日記」カテゴリーアーカイブ

ホリブルボートレース

おはようございます。
さわやか短詩系ブログ石原ユキオ商店へようこそ。
腰が抜ける、記憶がない、という初体験をやらかしました。
自宅で良かった。
 
せんぱいとHしたとき失った処女膜よりも儚い何か
 
なんてね。うたインフルエンザウイルス蔓延中です。
 
歌人の某KKさま!
短歌バトルのアイデア、先を越されて悔しいです。
俳句で似たようなことを考えてたけど、プロフェッショナルなヲタクの企画力には勝てないな。
なぜ俳句は概念語ではなく実体のある物質を詠み込まなければいけないのか、の答えがそこにあって、批評に使いたかったんだ。
企画倒れのアイデアなら、ポケモンの数ぐらいありそう。
実行力ねえなぁ、俺。
 
激しく凹むと高校時代の記憶を捏造しようとするのは、高校時代からやり直せば立派な人間になれる気がしているからでしょうか。こんくらいの踏み外し方でやり直したがるなんて石原さんは超甘過ぎます。baskin robbinsぐらい甘い。
 
ってか寒い。
明け方ってどんだけ寒いんだ。大発見です。二度と早起きなどしてやらぬ。
寝るぜ。ちゃんとアラームかけて。
 
まっさらに目覚めるために、二時間だけ寝るよ。

ハルキフォビア

枡野浩一さんの村上春樹の小説を楽しめたことがほぼないという記事を読んで、非常に嬉しい私です。

枡野浩一さんには『ショートソング』という、短歌がいっぱい出てくる小説があって、とても面白いのでまだ読んでないひとは村上春樹の新刊を買う前に買いましょう。安いし!
主人公は大学生の美少年(童貞)で、彼が恋する大学の先輩は短歌やってて、その彼氏は気鋭の歌人で超プレイボーイで眼鏡で、ストーリーはチェリーボーイサイドからとプレイボーイサイドから描かれており……説明は面倒なので省きますが腐った女子用の餌がそこら中に撒いてあるので、のめり込んでぐいっぐい読めます。男子用の餌もぶりんぶりんしてるし。読んでて不思議な感じがするのは、短歌結社の主宰(美輪明宏!?)の作品がいわゆる短歌結社の主宰の作品っぽくないところ。ショートソングの世界ではかんたん短歌が結社の中でも作られているのです。枡野浩一みたいな人が歌壇を征服しちゃったのか。そんな歌壇なら短歌総合誌も買う。

ところで、短歌と言えば。
短歌を作らないふりをするのをやめてみました。
短歌やってる人から愛されたいから書かないふりをしてただけで(嗚呼なんて乙女ちっくなあたし!)、ほんとはときどき、こっそりと書いてます。

ぜんぜん上手くないけどなー。
まあ俳句も絵も上手くないからいっかー。 
どうせ書いたんなら出しとくかー。みたいな!!
どうせ大半のひとは上手くないのに発表してるからなー。的な!!

かわいく拗ねていればたいがいの世間は許してくれます

カレンダーの、○を付けたわたしの升目に、物書きの屍骸が浮きつ沈みつ。
アメリカンチェリーはどぶ漬けだけど、サクランボは内側からエアブラシで塗装されているから、すごく高い。
 
祖父のために、煙草を二箱買って、とっくにおとななのに、煙草屋のおばあちゃんにものすごく後ろめたい私は、後ろめたさを両方のポケットにだいじに持ったまま、たぶんtaspoは作らないと思うのです、たとえこの先煙草を吸うようになったとしても。
 
念のため言っておきますが、佐藤雄一さんのブログから来てくれる人を予想してポエミーな日記を書いてるわけではありません。
オフィスレデーには叙情したい夜もあるんだぜ。
(っていうか佐藤さんの読者はポエムな日記とか嫌いだろうな、たぶん。)
 
明日は水蜜塔の公演 [1]観に行くよ。

[1] http://www.artfarm.or.jp/fwone.php?id=41

ドドーンズバーン★

表紙のタイトルロゴが異様にでかい、特集のタイトルもこれまたでかい雑誌を見ると、郊外型のショッピングモールなんかを思い出します。看板ドドーン、垂れ幕ズバーンみたいな。明日こそ買いに行こう。
 
穴が開いて、縫い閉じて、また穴が開いてもうどうしようもなくなったBetty’s Blueのソックスを捨て、新しいソックスを買い足しました。貧乏性なのでなかなか捨てられません。岡山店なくなったブランドとかだとよけい捨てられません。でもGW中にちゃんと選ぶんだ、処分する服。Betty’s Blueは一着だけ残していいですか? って誰に聞いてるんでしょう。気合いを入れるために今後はギャル服を増やしていく方向で! だって無理のあることをするとテンションが上がるもの。このファッキン文系の私がクラブとかもマジ無理がありすぎだと思います。クラブイベントで石原がご機嫌だったらいっぱいいっぱいなんだって察して生温く見守って一緒に踊って!
 
