

無国籍アジア風、フェティッシュ系。

(写真1)
銃口が真っ正面につきつけられている。90度横倒しに、掌側を下に向けて構えているのは香港映画を意識しているのかもしれない。舞台はキャバレーだろうか。拳銃を持つ男のすぐ後ろの壁には縦長の鏡が何枚も張り合わされており、ところどころに赤いタイルがはめ込まれている。ピントは拳銃とそれを握り締める拳に合っているから、男の顔は鮮明には見えない。
 
(写真2)
臀部のアップ。東洋的な、フラットな尻。垂れてはいないが持ち上がってもいない。赤いサテンのTバックに黒レースの縁取り。腰にガーターベルト。太股にレース、その下に続くフィッシュネット。尻の右側には二つのにきびがあり、股の間から都会の夜景のようなきらめきが見える。窓辺に立ったにしては不自然。室内にクリスマスツリーのようなものが置いてあるのかもしれない。
 
(写真3)
黒髪の女。女というよりもほとんど子供に見える。手術着を思わせる薄緑色のシーツの上に、手錠をかけられて四つん這いになっている。口に鍵をくわえている。ガーターベルトにフィッシュネット。紡錘形に尖った胸の尖端に、水滴のような乳首がある。
 
(写真4)
ベッドサイドに置かれたコップと数種類の錠剤。有線放送のvolやch、照明の調節をする操作パネル。ここが日本で、ラブホテルで撮影されたものだとはっきりとわかる。
 
(写真5)
ピアスのない臍、赤いパンティ、ストッキングを外したガーターベルト。太股には引っ掻いたようなみみず腫れがある。つやのある膝頭はゆったりと開かれている。足元には男が跪き、女の片足を掴み、ペディキュアを塗っている。後ろへなでつけた髪が幾筋か垂れている。眉は濃い。小さく泣きぼくろ。男はチェックのシャツを羽織っている。下は色あせたジーンズ。男の後ろの壁には縦長の鏡と赤いタイル。鏡にはカメラを構える女の姿が映っている。
 

デプロメールの伝言メモ

バイト先Aで冷茶用のガラスの茶碗を割った。
バイト先Bで水割りやビールなんかに使うグラスを割った。
 
最近何かと物を壊してしまう。こういう時期がときどきある。
 
 
平田俊子は痛快だ。
 
 
久しぶりの場所へ顔を出すと、歓迎されるより来なかったことを非難され、再び来たことを非難される。 
こんどは正直に、「なんか感じ悪いですね」って言ってみよう。笑いながら。「機嫌悪いんす?」できるだけみんなに聞こえるように。
 
机の端に積み上げられている、製薬会社の「粗品」の箱。
抗生物質のロゴが入ったボールペン。
胃薬の付箋。
湿布薬の付箋。
ノック式修正テープはおそらく糖尿病。
 
とかく世界はうじゃうじゃしている。
 
七時からバイト。
 
些細なことを、ほんの一瞬ずつ、思い出す。