ギャル服と言えば、最近GLAD NEWSのTシャツを着て仕事に行ったら「石原さん、それって、あれみたいね、バットマン!!」と言われました。 →参考 [1]
ちなみに私のは白です。何の役にも立たない裾の金具が愛おしくて毎回手洗い。無駄なものはかわいい。私はかわいいじゃろ。そうじゃろ。
 
川柳「バックストローク」26号に寄稿してます。

[1] http://item.rakuten.co.jp/gladnews/1091701360/

弓之町

 
あの頃自分が着ていた制服を21世紀の女の子たちが着ていて、20世紀末の風景と区別がつかない。
 
 
結局その林檎を食べる以外の選択肢は用意されていなかったのだと。
 
 
制服のままくぐったビニールカーテンを思い出しながら。
 
 

C.T.T. OKAYAMA上演会vol.1 感想など

▼やなる企画
うつぶせになってる女性(西本千奈美)と、それを見下ろす男性(矢鳴孝一郎)。
男性の腕が震え始めて女性のおなかにぺちぺち当たる、その音が生々しくてぎょっとしました。普段自分がタンパク質や脂肪のかたまりだということを忘れてるからなあ……。男性のお腹の上に女性を乗っけた状態で男性がかにのように移動したり、スカートがめくれあがって女性の黒い下着が思いっきり見えていたり、セクシャルな連想をさせながらもぎりぎりでいやらしくないのが不思議。
「生と死、男と女、静と動といった対比」というようなことを合評の際に矢鳴氏がおっしゃっていましたが、一人が動いているときは一人は倒れている、というような振付けになっていて、さいご、二人が手をつないでシーソーのような動き(組体操の『扇』を二人で作って左右に揺れる)で光の方向へ進んでいくところが印象的でした。ひとりぶんの生命力で生きているふたり、というようなことを考えました。

▼E☆1000シュカシュー糖
しきぶとん用シーツの中にまるまる人が入っているのが「砂漠」。(河合穂高・西園加)
舞台中央に喪服の男。(掘真亮)
男の前に黄色い布。その下からぱちぱちと爆ぜる音とともに現れる赤い手足の女が、「焚火」。(伊東みさき)
愛する女性を亡くした男が見る砂漠の幻影。
男の台詞、女性が朝目覚める様子を「茹でたての枝豆のさやから実がこぼれるように黒目がのぞく」というような表現で描いているところがとても素敵でした。
スキャットのような、マントラのような砂漠の声もとても面白かった。
音楽もオリジナル。(江田達貴)最後のほうでかかるきらきらちろちろした音は、東南アジアの素朴な鈴を思いました。

(敬称略、だったりじゃなかったり。)
 
 
さて。
私は「矢印」という作品を朗読。
ほろ酔い朗読会の際に読んだものを今回用に組み立て直しました。
 

[1]
[2]
 
合評の際に女性のお客さんから、「若い女性であることと朗読の内容との関わりをあなた自身どう考えるのか」というようなご質問をいただきました。女性ピン芸人に近いものを感じとられたよう。難しい質問だと思いますし、私が日々考えていることにいちばん近い内容でもあったと思います。私自身のスタンスとしては男性に100%媚びるのは嫌だし、でも多少卑怯な手をつかってでも利益を得なければいけない。嘘はつきたくないが男とは寝たい。甘えたくないがOLとしての仕事は円滑に進めたい。単なる男性詩人の真似はしたくないし無難な女流でもありたくないが、わかりやすさは持っていたいし、受けはきっちり狙っていきたい。
朗読する詩の世界ではまず「わたしは乙女チックポエム少女ではないのでどうぞ恥ずかしがらずに安心して聴いてくださいね」というメッセージを最初に与えてあげることが必要だったりします。乙女ポエムは聴く人にとっては自らの恥ずべき十代を思い出させてしまうたいへん危険なものだからです。過剰に性的な言葉を使ってみたりするのがそれに対する私にとっての解決法で(でもひょっとしたら性的な言葉が椎名林檎世代的な恥ずかしさを感じさせてしまっているんだろか。ごめん)、他の解決法もたぶんあるのだと思うのですが、まだ身につけていません。私が偉大なる老詩人といった印象の外見になったら今の方法は必要ないのかもしれません。あまり答えになっていませんが、この質問をされた方が日々どんな方法で女性であることと付き合っているのか、逆に私から質問してみたいです。

[1] http://www.d-mc.ne.jp/blog/575/wp-content/uploads/2009/03/yajirusi090314haihu.jpg
[2] http://www.d-mc.ne.jp/blog/575/wp-content/uploads/2009/03/yajirusi090314.jpg

C.T.T.おもしろかった!!

観に来てくださった方、共演(どちらかというと競演?)者の皆様、
アートファームスタッフの皆様、ありがとうございました。
C.T.T. すごく楽しめました。
詩の朗読会に出ているだけでは絶対に出会えないお客様に出会えて貴重なご意見をいただけました。
ダンス・演劇という異分野の方と交流を持てたこと、たいへん刺激的でした。
(って、なんかちょっと教科書的な文章ですね……)

演る側の平均年齢が自分より低いイベントに出演したのは大学以来です。
若い皆さんのクオリティの高さにびびりました。
 
やなる企画さん、E☆1000シュカシュー糖の皆さん、今後ともよろしくお願いします♪
 
写真は13日の準備の様子デス。
本番のなくてごめん……。
 

風花→みぞれ→雨

春の水は濡れている水だから、
春の雪は濡れている雪で、
つまり今日はそんなびちょびちょな岡山でした。
 
(長谷川櫂さんはヌードが見てみたい俳人の一人です。)
 
俳句でヌードと言えば。
 
ぎりぎりの裸でゐる時も貴族   櫂未知子
 
って、
季語としての「裸」から「裸の王様」へと連想が働いて成立したんじゃないのかなあ。
 
ぎりぎりの裸。
 
すっぱだかとぎりぎりの裸は違う。
「裸の王様」はすっぱだかじゃなくてパンツ一丁だから、ぎりぎりの裸だと思う。
 
ぎりぎりの裸でいるときに貴族な人をすっぱだかに剥いてみたらどうなるんだろう。
剥いてみたい。
 
どんどん話が変わりますが、
千円台の安いブラ&ショーツセットを買ったら、
下着屋さんが気前よくノベルティのシュシュをつけてくれました。
この値段のものにおまけつけてたら商売にならんことない?
ちなみに、このセットは表が豹柄、裏が縞馬柄という、
肉食獣に草食獣が食べられた状態の非常にアクの強い代物で、
私の中のヤンキー少女(14)が大喜びしております。

石原はぎりぎりの裸でいるときもすっぱだかのときもあますところなく貧乏くさいよ★

食と性

小川糸の「食堂かたつむり」を読んだ。
 
お婆ちゃんが死んで、主人公が料理が好きで、ということで「キッチン」を思い出したけど、「キッチン」よりもやや深く生きるということに触れている小説だと思った。
キッチンはたしか「料理研究家」で食堂かたつむりは「料理人」なんだよね。
 
食堂かたつむりで描かれるのは、食べることと再生産。
人間は他の生き物の命をいただいて生きているということ。
生殖するということ。
人間もまた死ぬということ。
 
濡れ場を全然書かずに、手触りのある性を描いてるとこがすごい。
おっさんの下品さが結構生々しくて、ウッとなった。
 
「ショコラ」にも似たところがあるし、
「へばの」のことも思い出した。
 

東西句会にいってきました! その2

2月3日、名古屋の東西句会に参加させていただきました〜♪
 
とんとんぼうぼうさんことN村さん(俳人)と荻原裕幸さん(歌人)が駅まで迎えにきてくださって感激。
 

 
お二人にみそにこみうどんのお店に連れて行っていただきました!
みそにこみうどんって、いわゆるうどんの食感じゃないんですよ。
団子っぽい生地をうどん型にしてある感じ。讃岐うどんの感覚でつるつるんとすすることは不可能。
蓋にのっけてふーふーしながら食べます。
 
句会は少人数で何でも言える雰囲気でした。全然堅苦しくない。はじめてなのにアウェー感は薄かったです。
一句一句時間をとって批評し合えるとこがすごくよかった。
さほど点が入らなくても面白い句、というのが置き去りにされない。
度重なるドM発言と頭の悪そうな感想、申し訳ございませんでした。
  

 
句会の後、句会に出席されてたみなさんとコメダ珈琲へ。
名物「シロノワール」おいしかったです!!
ほかほかのパンの上にソフトクリーム!!!!
シロ(白)なのかノワール(黒)なのかよくわかんない名前だなあと思ってたら、本当に語源は白と黒 [1]なんですね。

ところで、結社の話になったときに、
自分の所属してる結社の主宰の名前が一瞬(2分ぐらい。長っ!)出てきませんでした。うはは。
(主宰万歳なかわりに憲法九条万歳な結社だから全然OKなのかも……)
 
 
東西句会のみなさん、ありがとうございました♪

また行きます!!

[1] http://www.komeda.co.jp/contents/special_w.html